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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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国際連盟主要国のダブルスタンダート
3/14-1

実は今日、皆さんの他にもう一人この講座に来てくれた子がいるんです。
この子なんです。
  紀子さんと
亡くなって七年目ということで、お母様から「娘と一緒にお食事してください」とお手紙を頂き6日の日に行ってきました。ご両親は生きている時のまま生活なさっているんです。この写真は亡くなるひと月ちょっと前に撮った写真で37歳です。
生まれた時から心臓の病気で、医師から長生きしないと言われ、ほとんど寝たままだったのです。でも高校を出たあと学ぶことに熱意を持っていて通信教育で大学を卒業して、亡くなるまで司法書士の資格を取るとずっと勉強を続けていたのです。自分の命がもう長くないことがわかっていても息を引き取るまで学び続けた子なんですね。
お母様も60歳で娘さんと同じ通信教育の大学に入って今年卒業しましたとのことです。
私はこの子から生きることの大切さと、人はこの世を去るまで生き続けるのだということを教えてもらいました。
今日お母様から娘も是非講座を聞きたいというので写真を持ってきました。



◆「獨立後二ケ年の滿洲國」を読む
ロンドン・タイムズ紙特派員の「征服者としての日本人」

この記事を読むと、外国人の目に映る当時のリアルな満州国の空気が伝わってきます。
★新京が首都になつたわけ
・日本が宣戦布告しないで満州侵攻したことに西洋諸国は憤激
・満州国建設は最初世界に無視されたが、成長
・取り柄のない新京が首都に選ばれた訳は奉天の張学良勢力との
 関係を断絶するため
・設備は不十分だが建設工事は着々進捗している
・政府高官に対して好印象
 (俊敏端麗で愛嬌のいい溥儀執政
  学者で詩人で理想主義者の国務総理など)  

★満州国に於ける最大の権力
・満州国の政体は明確ではない
・日本人は内蒙古で猛烈な宣伝運動を行って外蒙古に於ける
 ソビエト・ロシアの勢力に対抗しようとしている
・政府各部の総長は殆ど支那人だが、実務は完全に日本人が指導
・満州国の実権は関東軍で、次が南満州鉄道会社にある
・政府が阿片の栽培製造販売を管理し莫大な収入を得ている
・通貨は安定した
・在留外人は外国商権に不安もあるがほぼ日本人の施設に好感
・満州の市場は巧妙に日本商社によっておさえられており
 政府の独占事業(鉄道鉱山業など)が拡大するに従い
 外国商権は必然的に没落するであろう
・支那人と日本人の関係は理解し難い
  在留日本人は30万人(1931年9月の事件以来50%増)
  朝鮮人が70万人
  土着の人口は3000万人弱
 中国人は内心日本人に対し反感を抱いていると思われるが
 従来よりも生活が楽になることで反感を表に出さなくなった
 殆どの日本人は軍人であり依然征服者として臨んでいる

★文化に遅れた数百万人
・匪賊討伐なみに「国防費」が教育費の48倍に達している
・日本人は支那人を野蛮人と思い彼らに無頓着で無理解
・日本人は島国根性でホームシックなので彼らだけで固まり
 中国語もあまり喋らないが中国人は日本語をすぐに会得
・満州国は既成事実だと言わねばならぬ
・満州はいまや「啓蒙的開発」と言うのが適切な過程を経過し
 三千万の民衆が日本人ほどでないが恩恵を受けている
・現在の国の一番の障碍は匪賊の横行で掃蕩は難物
・将来はおそらく日本の勢力が拡大されるであろう
・アジアに於ける日本の野心を阻止するものは日本の財政状況と
 赤軍(ソビエト軍)の性能

ロンドン・タイムズ紙に対するリットン卿の抗議状
(9月15日タイムズ紙掲載)特派員の認識に危機感を持っています
-要約-
「満州国の現状」に関する記事が公正であり且つ事情を伝へるに役立つものではあるが、「満州国は既成事実だと云わねばならぬ」というのは到底黙認出来ない。
1931年の日本の行動は国際連盟総会で全会一致で不当な行為と宣告された。
従って「日本の行動の是非が極東の現状乃至将来に対して」無関係だというのは、大戦後に於ける世界平和の基礎を破壊する原則を得物に他ならない。


