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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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強まる弾圧、教育の場にも圧力
12月9日

京都、奈良に行ってきました。
奈良は兄と義姉が歩いたところで、今まで遠慮していましたが
行ってみるととても良かったのでまた行きたいです。
この「入江泰吉と奈良を愛した文士たち」も素晴らしかったです。
京都では知り合いに紹介したもらった西陣の個人の宿に泊まっています。
朝御飯がついて二人で1万円です。
京都の古いしきたりでは親しい人が来ても軒先で対応したり
プライベートは厳しくて他者には冷たく写ります。
京都では『戦後』というと『応仁の乱後』ということです。
地方の社会的慣習など知らないと戸惑うことがあります。


★民主化の動きと強まる弾圧

1928(S3)思想善導が4月から始まる
      「国体」という言葉が独り歩き始める

1929(S4)4.16事件
       特高警察網の厳しい弾圧により共産党は大打撃を受ける

   4.16事件後社会運動に対する取締りが暴力的になっていった

1929(S4)5.1メーデー たくさん検束された

       5.15学園内の紛争
          早稲田、東大 授業料値上げと※軍事教練反対
          大学側は左翼学生処分

          ※1925(T14)陸軍現役将校学校配属令
           大正デモクラシーの流れで軍縮。兵士職を失う
           リストラ対策で各学校に文化予算で配属される

       6月 東洋モスリン 労働争議
          賃金値下げに反対した女工たち6000人に
          会社の雇った右翼団体が武装乱入

       9月 東京乗合自動車(青バス) 労働争議
          会社が互応組合を作り従来の組合をつぶす
          警察は暴力団でなく組合員を逮捕した

★田中義一が臨時教育会議で目指したもの

1917(T6)4寺内内閣の閣議で『臨時教育会議」設置を決定

         田中義一は当時、陸軍軍務局長であり
         第一次世界大戦が国家総力戦であることをいち早く認識
         戦争のために銃後の人たちが全て協力しなければならない
         戦争のためには思想の統一が必要と考えた
                       ↓

                  天皇に奉仕する教育
                     
       田中義一は会議の委員ではなかったが早川干吉郎、関直彦を送り込む
       1年半の審議を経て15の答案、2つの建議を採択

         ○建議第一「兵式体操進行に関する建議」
            ~学校教育の軍事的再編成~
          戦争に耐えられる体力

          大多数の国民を 義務教育-青年団-軍隊-在郷軍人会
          という組織系列に組み込みそれぞれの段階で
          軍事教練を実施することが田中の構想であった

          しかし民間の軍部に対する批判、反感強く
          小中学校と青年団に軍事教練をする計画は頓挫

         ○建議第二
          「教育の効果を完からしむべき一般施設に関する建議」
           提案者 平沼騏一郎(検事総長)北条時敬(東北帝大総長)
                 早川干吉郎(三井銀行常務)

   田中義一という人☆   

      元治元年山口生まれ 日清日露戦争で参謀として活躍
      守勢でなく攻勢が基礎方針
      南進方面を攻略し北に向かって北京占領
      露仏同盟実現したら仏領ベトナムを攻略
      アメリカと戦争始まるとフィリッピン攻略

      麻布第三連隊の連隊長時代は異色の連隊長
      厳しく優しく 良兵即良民 作り
      初めて娯楽を取り入れ琵琶を聴かせたり庭仕事させたりした
      除隊後のために職業訓練取り入れた 
      農業、水産業の専門家を呼んで技能、知識を教えさせた
      脚気になった日露戦争の兵士を見てパン食を取り入れた
      兵士と一緒に食事をとった
      在郷軍人会作った
   

    大正デモクラシーと並行して大正末期より
    日本が強国になるために学校教育の場で
    国民を兵士とする教育が行われてきた
    女子教育は常に銃後を守る人間で在るべきで
    母としての責務、家庭を維持することを求められた

★社会の動き

労農等演説会に現役兵士が
反戦闘争決起を呼びかける
その場で逮捕

済南事件
中国で日本軍と国民革命軍衝突。
日本人居留民12名が殺害されたが
国内では280人虐殺と報道された。
済南事件

  
                

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昭和 | 02:13:31 | Comments(0)

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