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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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ロンドン海軍軍縮会議
善方先生の本が出来ました。
 「さくら ~ある少年の体験記~」
 先生の戦争で体験したこと、戦後どう生きてきたのか
 そのお話が紙芝居になり、紙芝居からこの冊子が生まれました。

 戦争で亡くなっていった多くの命とその無念の思いを決して忘れず
 二度と同じような世の中にしてはいけないと
 それが自分に課せられた使命であると常に熱い思いを胸に抱き
 多くの方との出会いに感謝し誠実に真摯に生きてこられた先生。
 たくさんの方たちに愛され尊敬されている先生の思いが
 こうして形になって本当に嬉しいです。 

 この本をご希望の方は冊子代100円でお分けしますので
 コメント欄にお書き下さい。

   さくら



浜口雄幸内閣とロンドン海軍軍縮会議

浜口雄幸内閣はなんとしても軍縮をまとめたかったが
海軍の反対派や右翼は強硬に抵抗した


当時の社会情勢

★田中義一内閣では財政拡大路線と中国進出により経済が悪化
 満州某重大事件によって田中内閣が倒れた後できた浜口雄幸内閣は
 経済立て直しのために軍縮と金解禁が政策の両輪であった

濱口雄幸 - Wikipedia

★軍縮は1921(T10)ワシントン会議以来の世界的傾向
 各国の建艦競争は国民に過大な負担
 ※戦艦一隻の建造費約3500万円、地租収入1ヶ年約7400万円
 ※日本の海軍費の推移 
    1921(T10)4億4300万円 → 1924(T13)2億2400万円

★1921.11.12~のワシントン会議では主力艦の制限が決まった

  (保有率) 英・米・日・仏・伊 5:5:3:1.67:1.67

★補助艦に関しては1927(S2)ジュネーブ会議で話が決裂

★アメリカで1929(S4)軍拡計画が承認されたことが刺激となり
 他国も大型巡洋艦建造競争となり国民の税負担増大し
 米・英・日・仏・伊からも軍縮を望む声が高まった

ロンドン海軍軍縮会議 1930(S5)1.21~

ロンドン海軍軍縮会議 - Wikipedia

★主席全権はかつての首相の若槻禮次郎
 (軍部を恐れて他に引き受ける者おらず)
 他に財部彪海軍大臣、松平恒雄駐英大使らが出席

★政府が若槻らに与えた訓令
 ①補助艦全体の対米比率を7割とする
 ②大型巡洋艦も対米7割
 ③潜水艦については78000トンの現有量を保持する

★若槻らは会議前11.30アメリカでフーバー大統領に対米7割の意向伝えたが
 アメリカは明確な言質を与えなかった

★開会後、各国必要な理由陳述するのみでトン数を明示せず
 若槻も脅威を与えず、受けず、実質的縮小という「無脅威縮小」の
 基本姿勢を述べるにとどまり実質的な討議は非公式会談で
 (公式に述べるとマスコミ発表され国民が騒ぐので会議の邪魔になるため)
 軍縮提案


★日本の最大の交渉相手の米は日本の対米6割を主張し交渉は難航

★若槻から浜口首相、幣原外相に協定不成立の見込みだが
 要求受け入れられなければ引き揚げる覚悟と打電

★政府から同日、決裂は国家の将来に大きな影響があるので
 なんとか海軍部内を動かす方法に出られたしと返電

★3.13日米妥協案が成立
 
 ・日本側、補助艦総括で対米6割9分7厘5毛 大型巡洋艦6割
 ・米側、3隻の機構をこうらせ1936(S11)までの条約期間中は7割
  潜水艦は5万2700トンで均等とする

軍縮に対する軍部の反応など

★3.15 妥協案受諾を了とする請訓電、外務省受信

 加藤寛治部長・末次信正次長(条約反対派急先鋒)に
 伏見宮軍事参議官や東郷平八郎が同調し絶対反対

 ※東郷平八郎は自らの実戦経験から対米8割を主張していた
  日露戦争の英雄ということで彼の主張は軍部の中で尊重されていた

★3.19 加藤寛治は浜口首相を訪ねて1時間以上反対意見を具申

★海軍内の条約批准派トリオ
 山梨勝之進海軍次官・堀悌吉軍務局長・古賀峯一先任副官は
 政治問題になることをおそれ岡田啓介軍事参議官に仲買を依頼

★3.26 海軍最高幹部会招集
 堀軍務局長提案の「今後の方針」審議、承認される
 海軍としては今一押しの全権の努力が欲しいが不採用でも政府に従う決定

★3.31 政府は全権請訓を受諾する回訓案を翌日閣議に提出
 首相は岡田、加藤、山梨を事前に招き回訓案提示するが
 加藤は「用兵作戦上、軍令部長としては責任とれない」