◆国際連盟は果たして公正だったのか

満州事変のあとおきた第二次エチオピア戦争では、先進国側のイタリアの5年間の侵略に対して寛容な対応に人種差別の意識がありました。

1.エチオピア戦争~空からの毒ガス戦~

1)経過
 1935(S10)10.3 
 アドゥワの戦い(19C末独立王国エチオピアがイタリアの侵略を撃退)
 の復讐を名目にイタリアがエチオピア侵略開始

 1936.5.5
 首都アジスアベバ占領 ムッソリーニがエチオピアの併合を宣言

 1940
 大戦が始まり英国軍が再占領するまでエチオピア人の抵抗は続いた

2)エチオピアの被害

 エチオピア人の死者---73万人(40万人説あり)
 ・30万人は餓死 ・3万5千人は強制収容所で死亡

 イタリアは戦争中、占領期にも無差別爆撃と毒ガス攻撃を実施

 1936(S11)エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ国際連盟に訴えた
イタリア軍はおもに戦線から遠く離れて暮らす人々を恐怖に陥れ、絶滅するために攻撃を集中した。
彼らの飛行機には、マスタードガスの噴霧器が取り付けられていたので微細で致死性の毒ガスを広範囲に散布することが出来た。1936年1月からは兵士、女性、子ども、家畜、皮・湖・野原がこの果てしない雨でビショ濡れにされた。生きとし生けるものを滅ぼし、さらに確実に水路と牧野を破壊するため絶え間なく飛行機を巡回させた。
おそろしい戦術は成功だった。人間も動物も滅んだ。死の雨にふれた人はみな逃げ出し、苦痛の叫びをあげた。毒入りの水を飲み汚染された食べ物を食べた人は皆、苦悶しつつ死んだ

※毒ガス戦について
 1912(M45)北アフリカモロック南部のスペイン領で抵抗するリーフ族に
 スペイン軍が4年間に400トンの毒ガスを使った
 この毒ガスの製造はドイツ企業がおこなった

3)占領後のエチオピアで
アジスアベバ占領後、ムッソリーニによりエチオピア副王に
ルドルフォ・グラツィアーを任命

①暗殺未遂事件が起きて

 1936(S11)2グラツィアー暗殺未遂事件発生でイタリア軍総司令官は
 ファシスタ塔の義勇兵組織、黒シャツ隊に3日間好きなだけ
 エチオピア人を殺してよいと命令し約6000人の犠牲が出た

 ムッソリーニはこう語った
 「エチオピアの命運は尽き、ついにイタリアは帝国を獲得した。
  それは文明の帝国であり、
  エチオピアの全人民に対して人道的な帝国である」

②併合後の抵抗運動に対しムッソリーニは

 反乱捕虜の射殺を命じ反乱掃討に毒ガスの使用を奨励
 根絶のためにイタリア人犠牲者1人に対し10人の処刑を指示した

2.国際連盟のエチオピア戦争に対する対応

1)制裁

 加盟国エチオピアに対するイタリアの空、陸からの攻撃を
 不法な武力行使として経済制裁を実施

2)フランス、イギリスでの意識

 フランス国防相が皇帝が連盟に訴えた前日の首相あて書簡
「イタリアの敗北は、すべての植民地領有国の敗北と受け取られるだろう。
 植民地支配国はいずれかのヨーロッパ強国に黒人国家が勝利するのを
 観たいとは思わないだろう」

 イギリスの高官の間にも、エチオピアの勝利を危険とみなす意見があった

3)連盟理事会が問題にしたのは欧州側の犠牲

 イタリア軍が赤十字の救援隊を爆撃したことを問題にしたが
 それはヨーロッパ諸国に属する赤十字の活動隊が爆撃された場合のみ
 戦争手段の規制について、同時ダブルスタンダードが存在していた

「ゆえにイタリアによる”文明”の名において、一般住民に対する
 無差別爆撃と毒ガス投下は国際連盟理事会においてそれ自体が
 問題にされることがほとんどなかった」
 (石田憲「地中海ローマ帝国への道」東大出版会94年刊)

