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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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満州事変の前の状況
3/8
2009年1月11日

 何故中国なのに関東と呼ぶのでしょう?
 江戸時代には箱根の関所より東側が
 日本で一番重要な土地であったので
 中国の一番重要な土地を関東と呼んだのでした。

満州事変のおこる前

◆満州と蒙古


 黒龍江省、吉林省、遼寧省 を満州(東北三省)と呼んだ
 
 熱河省とその西隣の蒙古を俗に 蒙古 と呼んだ

    地図クリックすると大きくなります
          ↓
 満州

◆江戸時代からの満州へのこだわり

 ・佐藤信渕(1769~1850)思想家・経済学者

  「皇国は世界万国の根本なり」(日本主義)

  「全世界をみな皇国の郡県とするために、まず支那の征伐を
   構想し最も取り易き満州を攻略すべし。
   それより全土に及ぶべし」(宇合混合秘策1823年刊より)

 国学の影響が多分にあったせいか
 江戸末期から八紘一宇のような考え方があった



◆日本が満蒙にこだわり続けたわけは

 ①朝鮮の植民地支配の安定。対ソ戦準備に不可欠な土地。

 ②経済的地盤として重要

  後発の資本主義国家として植民地を求めた
  日本は東北四省に70%もの資本投下(英米各2% ソ連25%)
  日本の海外投資の58%に当たる

  資源の供給地
  資源の供給… 石炭63.3% 鉄23.5% 農産物豆類65.2%

 ③過剰人口の吸収地 → 満蒙開拓団

  S7年より30万人以上

 ④満州は聖地(勝手な言い分)

  神国の兵士が日露戦争で血を流した聖地

 ⑤満州確保して恐慌を乗り切り民心一新・国家改造
   軍国主義国家の樹立へ


◆当時の中国の人たちの思い

  
 中国の中学校教科書「新満州からの手紙」
 日本人の進出に対しておそれを抱いている
 中国の教科書


◆具体的にいつから支配したか


 ポーツマス条約(1905・9)から

  日露戦争は実際には勝ち負けが微妙であったために
  普通なら戦勝国で条約が結ばれるところ
  アメリカの仲立ちで米のポーツマスで条約が結ばれた。

  関東州の旅順、大連が日本の租借地となる
  旅順大連

  ※租借とは外国の領土の中のある地域を借りて
   一定期間自国で統治すること

◆旅順、大連を含む関東州租借権

 1898年 戦略的に不凍港がどうしても欲しかったロシアが旅順を
       25年間租借した
  
 ポーツマス条約5条で日本が譲り受けたが
 もともとの期限はロシアの租借期限であった

 ※営業期限 1903年から36年間
              ↓
         対華21カ条により99年間に延長(実質無期限)

◆満州の特殊権益

 ・南満州鉄道 ポーツマス条約
  6条によると、(現代語の表記にしています)
  長春-旅順口間の鉄道とその一切の支線並びに
  これに付属する一切の権利、特権、財産、…中略…
  清国政府の承諾をもって
  日本帝国政府に移転譲渡すべきことを約す

 ・旅順と長春を結ぶ東清鉄道
 東清鉄道
 
 ・ポーツマス条約6条により
  付属地の行政権や並行線並びに利益を害する支線施設禁止や
  燃料である石炭の炭鉱の権利など含まれている様々な
  長春以南の南満州鉄道経営権を得た

   ※線路を中心に幅62mも租借地となる

 ・対華21か条要求
  租借期限延長
 
 ※当時の力関係から清国はいやと言えなかった

◆次第に強まる関東軍の力

 ・1932(S7) 満州国が出来る
         関東軍の司令官は満州国の大使になる
         さらに関東州の長官にもなった

     ※軍人であり外交官であり行政官で非常に強い権限を持つ
                   ↓
         満州で陸軍が大きな力を持っていった
          
                   ↓
         戦争の発端となる満州事変を軍部が仕掛ける


◆なぜ満州と呼んだのか


 清朝を作った一族の生まれ故郷の俗称が地名に転じた。
 
 内蒙古の東部を蒙古と呼ぶことから東北三省と蒙古を
 満蒙と呼ぶようになった。

◆一般権益とは

 ペリーによる開国で苦しんだこと

  ・治外法権 ・関税自主権を認めない ・居留地

   ※特殊権益は満蒙だけであった

  その後、租界が追加される

     専管租界=杭州、蘇州、漢口、天津(日本だけ)
     共同租界=上海、あもい

◆南満州鉄道株式会社(満鉄)

 ・1906(M39)11 資本金2億円

 ・日本政府50% 清国政府と日清両国の民間から公募

 ・総裁 後藤新平

 ・配当6%(のち8%)日本では皇族家族の所有多し

◆後藤新平の作った満鉄調査部について

 ・ 宗主国(日本)の秩序の一方的な押し付けは混乱を呼び
  得策ではないので旧秩序の再編強化という手法をとった。

 ・ 旧秩序を破壊して日本流の自治制度をしくと
  それだけの国費を投じても労多くして効少なし。

  そのために伝統的な中国(従属国)の慣習を調査した。

 ・いろんな人を採用した
  
◆後藤新平の植民地経営策

 ①経済の開発
   産業の発展にはエネルギーの開発が必要
   「エネルギー開発」(水力発電)によって従来の蒸気による動力を
   電気に切り替えることで製造業が発展する

   民衆の生活レベルを引き上げる

 ②教育
   教育の偏急なる進歩は必ずや反発をかう
   (インドにおけるイギリスの文教政策の失敗)

 ③文芸的武備論(草柳大蔵「実録満鉄調査部」)

   「文事的施設を以て他の侵略に備え、一旦緩急あれば
    武断的行動を助くるの便を併せて講じておく」

    国を守るのは軍事力だけではない。
    もし外国の軍隊が攻めてきたら、おそらく地域の人たちが
    日本軍と一緒に戦ってくれるだろう。

           ↓
    今の政治家に学んで欲しい。一番大切なこと。

◆満鉄の特色

 ①満鉄の社風

  ・平社員に進言させ、反抗を許した
  ・ときには「下からの声」によって社是を変更した
  ・「自由な空気」は上からというより社員が醸造し継承
  ・「単なる営利会社ならば帝国主義的侵略の機関にすぎない
    我々は鉄道をしき学校、病院を建て経済開発を行うことにより
    満人とともに理想郷を作っているのだ」
  ・「満州を経営することは長年にわたる白人のアジア支配を
    ストップさせ東洋人のための文化圏をつくることだ」

 ②満鉄の人材

  ・伝統的に吉野作造の大正デモクラシーの洗礼を受けた
   東大「新人会」のメンバーが入ってきた
  ・松岡洋右に請われて入ってきた長老の田中清次郎は
   松岡の枢軸外交を激しく批判
  ・調査部員、貝島兼三郎は満鉄調査部月報で
   枢軸外交批判し独伊との同盟の危険性指摘
  ・田中の紹介状で貝島は軍部を説得しようと華北の軍司令部に
   出向いたが、参謀副部長に「非国民!」と罵られる
  ・他には堀江邑一、石堂清倫、伊藤好道、中西功、細川嘉六
   伊藤律、尾崎秀実など多数のマルクス主義者がいた
  ・中江兆民の息子の丑吉は毎月300円の給与をもらい学問していた
   コミンテルン出席の佐野学ぶや鍋山貞親のみた
   他人に言われると
   「使える人間に右も左もあるものか。
    キミ、左手だってステッキを持つだろう」と平然としていた。

                       (草柳大蔵「実録満鉄調査部」)

         …続く…


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昭和 | 08:55:07 | Comments(0)

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