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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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明治から続いた官僚政治のルーツ
9/13  

(ものすごく申し訳なさそうに)
8月は私にとって時間がある月ですので、また資料を作りまして
12期の当初の予定より遅れて満蒙開拓団は10月以降になりそうです。
10期で取り上げた日本の資本主義と天皇制をまた取り上げて鮎川コンチェルンが満州に進出する理由になった軍事資本の多さや、日本が国際連盟を脱退する経緯などやろうと思っています。
予定が遅れてしまってすみません。
 すみません
(常に探究心が旺盛な先生です) 



明治時代の資本主義の発達と天皇制の資金強化

★絶対主義と資本主義のかかわり

イギリス、フランスは市民革命により絶対主義が倒されてから資本主義が発展した。
日本は絶対主義(天皇制)が自ら資本主義を育成しただけでなく、資本主義の帝国主義的発展を補充した。

  何故日本の資本主義は絶対主義と結びついたのか
            ↓
  政権基盤の弱かった下級藩士出身者が作った明治政府が
  天皇制の権威を利用するために強化した


★資本主義と天皇制

1890(M23)前後から産業革命始まる
1890年輸出
1880年製品を買う余力無くて初めての恐慌発生。
1890年生産高が輸入高超える

日清戦争(1894(M27)~95)後「産業資本」確立

  当時の農民、民衆から集めた税金で官営事業を保護育成
  やがて財閥となる者たちに格安で払い下げ
  官僚と産業資本家の癒着の始まり


  ※官僚が税金を使って産業界と癒着の構造が麻生政権まで続く

①1884(M17)より官営事業を政商に払い下げ始まる
②財政と金融・重化学工業の結合(政商から財閥に)
③軍事産業中心に自ら資本主義的企業の主体となった
払い下げ
  ※軍事産業以外払い下げ ※25年ローンで優遇

★天皇制国家による軍備拡張


次第に産業の中心が軍事産業にシフトしてゆく

1881(M14) 参事院(国会開設、憲法制定のための準備の役所)出来る
        (民権運動を抑える役目もあった)
1882(M15) 参事院議長、山県有朋、タバコ増税で軍備拡張を建議
        宮中に地方長官を集め軍備拡張・租税増徴につき勅語発布
        酒税増税(地租を除く最重要税) →軍艦購入費に
        (※この年明治天皇30歳)

1887(M20) 「朕惟うに立国の務めにおいて防海の備え一日も
         緩くすべからず。しかして国庫歳入未だにわかに
         その巨費を弁じ易からず。
         朕これがために診念しここに宮禁の儲余30万円を出し
         いささかのその費を助く閣臣旨を体せよ」(詔勅)

1893(M26) 
      1.12 衆議院、明治26年度予算案修正議決
         ・軍艦建造費削除
         ・官吏俸給、官庁経費の減額など871万円削除

      1.16 第二次伊藤博文内閣は不同意(衆議院5日休会)

      2.7  衆議院内閣弾劾上草案可決(181対103)

      2.10 天皇"在廷ノ臣僚及帝国議会の各員ニ告グ”詔書発布

          「軍拡拡張のため内廷費毎年30万ずつ(1割)6年間下付
          同期間中は文武官俸給の1割を納付させ製艦費に
          あてることを命ずる」
         (※お金出すから私と同じように軍艦建造費だしなさい)
        
      2.22 衆議院、予算修正可決 製艦費全額承認他262万円削除
         (※他のは減らしたが軍艦を作るお金が通る)

      2.26 貴族院も可決

   天皇の一言でで軍事費に関することが決まった
   ブルジョアジーは絶対主義を資本主義発展の阻害とはとらえず
   かえって絶対主義の支柱である天皇制による保護・指導に頼った

■2001年の情報公開法が出来て初めて公開された天皇家の資産天皇家敗戦時の資産
 敗戦時には天皇家はこんなにも財産があった
 当時の財閥(三井、三菱・住友など)の財産資産は3~5億円)

   9月13日

■島崎藤村の「夜明け前」

幕府の天領時代には下草や枝も刈れたのに
御料林になると立ち入ることも出来なくなって農民は困る
農民を代表して天皇に直訴した父は格子の入った部屋で死んだ

■皇室自律主義

国が天皇に与えた財産については誰も口出しできない

天皇家あっての日本という立場で国家が集めた地租や酒税から
豊富な資金が天皇家に渡った

★「明治維新」とは何か

・山川出版 用語集から

西南雄藩(薩摩、長州、肥前、{土佐})の革新的下級武士の主導で
幕府を倒した後、殖産興業で富国強兵をスローガンとする
近代化政策を推進した

新政府の成立を政治の一新の意味でご維新と言うが
また中国の古語を当てて維新とも呼んだ。
幕末の尊皇攘夷運動に始まり廃藩置県の断行に至る過程を称して
明治維新と呼ぶことがある

