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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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天皇機関説事件
11/23
2008年11月23日

 今日、大嘗祭の行われる日が勤労感謝の日となり
 7月に明治天皇が北海道から帰ってきて高速艇で
 東京湾に上陸した日が海の記念日となりました。
 尊王思想の的確な表現として休日が制定されて
 私たちは本当に国民主権の国家として国を作り上げて
 私たちが主権者の一人として認められているのでしょうか。

独裁国家への道筋の事件

天皇機関説事件

 美濃部達吉
 美濃部達吉

 いつの間にかファシズムが日本を覆い天皇を神聖視して
 思想・学問の自由も失われてしまった昭和の事件。

◆天皇機関説論争

 天皇自身も政府も天皇機関説は定説であると考えていたが
 次第に軍部が力をつけてきて国体に反すると非難されだした。

 1930(S5) ロンドン海軍軍縮条約で政府は
        軍令部の意向に反した条約を調印したことを野党に
        「統帥権の干犯」と非難された。
        美濃部は進言し調印への理論的根拠を提供した。

◆1935(S10)
 2.18
  本会議で在郷軍人議員・菊池武夫が国体に反すると攻撃

 2.25
  美濃部達吉、貴族院本会議で天皇機関説の正当性を説く

 2.29
  江藤源九郎衆議院議員、美濃部を不敬罪で告発
  これを契機に右翼団体、機関説撲滅同盟を結成
  野党 政友会も同調

 3.4
  岡田啓介首相、議会で天皇機関説反対を表明後
  4月23日までに貴族院、衆議院、断固たる処置を要求

  教育総監真崎甚三郎、全陸軍に「国体に反するもの」通達

  在郷軍人会、排撃パンフレット15万部全国に配布

1954年の文芸春秋臨時増刊
「狙撃された天皇機関説」

 美濃部達吉さんの息子さんでお亡くなりになった美濃部亮吉さんが
 東京教育大学教授時代に父親の思いを綴った文章。

1954年文芸春秋臨時増刊
 
~内容をごく簡単に要約します~

★天皇機関説事件とは

■天皇機関説とは

 美濃部達吉に代表される
 戦前の日本の憲法の解釈のひとつで
 国家と言うのは一つの法人のような有機的な組織で
 天皇はその機関のひとつであるので
 天皇も国家に奉仕すべきもので憲法の制限がある。

■当時の政治状況

 満州事変から戦火は広がって、国内ではファッショ勢力広がる
 バックに軍部がついて右翼団体が強力な反対運動展開

 父の著書は30年間に渡って発売されて大学で講義され
 高等文官試験もそれに基づいて作られていたが
 ほとんど発禁処分となってしまう
 憲法概要

■機関説が攻撃されたわけ

 軍部は天皇を神聖犯すべからざるものに祭り上げ
 天皇の名の下においてあらゆることを独裁的に
 やってゆきたかったのであろう

■本だけでなく著者までも

 社会から葬り去らなければならないと考えた
 父は出版法違反で告訴され一切の公職を辞したが
 更に追求の手を止めなかった

■事件がおこる

 S11年2月1日ある右翼団体から派遣された刺客によって
 父の足が拳銃で撃たれた

★美濃部達吉の人となり

■庶民的で民主的

 痩せていてお酒が好きで映画と探偵小説が好き
 お酒がない時は国民酒場の前に並んだ
 何事によらず『特権』が嫌いで
 自動車に乗るのも大嫌い
 頑固で正しいことは通用すると確信していた
 空襲の時も疎開も防空壕も拒否して
 空襲の中座敷で頑張っていた
 頑固さと学者の良心で孤立無援の中で
 あれほどの激しい壓迫でも頑張りとおせたのだろう

 父を支持する人たちもいたと思うが
 右翼や軍部を恐れて誰も公然と支持しなかった
 ただ一人時の逓信大臣の望月圭介だけは父を擁護

 死んだのはS24毎晩晩酌をしていたのに
 ある日気分が悪いといってお酒を飲まず
 その日に発病して意識不明のまま死んでしまった

★「一身上の弁明」

■貴族院で菊池武夫に対する反駁

 S10.2.25 満員の貴族院で演説

 「一身上の弁明」

 菊池が機関説が反逆思想と断じ学匪とののしったことに対して
 S10.2.25満員の貴族院で弁明をする

 貴族院で証言

 理路整然と主要二点を説く

・天皇の統治は権利でなく機能であること
 国の最高機関として天下国家のために
 統治の大権をもっておられる

・統治の大権は万能無制限のものでなく
 憲法の条規に従ってのみ行いうる機能である

        ↓
 議会を無視して独裁的になんでもやろうとする
 軍部やファッショにしてみれば都合の悪い理論

■最後の言葉に拍手がおこるが

 若し私の学説に付て批評せられまするならば
 処々から拾ひ集めた断片的な片言隻句を捉へて
 徒に誹謗中傷の言を放たれるのではなく,
 真に私の著書の全体を通読して,前後の脈略を明にし,
 真の意味を理解して然る後に批評せられたいことであります。
 之を以て弁明の辞と致します。