★4.25 浜口首相の施政方針演説後、幣原外相が演説
 「あくまで我国の自主性にもとづいて締結したものである」と力説

 野党の政友会総裁 犬養毅は
 「軍令部が反対する兵力量では国民は安心できない」 

 (歴史の皮肉で2年後軍部によって暗殺された)

 政友会幹部・鳩山一郎(右翼)
 「政府が軍令部長の意見に反し、無視して回訓を決定したのは
  統帥権の干犯のおそれがある」
         ↓
 浜口首相は統帥権に関して仮定の問題で答えられないと
 軍部をおそれて曖昧な答弁をした

★美濃部達吉東大教授は論文の中で兵力量の決定は
 国の外交および財政に密接に関係する事項であり
 国の政務に属し内閣のみが輔弼の任(国務大臣が全責任負う)
 にあたるべきもので軍令部に属するものではないと述べる

★5.19 財部全権一行が若槻全権より一足先に帰国
 加藤寛治軍令部長は海相の辞職と内閣崩壊をはかり
 上奏書を財部海相に手渡したが財部はそのまま預かっておく

★5.20 軍令部参謀、草刈栄治少佐が列車の中で抗議の自刃
 条約反対派は草刈を軍縮の犠牲として祭り上げた

★「海軍軍縮国民同志会」右翼が結成
 頭山満・内田良平・大川周明・北吟吉・岩田愛之助らが
 「ロンドン軍縮は米英の世界支配をねらった陰謀であり日本弱体化政策」
 と非難し右翼の大同団結運動を展開

          ↓
 このような右翼的土壌から11.14に右翼の佐郷谷留雄によって
 浜口首相狙撃事件がおこり、その傷がもとで5ヶ月後に亡くなる

 体制に反対する左翼の方は拷問され惨殺されたりしたが
 右翼の犯人は特赦で出られて戦後は右翼活動のリーダーに

★加藤軍令部長は直接天皇に政府を糾弾する上奏文を奏上
 天皇は財部海相に一任し、軍令部長を更迭し軍事参議官に任命

★帝国憲法ではいっさいの条約は枢密院の審査を経て天皇が批准

 7月枢密院に上程
 (右翼団体の総裁の)平沼騏一郎議長と伊東巳代治(親軍部派)は
 条約に反対し難題ふきかけ審議を引き延ばしていた
 ぶつかり合い

★元老の西園寺は高齢であったが枢密院が不条理なことを言えば
 首相は断固として議長、副議長を変えてもいいと支援表明

★民衆は軍縮を支持した
 民衆は熱狂し歓迎
 若槻全権の帰国には大衆が熱狂的に歓迎した

★9.17 最終審議委員会

 伊東は世論を見て保身のために賛成にまわり全員一致で可決

★新聞は枢密院と政友会の敗北と報道

★軍縮の浮いた予算は国民に還元されず

 1930(S5)年度予算 16億864万円

 1931(S6)年度予算 14億4800万円

 ・ロンドン軍縮条約成立で生じた剰余金5億800万の使途
           ↓
     3億7400万円の海軍補充費

     減税1億3400円(一戸あたり8厘)

★1931.3  3月事件 橋本欣五郎ら桜会が中心にクーデター未遂
  1931.10 10月事件 9月満州事変後に大川周明らがクーデター未遂


ロンドン条約と統帥権干犯問題は
軍部急進派と右翼団体の憤激と危機感をあおり
暗殺、クーデターの引き金となった。
昭和初期の日本は非合理の支配する
「狂気の時代」に近づきつつあった。

北一輝『世の中の大きな動きは理屈以上の力に依って動く』


 






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昭和 | 23:07:57 | Comments(2)
治安維持法に反対 山本宣治(2)





