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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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「一国万民」の国家理念の普及
明治政府は宗教と教育で天皇制を徹底
10/12
 「皇民作法」という本です。
 おかしなところもありますが、
 今私たちが身につけなければいけない作法も出ていて
 非常に面白い本です。
  10月14日10期三回目
 古本市に行くと楽しいです。
 すごく嬉しいのは書き込みがあるものなど安くなるし、
 いろんな人がどこに力点を置いて読んだのかわかるので
 読んでいて臨場感があります。       


昭和10年代(1930年代)天皇に対する特別な感情が
根強くしみこんで行ったのは何故だったのか


1.宗教による天皇支配の徹底

★天皇信仰強化のために神社を系列化

・新神社の創建と神社合併

・1869 招魂社=靖国神社
     官軍の兵士と国の戦死者を祀り、死者の神格化

・1871(M4)系列化する 

  神宮
   |
  官幣社(かんぺいしゃ=国営)(靖国神社は別格)
   |   大65 中23 小5 別格8 計101社
   |
  国幣社 (国が管理するが天皇とは繋がってない)
   |   大(戸隠、金比羅、熊野など)中小
   |
  府県社
   |
  郷社   町や村の中心
   |
  町村社
   |
  無格社  田舎の小さな祠

・一村一社で19万社の町村社、無格社が10万社に削減される
   
  多い所 三重・・・・10411 → 989(伊勢神宮がある)
       和歌山・・・3772  → 874(大逆事件参加者多し)

  南方熊楠は精神の自由から反対した。

・町村是 制定運動 → 中央集権化

    信仰の頂点に天照大神と天皇をおいた

      格付け後の神社と廃仏毀釈の寺

格付けにより大きな神社に人が集まるようになる
小さなところは不満が溜まるが諦めざるをえない

末社を信仰していた人たちは必ずしも天皇信仰でなく
氏神様を大切にしていたと思われるが
建前としてそれは言えない状況

廃仏毀釈後のお寺のダメージ
祖先信仰は廃らなかったので庶民はお寺に行った
国の保護はなくなり副業で農業をやったりした


 
★大多数の農民の日常的基本原理

・農民の日常生活の行動規範となったのは祖先信仰
 祖先に恥じないような生き方

・地域社会の共同体(稲刈りなど協同作業)の信仰の対象は氏神信仰

穀霊信仰 稲に宿る神
 大嘗祭はそれを利用した天皇が神になる行事

太陽神信仰

    自然に根ざした土着の信仰があった

★天皇の巡幸の利用

・明治9年(1876)から明治10年代前半に各地を巡幸している

・秩父事件など自由民権運動がおこった時期に天皇が巡幸

・時の政府と天皇が自由民権運動を抑えるために利用

 巡幸始めた1876年農村地帯での庶民の姿の記録(仙台)によると
 みな泥だらけの日常生活のまま「それ拝まぬか」とたたき起こされ
 特に緊張する様子も無く天皇を迎えていた。
 しかし1881年の酒田では10日間で10万人余り巡幸に参加し
 天皇を有難がる様子が記録されている
 
    巧みに天皇への信仰を民衆に浸透させた

★天皇のために死ねるという思想の流れ

 楠正成 
 「七生報国」例え死んだとしても七度生き返って国のために報いること
   ↓
 本居宣長 
   ↓
 吉田松陰(明治のリーダー、伊藤博文や山県有朋など育てた)

 「生きることは天皇のために死ぬこと」
 「死ぬことは永遠に生きること」
 永遠の生を受けることができるのは天皇のおかげ

★本居宣長が明治の思想のルーツ

・「古事記伝」1764-98の宣長の天皇論「直毘霊(なおびのみたま)」

 人は皆、産巣日(むすび)神の御霊によりて、生まれつるまにまに…

        ↓ (現代語にすると)
 