 (貴族院の議場に万雷の拍手がおこる)

 父は政治家が嫌いであり、あまりにも学者的であった
 理論的に反対論を封じれば終わりだと思っていた
 しかしこれが始まりであった

★こうして機関説は葬り去られた

■政府により追い詰められてゆく

 右翼の排撃運動がエスカレート
 陸海軍も容認しないことを声明
 議会の権能を評価する機関説を政党(政友会)さえ反対

 外部からの圧力により政府も次第に態度が硬化
 「国体明徴」の声明を出して機関説を否定

 S10.4.6不敬事件として告発されたので取り調べうける
 (前日は満州国皇帝が日本を訪問し話題となっていた)
 4.9憲法の著書の大部分が発禁になった
         ↓
 精神的にも経済的にも打撃
 茅ヶ崎の別荘を売ってしのいだりした

■迷惑な護衛がつく

 十数人の巡査が護衛としてたむろし
 私人の費用は自腹なので食事代薪や炭の支給
 女中たちに悪ふざけされたりして厄介者

■舞い込む脅迫状

 そのころ毎日のように下記のようなばからしい脅迫状が届く

 「萬邦無比ナル我國体ノ尊厳ヲ冒涜スル天皇機関説ヲ
  多年ニ亘リ提唱且ツ大権ヲ私議スルハ将ニ逆賊ノ
  所為ナリト断ゼザルヲ得ズ
  我等ハ悲憤極マリナク斯カル國民ヲ惑ス学説ノ絶滅ヲ
  期スルモノナリ
  茲ニ皇民九千萬ノ名ニ於イテ敢エテ先ヅ貴下ノ反省ト
  虔澤ヲ促ス」

 それでも父は自説を曲げなかった

■公職辞退

 機関説排撃の運動は時と共に熾烈になっていった
 初めは同情的な新聞も次第に排撃的となる
 
 天皇は非公式に機関説は正しいとし
 美濃部は不忠の臣ではないと言ったが
 政府は軍部・右翼と天皇の間で進退窮まる

 不敬事件の起訴を断念した司法当局は
 出版法違反で起訴すると父を脅し
 公職を辞すれば起訴しないと内密に言ってくる
 右翼の暴力の危険もあると脅される

 誇りをもって政府の脅しにも屈しないつもりだったが
 年来の親友の松本烝治博士や近親のものの懇願で
 世間を騒がせた責任を感じ公職を辞退することを決心
 機関説の誤りを認めたのではないと声明を出す

■凶弾からファッショへ

 S10.9新聞に「学説の間違いを認めたのではない」
 というコミュニケを発表すると軍部が騒ぎ出し
 政府からも圧力があり父もこれ以上仕方ないと
 その声明を取り消した

 S11.2.1小田某と名乗る青年が吉祥寺の自宅を訪ね
 九州大学の父の教え子で満州への転任の挨拶といい
 果物籠を手土産に応接間に通された
 
 二階に本を取りに行って応接間に戻った時に
 青年が果物籠から斬かん状とピストルをとりだしてた
 見かけに似合わず敏捷な父は、いち早く戸外に逃げ出し
 門を出てとなりの空き地を逃走中、弾丸が足に命中したが
 逃げおおせた
 
 しかし十数名いた護衛中の警官たちは
 こっけいなことに、くもの子を散らすように逃げ去った
 
 天皇機関説は完全に葬り去られた
 ファッショは、天皇の名によってあらゆる悪事を働いた
 機関説の排撃は、独裁への道に横たわっていた
 最初の障害物であったのである


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昭和 | 09:40:03 | Comments(0)
大正・昭和の文化 その2
12/14
~昔の学校の関係の写真集~
  昔の学校などの写真です
  ご真影は忠君愛国を養うために
  一番最初にに師範学校にいきました。
  師範学校で習ってそれを学校で伝えたのでした。


