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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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張作霖爆殺、その3
深谷であった「映画の仲間全国学習交流集会・深谷フェスティバル」の
長編ドキュメンタリー映画の「ひめゆり」を観てきました。
ひめゆり隊

その後で明治大学の山田朗先生の
「軍は国民を守らない。軍は軍の戦闘力を守るためにしか存在しない。」
というお話に刺激をうけてきました。
戦陣訓について語る先生
元々1935年にソビエト軍と戦った日本軍の捕虜が増えた事を危惧して
太平洋戦争前の1941年東条英機陸軍大臣が「戦陣訓」を作ったのですが
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」
という軍人のための模範が一般人にも強制されました。
戦陣訓の文案作りには島崎藤村や土井晩翠も参加したので
耳障りの良い文語体で書かれています。

 ***************************

☆張作霖林爆殺後、軍部の暴走を許すようになったきっかけ
 ~日本政府の事件処理に対する天皇の反応~

・1928.12.24田中首相、張作霖爆殺が関東軍参謀河本大佐の
 単独の発意であるので強く軍規を糾し司法にかけるよう上奏

・反長州閥グループやエリート幕僚中堅層グループなどが
 反田中勢力が司法裁判でなく行政処分ですませようと圧力

・1929.6.28白川陸相、参内し行政処分する旨上奏
・天皇は「将来をいめしめよ」と注意
・同日田中首相が再び行政処分を上奏すると
 天皇は「前回(12月)と内容が違うと辞職要求

・1929.7.2田中内閣総辞職。9.29田中、狭心症で急死する

・河本大佐は停職という軽い処分。三年後に満州鉄道の理事となる

※もし司法権が発動されたら死刑になっていたはずだが
 統帥権者である天皇が制度上の正しい手続きを怠ったことが原因
           ↓
 天皇が事件の責任を首相に問うただけで陸軍を免責したことにより
 何をしても責任を問われないという確信が生まれ更なる謀略に


※世間では大正デモクラシーの名残で「東京日々新聞」には
 朝鮮王妃殺害なども引用して国益優先で海外で無法なことを
 することに対しての批判を載せている

 ***************************

ビデオ「散る桜 兵器になった命」
~特攻隊員たちの実像~

散る桜3

神風特攻隊の生みの親 大西瀧治郎
最初のレイテ沖海戦で神風の指揮官 関行男大尉
関大尉の言葉
「僕には体当たりしなくても敵空母に50番を命中させる自信がある。
日本もおしまいだよ、僕のような優秀なパイロットを殺すなんてね。
僕は天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで行くんじゃないよ。
KAを護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。
どうだ、すばらしいだろう」


☆生き残りの鈴木カンタロウさんの証言

 特攻隊員になると悩み、怒りっぽくなる。生と死の不安。
 使命感。激情に苛まれる。
 生きることは死を待つことでしかない。
 毎日まいにち指折り数えて他の出撃で布団が残されてゆく。
 まともな神経では生きてゆけない。

 「銀河」の出撃命令が出る。
 命令されてもさほど感激ない。他の二人と一緒だった。
 満足な飛行機がなかった。
 三機のうち一機鈴木さんのだけが出撃できた。
 「くそったれ!」一機だけで出撃した。

 恐ろしい静寂の中、死に向かって飛んでゆく。
 グラマンの編隊が襲い掛かってくる。
 逃げ回って左エンジン停まる。降下する。
 空母を探して突っ込もうとしたが意識を失い漂流し
 米軍に捕まった。
 米軍は神風の対策を立てた。

 日本軍はただ突っ込め、死が美しいものだと語られ
 死が全てという世界感。

 制空権、制海権失い日本は竹やりで戦おうと本気で考えた。

☆「愛知一中予科練総決起事件」
 1943.7愛知の旧制第一中学で先生たちにあおられて
 三年以上の生徒全員が旧海軍の飛行予科練習生への志願を決める、
 という事件が起きた。