3.スペイン内戦とイタリア

イタリアのエチオピア併合宣言の二ヶ月後、1936.7.17スペインのフランコ将軍がモロッコで現地住民正規軍と外人部隊を動員して反乱をおこし、スペイン内戦が始まる。
イタリアはスペインに地上部隊とともに航空軍団を派遣し内戦に介入。毒物や電線棒の病原体を撒布する計画があったが実行されなかった。

スペインを集団的人体実験場としなかったのは、エチオピアと違いスペインがヨーロッパの「文明」国であったことに由来すると考えられる。

4.ゲルニカと日本軍の渡洋爆撃
 
☆1937(S12)4.26
 ナチス・ドイツによるゲルニカ(スペイン北部バスク地方の古都)爆撃
      (国際連盟動きなし)

☆1937(S12)8.15
 近衛首相、全面戦争開始。海軍機南京渡洋爆撃開始。
          ↓
☆1937.9.28
 国際連盟で中国都市空爆に関し日本非難決議を全会一致で決議

  1938.9.30 総会で「戦時における空爆からの文民の保護」決議
 ①一般住民を恋に攻撃することは違法である
 ②空爆の標的は合法的な軍事目標でしかも空中から確認できるもの
 ③正当な軍事目的物に対する攻撃は、その付近の平和的人民が
  過失によって爆撃を受けないように行われなければならず、
  化学ないし細菌戦術は国際法に違反する

5.ドイツ降伏後、無差別爆撃が始まる

1940(s15)6.17フランス・ペタン内閣、ナチス・ドイツに降伏後
英・独両国空軍による”軍事目標主義”事実放棄され
”地域爆撃”(産業施設・住民の戦意崩壊を目指す)が始まった
無差別攻撃が公然と世界各地で広がった
(参照・引用文献「空爆の歴史」荒井信一 岩波新書)

リットン報告にもとづく対日勧告案(賛成42、反対1、棄権1)
欠席11の国のうち5カ国がその後連盟を脱退した
 
イラク、エチオピア、リベリア、ニカラグア(1936脱退)、キューバ
ホンジュラス(1936脱退)、サルバドル(1937脱退)、ボリビア
ペルー(1939脱退)、チリ、パラグアイ(1935脱退)
※中近東1、アフリカ2、北アメリカ諸国3、南アメリカ諸国5

脱退国

それぞれ脱退した年を見ると
1935年はエチオピアの爆撃の年、
1936年はイタリアがスペイン内戦に干渉した年
1937年はドイツがゲルニカを爆撃した年です。
国際連盟の日本非難決議を欠席した国は
国際連盟は本当に全ての参加国に対して国際法を遵守するように
していたかどうかという主要国のあり方に対してNO!と言った。

だから日本のやったことが間違いでないと言うわけでなく
同時に先進国の間違いも裁かれないといけない。

地図1

地図2


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昭和 | 11:49:10 | Comments(2)
満州事変以後の昭和天皇の言動
3/14-2

先生の現役の時の採点した答案用紙のコピーです
31点ですが、自由記述した分で加点して75点になっています
記号問題はありません
100点越した場合は無利子で預けるのですが
そういう子は次、さぼらなかったそうです

答案用紙

先生ご自身が中学時代に物理の先生に評価してもらって嬉しくて
採点に時間がかかるけれどこういう試験をしていたそうです



いろんな説があり昭和天皇は輔弼責任者がいたので、天皇に関することについては輔弼責任者である閣僚が全責任を負うべきで、天皇には戦争責任がないということも今も一般的に言われています。
私は敢えてその説が是とするなら、天皇制に責任があったと言いたいです。
しかし昭和天皇自身に当然負うべき責任があったと思います。

1.天皇の統帥権の行使

①奉勅命令の発令(大本営意命令の発令)
②下問などを通しての作戦指導
③将兵の士気の鼓舞

2.大元帥・天皇の軍事顧問

※侍従長は文官

侍従武官長(慣例として陸軍の中将以上の将官)
侍従武官(少佐から少将クラス 陸軍4人、海軍3人)