★社会科学

 ◇政治学 
  吉野作造(1878~1933)東大教授・思想家
  吉野作造

  1916(T5)「中央公論」で民本主義を主張
  主権在君下での市民の政治参加を主張
  学生団体『新人会』の指導、黎明会を結成

 ◇法学
  美濃部達吉(1873~1948)東大教授・憲法学者
  美濃部達吉

  『天皇機関説』(国家法人説)
  大正期の学会の定説であったが1935年(S10)貴族院の菊池武夫が
  反国体的学説と非難し政府に取締りを要求
  著書は発禁となり美濃部は貴族院議員を辞任した

  『天皇主権説』上杉慎吉(1878~1929)東大教授・憲法学者
  興国同士会・七生会(東大)などの右翼団体を結成

 ◇経済学
  河上肇(1879~1946)
  河上肇

  古典派の経済学を研究
  京大で経済学を講じながら「大阪朝日新聞」に『貧乏物語』連載
  奢侈の根絶により貧乏を廃絶する
  1919(T8)雑誌「社会問題研究」を創刊して
  マルクス主義の研究、著作に入る
  1928(S3)京大を追われ32年共産党に入党、翌年検挙、入獄

      ~二つの経済学の学派~

アダム・スミス 古典派 1723-1790
 資本主義経済がスタートした時始まった経済学
 個人や企業がそれぞれ利潤追求しても『見えざる手』が働いて
 社会全体の利益がもたらされるであろう
   ↓
 経済は自由放任で大丈夫、民間に委ねればよい
 国家は経済に立ち入れない
 国家がやることは国防、司法、公共事業だけでよい

===資本主義経済の問題点が露呈して===

ケインズ ケインジアン 1883-1946
 あまりにもA・スミスは空想的、
 自由放任経済で 完全雇用が実現できない
 政府は積極的に経済介入し完全雇用を作り出すべき

=====================
            ↓
 1929年アメリカで恐慌後にとったニューディール政策
 (ケインズの考え方が基盤となった)
 資本主義を肯定しながら、そこで生ずる恐慌、失業、貧困
 などを国が積極的に経済に介入し公共投資をしながら
 社会福祉分野の支出を増加してゆき景気回復してゆく 
  


 ◇哲学
  西田幾多郎(1870-1945) 哲学者、京大教授
  西田幾多郎
  東洋の伝統的思考(禅など)をもとに東西両思想の統一めざす
  純粋経験こそ真の実在=絶対無
   ・主観、客観が未分の具体的、直接的経験
   ・主観と客観が区別されない経験=純粋経験

  『善の研究』1911(M44)
   青春とはわからないことに気付くこと、
   わかろうということに気付くこと、
   自分自身に問いかけること

  ・善とは人格の実現

 ◇歴史学
  津田左右吉
  津田左右吉
  神代史を科学的に研究し神代の物語は政治的意図の創作で
  皇室は大和から興り、天祖を太陽神としたので
  天孫降臨の話を作り日向の地名によりその舞台が選ばれた
  日向と大和を結ぶために神武天皇説が創作されたという説

  1940(S15)皇室に不敬であると右翼に告発され4著書発禁

 ◇民俗学
  柳田国男(1875-1962) 民俗学者
  柳田国男
  農商務省の役人として明治後期の農村を見聞きし
  農政学者としても活躍「遠野物語」「石神問答」などの民俗学書
  『郷土研究』発刊、民間伝承の会創立、日本民族学の基礎を確立
  無名の庶民を『常民』と命名して民俗学の対象とした
  庶民の生活文化の変遷を明らかにして基層的文化ととらえて
  民俗学を創始した
人文自然科学の発達

★文学
1)自然主義文学

 ■自然主義文学(明治末期)から反自然主義文学(~大正初期)へ

    自然主義文学=19C後半フランスにおこった文芸思想
    現実を実験科学的のとらえて自然科学的手法で表現
    社会の矛盾を追及し社会正義への接近がみられる作品多い

    代表作家 ゾラ 代表作『居酒屋』
    ドレフュス事件で「私は弾劾する」の論陣張り真実と人間守りぬく

  ○島崎藤村(1872-1943)
   『破戒』社会的矛盾を認識する科学性不十分、内的苦悩を表現

  ○田山花袋(1871-1930)
   『蒲団』自身がモデルの告白的小説

   日本の自然主義は近代的自我の確立という意議は大きいが
   個人の内面を追求する方向をたどり、社会批判や改革の主張とはならず
   事故の生活と心境を告白する「私小説」へと変貌していった

 ■反自然主義

   創造性を重視して知識人や近代の問題を描く
   和漢洋にまたがる深い学識を備え、独自の主知的倫理的作風

  ◇高踏派 
   ○森鴎外(1862-1922)『青年』『雁』『阿部一族』  

  ◇余裕派 
   ○夏目漱石(1867-1916)
   風刺的な『我が輩は猫である』からロマン的傾向の『草枕』に転じ、
   近代人の不安と懐疑エゴイズムの追及の『それから』や
   自我を越えた則天去私の理念を志向した『明暗』