 新聞は快挙などと書いたが一中の卒業生で海軍兵学校在学中の
 成瀬謙治は校長あてに手紙を書いた。

 「一中全校生徒を予科練へ志願させることは、無意味であります。
 生徒ひとりひとりの能力は、それぞれ異なります。
 能力に応じた道へ進ませてください。
 それでこそ本当に国に報いることとなります。
 この戦争で死ぬのは、わたしたちだけで十分なのです。」


 その成瀬中尉は兵学校を卒業し人間魚雷で終戦四日前に亡くなる。
 享年21歳。

 米軍によると成瀬の魚雷は命中しなかった模様。
 妹さんのコメントでは「命中しなくてよかった」

散る桜4


☆人間魚雷回天
 
 回天は整備不良で出撃前に事故死多かった。
 
 国がひたすら若者たちの命を求めた時代。
 あの時代の狂気を繰り返してはいけない。
 美しい言葉を飾り、狂気を隠し、
 若者たちの純粋な気持ちを利用させてはいけない。

 (1995年テレビ新広島)

 



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昭和 | 09:17:18 | Comments(2)
張作霖爆殺、その2
明治大学の公開無料講座の無言館の窪島誠一郎のお話を聞いてきました。
善方先生
無言館の絵は反戦の絵と言われていますが、
画学生たちは戦争のむごさでなく家族、女性、自然を描いています。
彼らは多くの人や故郷の自然を愛して、愛されて、
それによって生かされていました。
その想いを断ち切らなければならなかった人たち。
(絵を通して)死者の想いに生者が感動するのです。

  **********************

★張作霖爆殺計画が出た背景

 政府は関東軍が奉勅命令なしで満鉄付属地外に出動するのは
 外交問題になることを危惧していた。

 ☆1928(S3)5.16閣議で「満州地方の治安維持に関する措置案」決定。
        5.18南京、北京両政府に覚書として通告
          村岡関東軍司令官も覚書を受領
          村岡独断で軍司令部を奉天に移駐、主力も奉天に集結     
 
        5.19鈴木参謀総長、関東軍に対して満鉄付属地外に出動しないよう指示
         

 ☆村岡関東軍司令官、出兵命令が出ない苛立ちから密かに張作霖暗殺計画たてる
 ☆この計画を知った河本高級参謀は満蒙の武力占領のきっかけとなる独自の暗殺計画立てる

 計画そのものは、麻薬中毒の中国人三人をだまして犯人に仕立て上げ
 すぐにばれる「蒋介石の命令書」を捏造したり
 導火線をそのまま残しておいたり(すぐに戦争になるとふんで)
 非常に杜撰であり犯人役の中国人一人生き残り犯行ばれる
 天皇は心配


★爆殺後

 ☆田中首相は軍の犯行であることを直後に知る

  第一報は張作霖次男を預かる貴志弥次郎の報告で「日本軍の関与相違ない」

 ☆林総領事は陸軍がやったことを認識するも曖昧に首相に報告

 ☆12.24 田中首相、天皇に上奏
  関東軍参謀河本大佐の計画であり、軍の軍規をただすべき

 ☆河本帰国時、荒木参謀本部作戦部長と小磯航空本部総務部長と
  小畑参謀本部作戦課長の三人は東京駅に出迎え料亭で会合
  荒木は田中首相に圧力をかけるよう工作

★田中追い落としの勢力

 ☆反長州閥グループやエリート幕僚中堅層グループ
 ☆松本剛吉議員による閣内反田中派閣僚増に努める

★田中首相、処分をめぐって退陣へ

 ☆田中は正式な裁判で処分を要求したが統治権の首相は命令不可
  統帥権の大元帥陛下(天皇)は注意したのみ

 ☆明治末期の不況下で二個師団の増設案が国会で否決
  陸相やめて補充断られると内閣は倒れる

  **********************

この写真はかつての教え子が是非現場を見てみたいと卒業後中国に行き
張作霖爆殺現場の写真を撮ってきてくれたものです。
生徒さんが撮影してきた現場



昭和 | 03:01:26 | Comments(0)

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