  先生はよく京都を訪ねて“昔の方”に会いに行きます。

  「京都に行った時訪ねた山本宣治の碑と生家の料亭です。
  宇治の観光案内所に行って尋ねたら
  しまってあった資料を出して来てくれました。
  立派な政治家なのに地元でもこんな扱いでした。」
  と残念そうにおっしゃっていました。

  山本宣治の碑の前で
  山本宣治の碑

  実家の花やしきの料亭の前で
  実家の料亭


治安維持法とその改悪は「国体」という
天皇を神とする国家体制を維持するための
きわめて粗雑で悪質な法律でした。

ただ一人治安維持法に真っ向から反対して
右翼に暗殺された山本宣治。
何故彼は治安維持法に反対したのでしょうか。

支配階級が労働者たちから搾取している政治体制と
それを維持するために治安維持法を利用し拡大解釈し
違法な取締りをしようという国家の犯罪に対して
国会議員として勇気をもって弾劾しようとしたのでした。

彼を刺したのは右翼でしたが、
彼を本当に殺したのは国家だったのでしょう。
講義の中で国家権力が右翼の犯行を黙認し
裁判では犯人が軽い刑ですんだことを知りました。
彼の国会でするはずだった演説の原稿を読むと
驚くほど今の状況とシンクロする部分があります。
昭和の初期に彼を失った日本は
無謀な戦争への道をひた走り破滅へと向かいました。
同じ轍を踏まないためにも今一度彼の言葉に耳を傾けましょう。

★治安維持法はどう改正されたのか
 (1928年6月29日公布施行)

・国家体制を変えようという者、私有財産制度否定者は
 十年以下の懲役か禁固刑。
            ↓
・国家体制を変えようとした者は死刑か無期
 もしくは五年以上の懲役もしくは禁固刑。

 私有財産否定目的の結社組織者、役員などは
 十年以下の懲役または禁固刑

 非常に刑が重くなった


★時代背景

・日本共産党の弾圧 --- 3・15事件(1928.3.15)

・山本の死で日本共産党は壊滅的な打撃を受ける。

・浜口内閣。インフレ、緊縮政策。産業合理化して立て直そうとした。

・自由主義的資本主義から国家独占資本主義へと変貌。


★山本宣治の出来なかった演説の原稿
「治安維持法改悪反対 --- 前衛虐殺法反対」


(1~6略)
        7
 さて、次に、議会政治とは何かという問題を解剖して見なければならない。
この議会政治は、人民の代表によって、誠治の大綱方針が決定されるところの
民主主義的な存在であるというように幻想されているものである。
従って、議会政治には、人民の意志が入っているものだという風に説明され
是認されているはずである。
 しかるに、その実質はどうであるか。
 それは、あまりにもキレイに、右の幻想を粉砕するものである。
いまや、議会政治は美事まり資本家階級の政治機関として、
その本質を露呈するに至っている。
 ことに、その適例として、緊急勅令というものの発布によって、
議会政治というものが、どんなにもなるものだという事が証明されるのである。
この間の形式的な議会については憲法違反の問題として、
既に述べつくされているようだから再言しないが、ともかく、
資本家階級の必要に応じていつでも緊急勅令というものが
濫発されるということが、判然して来た。
 すなわち、いうところの議会政治は、完全に破壊されて、
一般大衆の眼を欺くための偽装としてのみ価値と意義をもったものだと
断言出来るのである。
されば、わたくしは、この確信のもとに、
この帝国議会へ臨んでいる次第である。

         8
 治安維持法は、いまや、もっとも悪辣に改悪されようとする。
最大十年というのを、死刑、無期、五ヵ年以上というような
極刑をもってするに至った。
 然しながら、その法文の内容は、極めて曖昧である。
 その第一は××(伏字=国体)であるが、いったい××とは何か
という観念が、極めて粗雑である。
しかも粗雑なばかりでなく、これを神秘化して、
支配階級弾圧の口実たらしめようとしていることを見なければならない。
いうまでもなく、××とは人民から独立したところの存在ではない。
××こそは、その国土の中にある人民である。
したがって、人民の多数がすなわち、××の内的概念であり要素である。
果たしてそうだとすれば、××こそは、無産階級の存在の上にのみ
樹てられてるものである。
然るに、血迷える俗学者を始めとして、××を×(主)権と結びつけたところの
絶対権だとしていることは、甚だしい虚構である。