・実教出版 必携日本史用語より

明治維新とは幕藩体制を解体した
近代天皇制国家と資本主義の成立をもらたした変革 


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明治 | 00:24:35 | Comments(0)
ファシズムの抬頭
5/24   
   5月24日善方先生

澤地久枝さんの母方の祖母は道楽者の祖父を頼らず若い時から貝の行商で暮らしをたてていました。わずかな稼ぎの中から少しずつ貯めて当時としてはかなりまとまったお金を持っていたが60歳の時の恐慌の取り付け騒ぎで全てを無くしてしまったのでした。それ以降稼ぎはたんす預金にしました。底辺の人々は救済されなかっのです。

澤地さんは自分の心臓手術の前に、歴史の本に残ってない庶民の歴史を書かねばと思ったのでした。


ファシズムの抬頭

■ヨーロッパで

ヨーロッパでは1920年代資本主義が危機を迎えていた。
中産階級が没落し将来に対する不満が出てくる
その不満の捌け口として

 ○ユダヤ人の敵視
 ○共産主義(一党独裁)に対する敵視 

■日本で

日本では経済恐慌と中国の辛亥革命の影響で
社会主義に傾きかける

 ○天皇制という国家体制を守るため右翼が軍部の後押し

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

★右翼運動の高まり
一番激しくなったのは19世紀終わりの戦争恐慌で
労働運動が広がってゆくのに比例して活発化

1.1930(S5)4.22ロンドン海軍軍縮条約調印
 政友会が条約問題で浜口内閣を攻撃(右翼に同調)
 軍令部長らが統帥権干犯論争
 東郷平八郎らが財部海相を攻撃
 11.14浜口首相が東京駅ホームで佐郷谷留雄に狙撃され重傷
  ※元関東軍特務機関・陸軍の桜会が三月事件に関係
  ※佐郷屋の背後関係の追及は不十分

2.西園寺公望の秘書の記録『西園寺公と政局』によると
 「裁判所は左傾に厳しく、右傾に甘い」
 テロ犯人の佐郷屋は恩赦で無期懲役を40年仮釈放

3.右翼の運動
 1881(M14)玄洋社 1901(M34)黒竜会から始まる
右翼団体

黒竜会が出来た1901年の社会の動き
・5.20 社会民主党結党(即日禁止)
・6. 3  日本平民党届出(再び禁止)
・10.10 田中正造、足尾鉱毒事件(古河財閥)で天皇に直訴

★右翼の思想家 北一輝(輝次郎)

・1883~1937 佐渡の醸造家の長男 早大の聴講生となる
・明治末23歳で幸徳秋水らの社会主義を批判
・国体論を強調した「国体論及び純正社会主義」を著す
 ※天皇制の元での社会主義=(復古)革新思想
・平民社同人と交わるが失望し中国革命党に入党
・辛亥革命に参加したが、孫文に反して中国から追放された
・中国革命はロシア革命の影響で五四運動に転換
・混迷を深めた北に上海に渡った大川が帰朝し指導を求めた
・1919(T8)8 猶存社結成、大川周明と新しい国造り目指す
・「日本改造法案大綱」を書いた
・この書は軍部のファシスト将校たちのバイブルとなった
・二・二六事件の後理論的指導者として処刑される
「日本改造法案大綱」とは

・小領土の日本は大領土を占有しているイギリスやロシアと戦う権利を有する
・英・露をアジアから排除し、日本を盟主とする大アジアの建設
・そのために天皇を奉って国家大改造を行う。
・階級闘争の終結
・家族と貴族院の廃止
・個人財産100万円以内、私的資本は1000万以内
 それ以上は国営国有、時価10万以上の土地所有禁止
・天皇大権を発動して3年間憲法を停止し戒厳令をしく

◆その問題点
唯一の思想に傾くと怖い
天皇制について考えず神という存在をそのまま受け入れている


★右翼の思想家 大川周明

「吾等の志」 (『月刊日本』S7年)より
・神武会は政党に非ず
 国民全体で現存勢力を倒す国民運動
・神武会の目ざすところ
 国家革新の国民運動で神武天皇の頃に戻る
・国家改造の第一歩
 根本的政策の断行(天皇制国家)
・国民全体の努力
 全国民の総努力による無私の奉公
・如何に改革するか
 世界ではロシアの右傾化、ドイツの左傾化
 日本ではこの範囲、程度の改革を実現し国難を克服
・新興団体と神武会
 愛国団体の大同団結は難しいがいつかきっと実現

