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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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治安維持法に反対した山本宣治(1)
治安維持法に最後まで徹底的に抵抗した政治家

山本宣治
山本宣治

☆プロフィール
1889年、京都府宇治に料理旅館「花やしき浮舟園」の
一人息子として生まれた。
1907年からカナダのバンクーバーへ留学。
皿洗いなどしながら生物学の勉強をし
帰国後は東京帝国大学理学部に入学。
卒業後、京都帝国大学大学院へ進学して動物学を専攻。
同志社大学、京都帝国大学の講師を勤めた。

性科学を専攻し、アメリカの産児制限運動の
サンガー女子の来日を機に産児制限運動に。
この運動を通じて貧困を解決することなしには
根本的解決もないと労働運動や農民運動へと。
民衆の中で民衆に親しまれ行動する「生物学者」であった。

ニコライの戦争を撲滅させるのは愛他主義という思想が
彼の短い生涯のバックボーンとなる。
1927年中国侵略、山東出兵に反対して作られた
「対支悲干渉同盟」の委員長に選ばれ反戦運動に。

1927年の第1回普通選挙で労農党から当選した。
治安維持法改正に反対し1929年3月5日
衆議院で反対討論を行う予定だったが、
与党立憲政友会の動議により強行採決され、
討論できないまま可決された。
その夜、右翼団体である「七生義団」の
黒田保久二に刺殺された。



☆山宣ひとり孤塁を守る!
       西口克己『山宣』青木文庫より

1929年3月4日労農党の代議士山本宣治は
大阪で開かれた全国農民組合大会で
こう演説した。

「諸君!昨日は議会に死刑法 治安維持法が上程されます。
私はその反対のために今夜上京します。
反対演説をやるつもりだが質問打ち切りのために
やれなくなるでしょう。
じつにいまや階級的立場を守るものは唯一人です。
だが、私は淋しくない。山宣ひとり孤塁を守る!
しかし、背後には多数の同士が・・・」

ここで臨監の警部が「中止!」を命じた。

この治安維持法改正案が議会に上程されるとき
山宣は自分の書斎の壁に「戦争撲滅」
と書いてかかげていたが、彼はこの悪法の彼方に
侵略戦争があることを鋭く見抜いていたのである。

翌3月5日、山宣が危惧していた通り
本会議での彼の反対演説が封じられ採択の結果
「治安維持法改正案」は賛成249、反対170で可決した。

その日の夜の9時半ごろ、彼の常宿の神田光栄館に
紺がすりの着物を着た大柄の男が訪ねてきた。・・・

山本宣治の墓は京都府宇治市の自宅
「花やしき」の近くにあるが、墓石の裏には
大山郁夫書による次のような墓碑銘が
刻み込まれている。

山宣ひとり孤塁を守る
だが私は淋しくない
背後には大衆が支持してゐるから



☆意図的に右翼に襲撃させた

犯人たちはかねてより山本宣治を殺すを言っていたのに
刺殺された3月5日に限っていつもついている私服が
ついてなかった。
警察当局が意図的に警備を外したのではと思われる。

犯人とチラシ
犯人とチラシ

右翼の脅し

体制側にとって好ましい殺人犯。
わずかな期間で保釈された。



管理人がNHKの東京藝術大学の卒業記念の絵の特集番組で
偶然見て撮った大月源二の代表作「告別」(1929)
告別

デスマスク



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

くま森のうた


新座の講座の参加者の方が「くまと森とひと」の本に感激し
自主制作されたCDを先生が始めにかけて下さいました。

私も思い入れのある本なので「歌が出来てる!」とびっくり。
歴史に学んで、地球も守るのは子孫のために今出来ること。

歌詞







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昭和 | 17:07:53 | Comments(2)
治安維持法が出来るまで
治安維持法が出来るまでの流れでどんな法律が出来たのか。
何故1925年に出来たのか。
何故制定されて改悪されていったのか。
日本の明治維新以後の政治構造に問題があったのでした。