 第二は××××(私有財産)制度の変革ということである。
××××(私有財産)という制度を、永久化することは、
さしあたり、今の資本家、地主の要望である。
そのために、彼らが、このうましき現実を、未来永劫にわたって確保、
-維持-発展しようとしているのである。
それだからこそ、この制度を変革されることに対して死に物狂いの闘争を
決意するのであろう。
 だがしかし、この××××(私有財産)せいどこそは、被支配階級から
強奪したものの集積の歴史を持っているところの制度であり、
したがって、労働者・農民の恨みをもって綴られたる歴史をもつのである。
之を近く、明治維新の歴史を見るも、現在の皇室領及び国有財産中には
無料没収という行動がとられてことを回顧することが出来るはずである。

 しかも、この制度は、今日資本主義国家の発展自身にたいする桎梏となり
労働者・農民を生活難につき落とすところのお障害物となっていることは
極めて明瞭である。
さればこそ、国民の生活向上のための唯一の道は、
この××××(私有財産)制度の破壊をなさない以上、
もはや動きがとれないということは、明瞭である。
このように、必要なことであるにもかかわらず、
かかる障害物の除去という方向に動く無産階級の開放運動を、
厳罰に処するということは、実に理不尽もまた甚だしいことである。

 第三は「変革」という点に関するものであるが、われらは、
あらゆる社会進化の段階を、躍動せる歴史的事実として見るものである。
さればこそ、われらにとって重要なものは、この変革の道である。
しかるに、治安維持法の狙うところのものは、
資本主義の「七つ道具」を、守護するために、
この意義ある歴史的事実をすべて抹殺し、
変革に処するものを厳罰しようという。
しかるに、その場合厳罰の目的となる「変革」という観念を
法律的にどう解釈するかという点が、不明確である。
これすなわり、この法律の濫用を意図したものであろう。

 従来の例によれば、当局は、議会で説明した点や
司法省や内務省で声明を発しておいたことを何の造作もなく
でたらめに解釈・適用し去っている。
このことは、第五十議会における小川『平吉』法相の説明や、
その年の、内務・司法両省から発表されたところの声明が
完全に「嘘のための方便」となっていることは、
現に共産党事件に連坐されられている同士諸君について見れば、
極めて明らかである。
たとえば、運動の外廓にあるものは、処罰しないと言っておきながら
依然として、これを処罰していることや、
なんら治安維持法の範囲内へ入らないところの
京大学生事件などというものをデッチ上げて惨酷な処罰をしたことや、
なんら犯罪にあたらないところの外廓を、
今なお鉄窓の裡につないでいる如きは、明らかな事実である。

 しかるに、いまここに、改悪案を掲げて、極刑に問おうとするのは、
従来、嘘と不法とで固めた方法にあきたらずして、
今後ますます兇暴なる弾圧に曝そうという意図に過ぎない。

 わたくしは、労働者・農民の代表として、
帝国議会に臨んでいるものとして、かかる悪法・緊急勅令を
永久化することには、徹底的に反対なものである。
悪法・悪勅令の撤廃をこそ、あくまでも高唱してやまないものである。

(9~10略)
          11
従来、わが国において、いわゆる国事犯=政治犯
というものがあった。だがしかし、これらのものは
反対党の闘士を弾圧するための合法的犯罪として、
この犯罪が特殊的な取り扱いをうけていたものである。



★山本宣治あれこれ

山本宣治の筆跡
山本宣治の筆跡

山本宣治は行動する生物学者であった。
学問と政治の関係を問い詰めつつ無産者生物学にむかった。


母 多年(たね)の晩年の歌

  「かくあれば かくなることとしりながら
         ついにゆきにし 君をぞ思ふ」


長野の別所温泉に山本宣治の碑がある訳

死の四日前に共産党の高倉輝に呼ばれて信州で農民たちの前で演説。
感銘をあたえる。その後彼が殺されると高倉たちが碑を建てた。
3.15事件で高倉が追放され碑も潰されそうになるが
かしわや旅館が碑を隠して保管し戦後また建てられた。

こちらに碑の写真や建っている周辺の写真がたくさん出ています。
散歩の変人 : 別所温泉



昭和 | 01:06:50 | Comments(0)

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