 人間というものは、みなムスビの神の御霊力によって、生まれ来た
 そのままで自分にふさわしい行為をなすことのできる存在なのであるから
 かつての多きなる聖代には、どんなに下の人であっても、ただただ、
 天皇の御心を自分の心として、ひたすら天皇の仰せを畏敬の念とともに
 うけたまわってはそれに従い、ただ天皇の大いなる恵みのなかに安らい
 ひとり一人が自分の祖先の祭祀をおこないおこないして、分相応の
 できるかぎりのことをして、おだやかに楽しく生活するほか格別に
 しなければならないこともなかったのだから…   

    天皇は「善悪の彼岸」に在る神

 ※しかし歴史を振り返ると桓武天皇は権力争いし
  終生怨霊に苦しめられたなど、神様らしからぬ人間くささであった

      江戸幕府が本居宣長を認めたわけ

天皇より征夷大将軍の位を貰っている将軍
国司・何々の上(かみ) 
大名も全て縦の関係で成り立っている

天皇が実権を持つと困るので祭祀専門の地位に置いた。
綱吉は頭のいい将軍で途絶えていた大嘗祭を復活させて
天皇をあらためて神にし権威を利用した。


2.天皇中心の国家作りの教育

 吉田松陰の作った言葉「一君万民
 ただ一人の君主にのみ生来の権威・権限を認め、
 その他の臣下・人民の間には原則として
 一切の差別・身分差を認めないとする思想・主張

①文字を通して国家による国民に対する「支配通路」の確立

②富国強兵、殖産興業を実らせる

③一国万民の理念を理性を通して浸潤させる

 「教育勅語」=天皇自身が作った絶対のもの

 ※当時は教師は出来上がった体系的知識を次の世代に伝えることを
  役割とする「伝達者」で上からのものを全てそのまま伝えるだけ。 
  決まったことしか喋れない、教えられない。
  師範学校ではもの言わざる教師でしかいられない。

★修身の中味

・「修身訓話・工女の鑑」1912(M45)製糸織物新報社発行

 人ニハ男女老幼ノ差別ガアリマシテ男ハ男タル本分ヲ尽クシ…

        ↓ (現代語にすると)

 男女老幼の差別があり、それぞれの道を守らなければならず(中略)
 工場に居る間は主人重役たちを父と思い
 忠実に仕えなければいけません
 主人への恩返しは、命令に従い撓(たゆ)まず屈せず仕事に精出し
 工場に勤めて多くの糸を外国に売り込みたくさんのお金を
 外国から儲けるようにするのが天皇への忠義である
 工女自身、規律が必要なことを自覚してすすんで厳守し…

・「第2期国定教科書 高等科2年修身教科書」

 女子が内にいて一家の世話をなし、家庭の和楽を図るはやがて
 一国の良風美俗を造る所以なり
 女子の母として子どもを育つることの良否はやがて其の子の
 人となりに影響し延いては国家の盛衰に関係するものなり
 
    日本の教育は政府が上から押し付ける限り天皇制のもと
    資本家、地主階級の利益に奉仕する教育となる



★教学聖旨・元田永孚の考え

教学聖旨

元田永孚(えいふ)という儒教学者が実際に執筆し
1879(M12)天皇名で出された教育方針

元田は洋風開化の実学的教育を戒め、仁義忠孝の徳育教育を
教育の中心にすえることを説いた
「教育勅語」の起草に関わった天皇絶対主義の推進者の一人

 仁義忠孝ノ心ハ人皆之有リ、然レドモ其幼少ノ始メニ、
 其脳髄ニ感覚セシメテ培養スルニ非レバ、…

        ↓ (現代語にすると)

 仁義忠孝の心が皆あるけれど、小さい時に脳髄に叩き込まなければ
 他の物事も耳に入ったりして先入観となったりするので
 取り返しがつかなくなる
 だから、小学校で絵図を使って古今の忠臣・義士・孝子・節婦などを
 まず説明し忠君の大儀を第一に脳髄に感覚せしめんことを要す
 そうすれば後々本末を誤ることがないだろう

    個人としてでなく、天皇の臣下、民草として生きることを求められた


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明治 | 08:49:07 | Comments(0)

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