  ◇耽美派(芸術至上主義)
   自然主義のもつ日常性の閉鎖的、陰鬱な描写を否定し美の世界追求
   感覚の開放、官能的美を追求して新しいロマンを創り出そうとした

   ○永井荷風(1879-1959)『あめりか物語』『腕くらべ』

   ○谷崎潤一郎(1886-1965)『痴人の愛』『細雪』

  ◇白樺派(人道主義)
   人間の内部に在る生命の力を信じ理想主義・人道主義の立場に立ち
   個の尊厳を主張し芸術全般に影響を与えた
   同人誌『白樺』でトルストイの紹介や印象派の美術の啓蒙にも貢献
   関東大震災の1923(T12)に廃刊

   ○長与善郎(1888~1961)『青銅の基督』
    誇りに満ちた自我の確立を賛美した

   ○武者小路実篤(1885-1976)『おめでたき人』『友情』『人間万歳』
    学習院在学中にトルストイの思想に傾倒し志賀直哉らと“白樺”創刊
    人間への信頼を肯定。その思想の実践が“新しき村”の建設

   ○有島武郎(1878-1923)『ある女』『生まれ出ずる悩み』
     第一次世界大戦後の社会主義運動台頭下、ブルジョア出身者として
     矛盾に悩み北海道の有島牧場の解放を行ったが絶望の中で情死
     社会との対決の中で自己に忠実に生きることを追求した

   ○志賀直哉(1883-1983)『城の崎にて』『和解』『暗夜行路』
     強靭な自我を有した。倫理的な潔癖さ。本能的な正義感が作品の
     中核をなしている。

   ○里見(1888-1983)『多情仏心』
     "まごころ”を作品の主題に

 2)新現実主義(大正後期)

   白樺派、耽美派が失いがちの現実生活に即し冷静に観察し
   その矛盾を指摘しながら事故の存在を明らかにしようとした

  ◇新思潮派(新理知派) 主知的な手法で現実に新しい解釈を

   ○芥川龍之介(1892-1927)『鼻』『羅生門』
    東大在学中漱石の門に入り“新思潮”の同人となるが、晩年時代の
    動きを敏感に感じて動揺し自殺した。

   ○菊池寛(1888-1948)『恩讐の彼方に』
     1923年文芸春秋社を創立

   ○久米正雄(1891-1952)『破船』『学生時代』
     後に大衆文学に転じた

  ◇奇襲派(新早稲田派) かつての自然主義につながる側面

   ○広津和郎(1891-1968)『神経病時代』
     人間の行き方を追求する小説、批評を一貫して書く
     戦後松川事件の裁判批判を続けた

   ○葛西善蔵(1887-1928)『子をつれて』『哀しき父』
     貧困の中で自分の生き方を題材とする作品を残す

   ○宇野浩二(1891-1961)『蔵の中』
     庶民性とユーモアを秘めた独自の作風


 ◇新感覚派 =文学の革命と評された

   『文芸時代』によって活動 文体の革新を目指した
   直感を重視し現実の断片を感覚的にとらえ、詩情豊かに
   かつ知的に再構築することにより生命感を表現

   ○横光利一(1898-1947)『日輪』『機械』

   ○川端康成(1899-1972)『伊豆の踊り子』『山の音』『雪国』
     『伊豆の踊り子』は虚無感を底に秘めた清純で叙情豊かな作品
     『雪国』は無為徒食の男と雪国の芸者との交情話が
     叙情的な風物の描写を背景に展開
     1968年日本発のノーベル文学賞受賞

   ○中河与一(1897~)『氷る舞踏場』

   ○今東光(1898-1977)『痩せた花嫁』

 ◇プロレタリア文学運動

   大正末期から昭和初期に労働者の立場に立って既成文壇を否定し
   “革命の文学”を目指した
   1921(T10)雑誌『種蒔く人』が出発点
   相次ぐ弾圧のなか、関東大震災で解散したが翌24年『文芸戦線』
   によって再び活発化し芸術を社会革命に役立てようとした
   25年には“日本プロレタリア文芸連盟”が結成
   マルキシズム理論による芸術連盟(ナップ)の機関紙『戦旗』が
   28年に生まれ急進的な左翼運動の拠りどころとなった
   しかし官憲の厳しい弾圧が続き35年(S10)組織的な
   プロレタリア運動は壊滅に追い込まれた