昭和天皇の侍従武官長
 ・皇太子時代(11~19歳)・・・・・奈良武次陸軍大将
 ・1933(S8)~1936(s11)3 ・・・本庄繁陸軍大将
    ※本庄=熱河作戦開始の関東軍司令官

3.満州事変と天皇

☆1931(S6)9.18満州事変勃発
板垣征四郎、石原莞爾ら満州の武力占領を実行するため
奉天郊外、柳条湖の満鉄線路を爆破
関東軍司令官、本庄繁これを中国側の行為とし総攻撃を命令

9.24 
政府(民政党・若槻礼次郎内閣)は満州事変に関し第一次不拡大方針を声明

10.8
石原莞爾ら独断で錦繍爆撃を強行
国際世論の激しい非難を浴び、日本は国際的に孤立

☆天皇の言動

①12.23
犬養毅首相兼外相(政友会)に「錦繍不攻撃の方針を下し」「国際間の審議を尊重すべきを諭」した
(侍従次長河井弥八日記 12.23)

②12.17
臨参命令第9号を裁可。
「命令、満州及北支那ニ左ノ如ク兵力ヲ派遣ス」

満州へ増派(混成一個旅団の派遣)
北支那へ増派(二個歩兵大隊を基幹とする地方派力の派遣)

③1932.1.8
閑院宮載仁総長を召喚し関東軍に「勅語」を与えた
この勅語によって関東軍の行動が天皇によって正義の戦い(聖戦)であることが公に認定され、関東軍の謀略や朝鮮軍による越境行為は帳消しにし、国内の満州事変に対する反対論を封殺する機能を果たした

「満州は田舎であるから事件が起こっても大した事はないが、天津、北京で起こると必ず英米の干渉がひどくなり彼我衝突の虞があると思った」
       (昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記)
  ↑
 関東軍の行動追認した根拠がここだと思われる

④1933(8)1.1 熱河作戦発動

1.14
閑院宮参謀総長、満州への兵力増派を求めた折、慎重にと注意し、満州は都合よくいったけれど熱河では特に慎重に処置すべしと語った

2.4
参謀総長、熱河作戦実施に伴う関東軍の部隊配置変更(熱河作戦開始の許可)について許可を求める

天皇は万里の長城を超えて関内に侵入しない条件で許可する

2.8
斉藤実首相が熱河攻略は連盟の関係上、実行が難しいので内閣は不同意と上奏

天皇は、奈良武官長に許可を取り消したいと閑院宮参謀総長に伝えよと言う

奈良は10日に総長が拝謁に来る予定なのでその際にと、慎重な姿勢

2.10
天皇は総長に、内閣が承認してないのでと作戦中をを要求

2.11
斉藤首相が、熱河作戦を強行すれば国際連盟を除名される恐れがあるのだけれど、軍部が天皇の「御裁可」を得ていることを理由にどうしても中止に応じないと天皇に訴える

天皇は奈良武官長と中止についてやりとり
奈良武官長は内閣以外において中止は不適当と主張

2.12
天皇、長城線を越えないことを条件に熱河作戦を許可する旨参謀本部に伝えた

4月 関東軍、長城線を越え河北省に侵攻
(天皇の許可の範囲を越える)

4.18
新武官長、本庄繁(4.6関東軍司令官より就任)に「前進を中止せよという命令を下してはどうか」と下問
本庄は真崎甚三郎参謀次長に伝言

4.19
参謀総長、関東軍に長城線に復帰するよう指示

5.7
関東軍、参謀本部の同意を得た上で再度長城線を越えて作戦再開

天皇、憤慨する
(しかし作戦中止は求めなかった 現状追認 結果優先の論理)

5.25
中国側停戦申し出る

5.31
塘沽(たんくー)停戦協定・・・長城以南が非墓相地帯

軍事作戦の成功、中国政府の譲歩、英米の介入もなかったことで、天皇は関東軍の行動を承認。
大国との決定的な衝突しない範囲であるならば日本の勢力圏拡大していくことを天皇は容認した。




昭和 | 06:50:21 | Comments(0)

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