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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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時代を訪ねる奈良の旅 5/22~24日
12人参加(ツアー10人 一日遅れで参加1人 徳島から1人)

◆ 1日目 19000歩
東京発6:43(のぞみ201)13号車--京都9:01--9:19-―(快速)
--奈良10:03-奈良駅西口下車--卒川(いえがわ)神社(10分)
卒川神社

--伝香寺(5分)―なら工芸館(20分)--奈良市資料保存会(15分)―
佐久良(吉野葛)(40分)先生のおすゝめの吉野葛のお店で
佐久良

-奈良町資料館(30分)―庚申堂(5分)-徳融寺(10分)
徳融寺

-誕生寺(5分)-称念寺(5分)―高林寺(5分)―
ならまち格子の家(20分)--藤岡家住宅(30分)-御霊神社(5分)
―元興寺塔跡(5分)(昼食)
--今昔工芸美術館(15分) --頭塔(20分)200円
-奈良市写真美術館(60分)500円―名勝 旧大乗院庭園―徒歩―
鹿のいる公園を抜けて近鉄奈良駅まで歩きました。
庭園

近鉄奈良駅-18:30 送迎シャトルバス-奈良ロイヤルホテル

◆ 2日目 28000歩
奈良ロイヤルホテル : 徒歩--近鉄新大宮駅8:10発―-
朝から本降りの雨
新大宮駅

車窓から復元平城京を見る
復元平城京

8:13着西大寺8:22発―8:50橿原神宮前8:57発―
9:08着尺土9:12発-近鉄御所9:20着―近鉄御所バス9:47発
―風の森バス停-高鴨神社(20分) 
結婚式に行き遭って綺麗な花嫁さんに拍手しました
高鴨神社

-5分-歴史文化館(20分)
古代の天皇についての講義がありました
歴史文化館

-葛城の道-60分-高天彦神社(20分)
葛城古道1

ここいら辺が日本で一番最初に米作をしたところ
葛城古道2

奈良はゆっくり時間が流れています
お地蔵さん

-15分-橋本院(40分)
橋本院

お茶を頂き、ご住職の奥様に良くしていただきました
橋本院で接待

お庭にはたくさんの珍しい木がありました
香りのいい花

-二世紀の道30分-極楽寺(5分)-50分-長柄神社(10分)
-30分-一言(ひとこと)主神社(20分)-15分
長柄神社

昔の人もこの道を歩いたのでしょう
葛城古道3

-綏靖天皇(2代)-
葛城高丘宮跡(5分)-15分-九品寺(20分)
九品寺

-20分-加茂山口神社(15分)-10分-六地蔵(5分)
六地蔵

-20分-ツバキ葛城荘

◆ 3日目 

朝、ツバキ葛城荘からの眺め
ツバキ葛城荘からの眺め

(いくつかのプランを自由選択)
◇當麻寺(たいまでら)を訪ねる旅(9人参加)11000歩
當麻寺はとっても由緒のある素晴らしいお寺でした
當麻寺

西南院でお抹茶を頂く
お茶をいただきました

門前のモダンなお蕎麦屋さんで
門前のお蕎麦屋さんで手打ち蕎麦

当麻寺駅13:15-橿原神宮前-西大路-京都14:50-のぞみ238号15:42-18:03

◇秋篠寺と西大寺を訪ねる旅
◇今井町を訪ねる旅
◇西の京に世界遺産の名刹を訪ねる旅
◇平城京跡を訪ねる旅

修学旅行のような心おどる旅、無事帰り着きました。

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未分類 | 20:14:03 | Comments(4)
若い君やあなたに伝える「侵略の数字」
近現代史講座はきちんと開催されていますが
二回続けて私がお休みしてレポートが滞っています。

今日はお友達が教えて下さった「平和のために」
副題が ~若い君やあなたに伝える「侵略の数字」~
という詩をご紹介します。

        「平和のために」
  若い君やあなたに伝える「侵略の数字」

                              H・I
            
  今から50年以上前のこと
  1931年9月18日から
  日本は15年もの間戦争をしていました

  満州事変が1931年9月18日
  中国東北部奉天の柳条湖での鉄路爆破が
  戦いのはじめでした

  支那事変は1937年7月7日
  中国河北の盧溝橋での一発の銃声が
  この戦いのおこりです

  そして世界戦争への拡大
  1941年12月8日
  これは日本軍が太平洋上の真珠湾を
  空から奇襲攻撃したのがきっかけです。

  次つぎとおこされた十五年戦争は
  どれもこれも日本がしかけたものでした

  けれども当時日本人の大多数の人びとや
  あなたと同じ年頃の少女だった私らは
  柳条湖の燥破も盧溝橋の銃声も
  申国軍がしかけたと教えられ、信じこみ
  真相を知ったのは敗戦の後
  しばらくたってからのことでした

  君たち あなたたち
  この15年間の数字を
  どうか よォく見て下さい

  日本中の人びとがだまされつづけた間に
  32万余だった日本の軍隊は
  848万人になりました。 (注)
  そのうちあなたと同じ年頃の少年兵もふくめて
  248万人が戦死しました

  日本や海外で兵隊でもない人びとが
  原爆やら空襲やら
  80万人も殺され
  236万人が家を失い傷つきました

  ナチスが殺害したユダヤ人の数は
  600万人といわれます
  けれど侵略日本の銃火で殺された
  中国、朝鮮、アジア人の数は
  実に2千万人以上です。

  あなたは聞くでしょう
  この戦争をはじめたのは誰なの
  軍人? 政治家?
  どうしてイヤだといわなかったの
  そう はじめたのは少数の支配者
  でもその手先に使われたのは
  大多数の国民わたしたちや
  わたしたちの父母
  祖父母です
  あの時教育され
  マスコミにそそのかされ
  いつの間にか殺し屋の手先になった
  私たち 私たちの親たち

  今 君にあなたにそのことを伝えたい
  再び私たちは殺さないか
  再び私たちは殺されないか
  私たちは二度とだまされないか

  本当にだまされないというために
  しっかりとこの「数字」を伝えたい

  君たち あなたたちに
  しっかりと。


     (注)厚生省援護局1964年調べ


昭和 | 12:00:20 | Comments(2)

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