          ↓
国家が最高の価値を持つ、社会主義+国家主義
  
ドイツでは第一次世界大戦後の賠償金の支払いによって
物価が上昇し生活が苦しくなった
その時ヒトラーが賠償金不払いを訴えて
国家社会主義の立場で底辺の人々を引き付けた
超国家主義(ウルトラナショナリズム)
日本では天皇中心の国体思想とファシズムが結合

神武会の復古しそうには吉田松陰の言葉が出てくる
天皇のもとに結集することが我らの幸せ

★国家主義が是認されてゆく背景

帝国主義戦争であった日清・日露戦争で
日本は帝国主義国家として成長してゆく
  ↓
日清戦争後、勝って豊かになったことで味を占めた
  ↓
日露戦争後は借金をして戦争をしたので
外債を返さなくてはいけなかった
  ↓
税金が上がったので取り返せばよい
  ↓
21カ条の要求


昭和 | 08:28:16 | Comments(0)
高橋財政の悲劇と尾崎行雄の論文
5/10
 
    5月10日善方先生

太平洋戦争当時の愛知の田舎の村の小学校で
どういったことを学んで、どういったことを考えたのか
まとめられた 「ぼくら国民学校一年生」の一ページを読みます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(昭和17年・開戦の翌年)
2年生になった頃から、昼食が終わると廊下に出て
二列縦隊になって正座するようになった。
時間は15分位であったという記憶である。
校舎は木造であり、廊下はもちろん板である。
そこに正座するのであるから、辛いものがある。
正座して目をつむると「海行かば」の音楽が流れる。
歌詞は

 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(くさむ)す屍
 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ


意味は川や海の戦いに戦死して
水の上に自分の屍が浮くようなことがあっても
あるいは陸上の戦闘で戦死して自分の屍が草むらで朽ち果てようと
天皇陛下のおそばで死ねなくても
そんなことはかまわずに戦うのだということである。

先生にこうした意味を教えられて自分もそのような気持ちで
戦争に臨むのだとぼんやり考えていた。

おそらく冬になってからだと思うのだが
同級生の田中ひさお君が病気で亡くなった。
翌日か翌々日の正座の時間に先生から
「田中君は亡くなる時に自分は天皇陛下に忠義を尽くせず
 亡くなるのは残念だ」と言って息をひきとった。
と放送があった。

田中君は普段から病弱で僕も一年生の時に35日の欠席したけれど
田中君はそれを上回っていた。
ともあれ田中君が死の直前に天皇陛下に忠義をと言ったことに
驚いたり感心した。
そして生きている僕らは天皇陛下に
もっと忠義を尽くさなければいけないと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういった記録が今の若い人たちの目に留まって
読み継がれていけばいいなと思っています。




★恐慌対策として高橋(是清)財政がやったこと

 1931犬養内閣設立し金輸出再禁止
 対外的には為替相場を円安を利用して輸出を促進した

 体内的には膨張政策をとり歳出増やし赤字公債増発

           ↓
      1935年には輸出111%に回復する

自由放任経済(古典派経済学)では失業をなくし、完全雇用を実現することはできない。雇用水準や生産水準は国全体の有効需要の大きさで決まるので、政府が積極的に経済に介入し公共投資により有効需要を増やすことが完全雇用につながる。
ケインズ(1883~1946)の発表した国家独占資本主義的政策「雇用・利子および貨幣の一般理論(1936年刊)」を高橋是清(1854~1936)が先んじてやった。


★高橋財政の罪

 ソーシャル・ダンピング
  ・国家が推進して低賃金や劣悪な労働条件で
   国際価格よりも低廉な価格で輸出
  ・国際労働機関の労働9原則を日本では不実施
        ↓
  ・労働者にしわ寄せ
  ・世界の国々から日本の信用を失い売れなくなり日本孤立化
  ・ブロック経済圏の発生
円ブロック(日本、朝鮮半島、満州)
いかに満州を日本の植民地として完全支配できるか
軍部が軍事予算増額を要求

高橋財政は軍部の要求に応えて行く

★高橋財政の評価

 ○小型ニューディール(福祉国家的コースを志向)財政
 ○軍事インフレとファシズムを招いた財政

 財閥(寡占金融資本)と軍部ファシストが
 天皇制国家を支えてゆく日本柱となる

 ※国民は絶対服従を求められ民草と呼ばれる

★尾崎行雄「経済立て直しと軍備制限」

Wikipedia尾崎行雄

この本の出た翌年S5年ロンドン軍縮会議がありました。
日本がサインをしたことが、海軍軍令部から「統帥権を侵した」と問題が生じて、その尻押しをしたのが政友会で、その中で一番発言したのが鳩山一郎でした。
その鳩山が戦後首相になったのです。日本という国は戦争犯罪人が平然とデモクラシーを名乗り首相になったのです。
一番酷いのが岸信介です。彼は満州国を牛耳ったのです。あれはアメリカの反共の砦とするためにA級戦犯の岸が熱心な反共主義者であるということで利用されて首相になりました。
そして安保反対の時に樺美智子さんが殺されました。私は樺さんのお父さんの講義を受けていたのでいっそう当時の首相の岸のことが許せません。