  ◇機関紙『文芸戦線』

   ○葉山嘉樹(1894-1943)『淫売婦』『海に生くる人々』
    43年開拓移民として満州に渡り敗戦で帰国途中病死

   ○黒島伝治(1898-1943)『渦巻ける烏の群』

   ○平林たい子(1905-1972)『施療室にて』

  ◇機関紙『戦旗』

   ○小林多喜二(1903-1933)『蟹工船』『不在地主』
    『不在地主』が原因で北海道拓殖銀行を解雇される
    “日本プロレタリア作家同盟”の中央委員として活動中に
    治安維持法違反で入獄
    厳しい弾圧の中で非合法活動を続け『党生活者』など書くが
    1933(S8)逮捕され拷問の末虐殺された

   ○徳永直(1899-1958)『太陽のない街』
     自ら体験した1926年の協同印刷工場の争議が素材
     当時の社会の政治と関連させながら反抗する労働者を描いた

   ○中野重治(1902-1979)『むらぎも』『中野重治詩集』
     自伝小説『むらぎも』東大に入学した主人公片口安吉は
     “新人会”に入りさまざまな学生や運動を通して
     革命文学者として成長してゆく
     やがて弾圧を受けて『村の家』を中心に『転向五部作』を書いた
     戦後宮本百合子、蔵原惟人らとプロレタリア文学運動の再建をめざし
     “新日本文学会”を発足させた

   ○宮本百合子(1899-1951)『伸子』

   ○佐多稲子(1904~)『キャラメル工場から』

 ◇大衆文学

  芸術としての純文学に対し通俗的、娯楽的文学をいう
  大正期の新聞小説の盛行などにより発達
  中里介山の『大菩薩峠』に始まり『キング』『円本』の登場により
  新進作家が多く生まれ直木三十五、大仏次郎らによって
  品位と内容が高められた
  1935年に「直木賞」制定

★週刊誌・月刊誌・円本

 ◇週刊誌

  ・1922(T11)2月『旬刊朝日』創刊、4月から週刊に
   『サンデー毎日』創刊
 
 ◇月刊誌

  ・『改造』 1919(T8)山本実彦が創立した改造社より創刊
   民主主義的論調から社会主義的傾向が強くなり
   『中央公論』と並んで知識人に大きな影響を与えた

  ・『中央公論』 1887創刊の『反省会雑誌』の後身が
   吉野作造を執筆者に迎え大正デモクラシー論理的指導

  ・『文芸春秋』 1923(T12)菊池寛が文芸春秋社設立発刊

  ・『キング』 1925(T14)1月創刊の大衆娯楽雑誌
   最盛期には77万部を越える売れ行き
   以後の大衆雑誌、少年少女雑誌の流行するさきがけに

  ・『円本』1926(T15)改造社の『現代日本文学全集』一冊一円
   予約募集に23万人

   ※1924(T13)コップ6個で1円 岩波文庫☆一つ20銭

週刊誌雑誌1

週刊誌雑誌2

★市民生活の大衆化

 ◇芸能

  ・映画 
   1897(M30)フランスからシネマグラフ(活動写真)輸入
   1899 日本最初の日本映画製作 弁士(活弁が活躍)
   1931(S6) 最初の本格トーキー映画公開

  ・宝塚少女歌劇団
   1913(T2)宝塚温泉の余興出演のため少女唱歌隊として結成
   1940(S15)宝塚歌劇団と改称

市民生活の大衆化1

 ◇ラジオ放送

   1925(T14)東京放送局(愛宕山新局)より放送開始
   1926.8月 日本放送協会(NHK)設立

市民生活の大衆化2

 ◇文化住宅登場 和風住宅の玄関脇に洋風の応接間
文化住宅

 ◇円タクの登場 東京市内1円の均一料金

  自動車台数 1915(T4)1224台 → 1934(S9)一万台越す

  <東>本所区押上から南下して深川区あたり
  <西>池袋より西から新宿信濃町、渋谷あたり
  <南>五反田、品川あたり
  <北>日暮里、巣鴨あたり

 ◇地下鉄開通 1927(S2)12月 上野-浅草(2.6K)

 ◇洋食の流行

   明治のはじめ、1870年代から東京などで売られていたが普及せず
   1918(T7)の米騒動以来、代用食として注目された
   陸軍は米のとれないシベリアへの進出のため国民にパン食を
   慣れさせようと積極的にすすめた

  ・三大洋食(コロッケ カツレツ カレーライス)
 
                    (データは浜島書店刊「新詳日本史図説より)



昭和 | 23:58:24 | Comments(0)

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