1月13日



明治維新以来の政治構造の特質が治安維持法を生んだ

◆治安維持法が生まれるまでの流れ

1875(M8) 讒謗律(お上に対しての悪口が罪になる)
       新聞紙条例(政治法律など、みだりに批判禁止)

1880(M13) 集会条例
       (警察の認可、監視、解散命令、軍人などの参加禁止、他)

  自由民権運動活発に。
  国会開設の請願運動が広まるのを政府は恐れた。


1887(M20) 保安条例(秘密結社や集会は禁止、など)

1889(M22) 大日本帝国憲法 発布
        衆議院選挙法 同日公布
        (選挙権持つのは1.13%富裕な25歳以上男子)     

1890(M23) 集会 及 政社法(議会中は3キロ以内の集会禁止)

1900(M33) 治安警察法(集会条例を強化したもの)

1908(M41) 警察犯処罰令(労働、農民運動に拡大適用、弾圧に利用)

1911(M44) 警視庁訓令 改正
        警視総監官房特高課から「特別高等課」分離独立
        「特別高等課係」と「検閲係」を置いた。

1912(T1) 大阪府にも「特別高等課」設置

1923(T12) 治安維持令 緊急勅令として公布
        (既にある条例などと重複、強化)

1925(T14)  治安維持法
     
第1条1項 
       国体もしくは政体を変革しまたは私有財産制度を否認することを
       目的として結社を組織しぬは情を知りて之に加入すたる者は
       10年以下の懲役または禁錮に処す
 
       (カタカナをひらがなにしています)

          ※国体変革をおそれ普通選挙法とセットで出来た。

                   

1928(S3) 「改悪」治安維持法(緊急勅令)

          1.最高刑を死刑に
          2.目的遂行罪をもうけ、支持者も処罰の対象とした

第1条1項 
        国体を変革することを目的として結社を組織したる者または
        結社の役員其の他の指導者たる任務に従事したる者は
        死刑 または無期 若しくは禁錮に処し、
        情を知りて結社に加入したる者
        または結社の目的遂行のためにする行為を為したる者は
        2年以上の有期懲役または禁錮の処す

        私有財産制度を否認することを目的として結社を組織したる者
        または結社の目的遂行の為になる行為をを為したる者は
        10年以下、懲役または禁錮に処す

        前二項の未遂罪は之を罰す
         
         (カタカナをひらがなにしています)


◆学生運動の高揚

 始まりは1918(T7)東京帝大新人会、早稲田大学民人同盟会の結成
 普選運動が主な活動

1922(T11) ロシア革命5周年記念日に「学生連合会」結成

1923(T12) 一高、三高、浦高生らで「高等学校連盟」発足

1924(T13) 大学、高専49校の学生による「学生社会科学連合会」

1925(T14) 陸軍現役将校学校配属令(勅令)

 ※軍縮により失業とする軍人のために
  現役将校を軍事教育の教官として配置し
  学生生徒の予備軍化と思想善導をはかったもの


  学連を中心に軍事教育反対運動
  「学連第2回全国大会」京都帝大学生控所
  文相が社会科学研究会に解散命令出す


◆学生たちの動き次々弾圧されてゆく

☆治安維持法適用第一号の学連事件の発生

1925(T14) 京都の学生一斉取締り、しかし全員釈放

1926(T15) 全国的規模で社会科学研究会員を検挙

   学連に関係ありとみられた河上肇(京大)山本宣治、河野密(同志社)
   河上丈太郎(関西学院)らの教授、講師の家まで捜索

   東京・日本女子大の女学生、女子学生社会科学連合会の結成協議

1927(S2) 学連事件判決 治安維持法違反で有罪
       次々と重い罪に問われた

            ・
            ・
            ・
     その後 治安維持法 は更なる改悪へ


 

昭和 | 00:00:05 | Comments(0)

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