尾崎行雄の生まれた1858年に安政の大獄がありペリーが来日しています。
3月に日米和親条約が結ばれ直弼は朝廷の許可なく開国したと恨みをかい、桜田門外の変で殺されてしまいます。

尾崎は生涯政党政治家として生きた。
大隈重信と板垣退助の隈板(わいはん)内閣で大臣になり「日本では千万年経ても共和政治を行うことはない。日本で仮に共和政治があると夢みてください。三井三菱はおそらく大統領の候補になるでしょう」と発言して大問題となり辞職。二ヵ月後内閣は総辞職。尾崎のために短命内閣に。
大正期には普選運動。大戦中は陰の人としてファシズムと闘う。
戦後は憲政の神様と言われました。
そんな尾崎行雄がどんなことを言ったのか読んでゆきましょう。

『経済往来』昭和4年11月号  1ページ  2ページ  3ページ  4ページ
経済立て直しと軍備制限
<要約>
(1)軍備の努力

一国の軍備は原則として、その経済力以上の軍備は国防の用をなさず、却って亡国の原因となる。
ベルギー、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、スイスなどはドイツ、フランス、オーストリア、ロシアの間にあって常に侵略されるおそれがあるけれど、強国に対抗できる軍備はその経済力では無理。
中正不偏の外交努力をしているけれど、いざとなればオランダなど堤防を破壊し海中に沈める決心であったと伝えられる。必ずしも軍備の不足が国家の独立を妨げない。

(2)世界の体制の変化

個人間の争議が裁判によって決しながら、国家間の争議だけは戦争でというのは野蛮な時代の遺習にすぎない。戦争では勝敗を決するだけで正邪曲直を決めるものではない。
文化の進歩により少しずつこの遺習をやめようという傾向が生じている。
我が国のシベリア出兵、山東出兵などがいたずらに巨億の軍費を浪費し汚名を買っただけなのは、世界の体制が武力乱用を許さないようになったためである。

(3)日本の環境と軍備

世界は大戦争のために経済力が落ち込んでいるのでそれを回復するのが最大急務である。それには列国共に不生産的軍備を縮小し、かつなるべくこれをしようしないようにすることが最も必要だ。
我が国の陸軍は内地及び朝鮮、台湾、南満m関東州の治安を維持する以外に使用の道が無い。
今は縮小して経済を回復するべきである。

(4)軍備は相対的

海軍も今縮小してもよい。世界情勢に応じてやっても遅くない。今日の軍備は三四十年後には役に立たなくなるから無用の長物。
相対国と共に拡張すればいくら拡張しても強くならない。英米と競技して縮小の程度を決めるのがよいだろう。
世間の愚昧漢は軍備を拡張しさえすれば国防が安全になると妄想している。バカである。
英米のような富国と拡張競争すれば現勢力の維持すら困難。協議の上縮小すれば減らしても弱くならないし、全廃すれば英米と対等になる。

(5)我が経済界の現状

我が国は欧州大戦中ラッキーなことに経済上非常に有利な位置に立っていた。
大正3年から8年の5年間で輸出用かだけで15億円獲得した。
戦争が終われば需要による好景気が終わるのは明らかなのに官民朝野を問わず、財政を大きくしたまま5億の歳出を16~7億に増加し、国防費も海軍だけで7億5千万まで増やした。実に狂気の沙汰であった。
人民も負けず劣らず無駄遣いをしている。
今は挙国一致で政治家も全国人民も魂を入れ替えて頑張らなければならない。
そしてまず不生産的な陸海軍費に大ナタを入れなければならない。
 

★その後の流れ

高橋財政は軍備の際限なき膨張の契機となり
1936年(S11)軍事予算を縮小しようとした高橋是清は
二・二六事件により暗殺される。

■財閥は完成期を迎える

 総合財閥(三井・三菱・住友)
 金融財閥(安田・渋沢《第一銀行》・川崎)
 産業財閥(古河・浅野・大倉)
 新興財閥(森《昭和電工》・鮎川《日産=満州重工業》・
       野口《日本窒素=朝鮮窒素》・中島《飛行機》
       大河内《理研》・中野《日本ソーダ》・宇部《宇部窒素》)

■社会の出来事

 S2 小林多喜二虐殺
 S3 国際連盟脱退
 S5 滝川事件(学生たちの学ぶ自由奪われた)

次第にファシズムが台頭し尾崎の論文のようなものは
二度と出てこなくなってしまった。







昭和 | 01:17:55 | Comments(0)

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