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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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7/22 第一次上海事変と川島芳子
7/22
◆川島芳子と第一次上海事変

  1932年満州事変が起こり、関東軍による占領地が拡大し
 満州国の独立計画が国際世論から激しい非難の声があがり
 国際連盟が日本軍の行為は許されないと言うようになって
 関東軍の参謀の板垣征四郎が満州から国際世論の怒りから
 目くらまししようと、満州から離れた上海で事件を起こして
 満州国の建設をすすめようとしたのが第一次上海事変です。

   7月22日

 国際的な港町で事件を起こせば各国の利権を守るのに注意が向いて
 満州国を騒ぎに乗じて独立させようと目論んだのです。
 上海で事件を起こすために使ったのが田中という公使館付きの武官。
 関東軍が現金2万円(アヘン政策で得た機密費)を渡しました。

 当時(昭和7年)の2万円の価値は大きく
 白米が10kで1円90銭。牛肉100匁3円27銭。
 高級背広が35円。幼稚園の保育料が年間33円。

 川島芳子(日本人の養女で清王朝の貴族の血を引く娘)に
 1万円を渡して工作させました。
 彼女が買収した中国人に日本人僧侶を襲わせて騒ぎを起こし
 それの報復で居留民の右翼が中国人を襲い上海事変となったのです。

 この時に川島にある程度の金を渡したのが鐘紡です。
 戦争は必ず軍と財界とが抱合せで、それを軍財抱合と言います。
 
 中国人を買収する計画に対して、本土では参謀本部の支那課長が
 積極的に支持していって、川島芳子が活躍するきっかけとなりました。

 粛親王と第四側妃の間に1907(M40)5.24に芳子は生まれ1913(T2)
 愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)
 1900年(M33)に発生した義和団事件で治安が乱れ、粛親王家も
 被害が生じた折り、鎮圧に赴いた日本軍司令部通訳だった
 川島家と出会い、二人の父親が親しくなるために
 2013年(T2)10.25に6歳で川島家の養女となりました。
 清王朝の復活を願う粛親王と、関東軍による満州国建設の願いと
 利害が一致した。
 粛親王は明治天皇を尊敬していた。

 『扶清滅洋』
  清朝を助けて西洋を討ち滅ぼす意。
  中国清末、欧米勢力の進出に反対して民族主義者が用いた標語。
  義和団のスローガンとなった。


 日本に来て豊島師付属小学校に入学すると幸田露伴が同級生。
 跡見高女に進学するが経済的な事情で1921年松本に引っ越して
 1924年10月6日に「永遠に女を清算する」と書き残す。

 1945(S20)11月反逆通数在(判決時)で逮捕され、1948年(S23) 3.25
 中国最高法院、北平分院の刑場で銃殺刑に処せられた(40歳)
 
 執行官の許可を得て「養父に手紙を」立ったまま書き
 再審の要求は却下されたことを告げられたのちに処刑された。
 係官によると、貴婦人のようにまゆ一つ動かさず、死んでいったという。
 


■ 川島芳子 資料

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昭和 | 03:12:11 | Comments(0)
20期の予定
   ~戦争が作る女性像~
 1月13日   全体主義の戦争体制 
 1月27日   家父長制度のもとでの二元論
 戦時下の母性政策(その1)
 2月10日   戦時下の母性政策(その2)
 2月24日   非戦闘員としての女性が戦争を担う一般的役割 
 3月10日   チアリーダー「戦争援護」集団としての女性の動員 
 3月24日   国策婦人雑誌の記事 


■お問い合わせ
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講座の予定 | 15:01:22 | Comments(0)
捕虜虐殺を拒否した学徒兵、渡部良三さん
7/1
戦場で中国兵捕虜に対する「度胸試しの刺殺」を命ぜられ、
それを拒否した渡部良三さんの記事の紹介です。
渡部さんの体験は戦争の、軍隊の、異常さを炙り出しています。
 蕨にいる今93歳の方が、渡部さんという方と関わりがあって
 もうかなり前なんですが、図書館で講座をやっている時に
 この方に来ていただいてお話をしてもらったんです。
 船橋にお住まいで、今年90歳になる方です。
 たぶん、まだ御存命だろうと思いますが
 年賀状のやり取りだけは続けています。
 
   小さな抵抗

 いつも同じ話をして申し訳ないのですが
 兄が戦闘から帰って来ると酒保に行って甘いものを買って
 それを草むらに供えてお経をあげていた兄の姿を思い出すのです。
 自分が撃った弾によって一度も出会ったことのない人の命を
 奪ったかもしれないと、兄は帰って来ると必ず謝罪のお経を
 あげていたというんですけれど
 本当にこのお話を聞いた時にも、兄を思い出していました。



~クリスチャン新聞No.1312 1993.12.26 より転載~

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  主の裁き 厳しかるべし 殺さるる 八路を見つつ 黙しおおせば

  生きのびよ 獣にならず 生きて帰れ この酷きこと 言い伝うべく

  強いられし 痛み残れど 侵略を なしたる民族(たみ)のひとりぞわれは

               (歌集「小さな抵抗」より)

「捕虜虐殺を拒否した学徒兵」
~渡部良三さん50年目の証言~

五十年前の学徒動員で徴兵された一人のキリスト者学生が、中国で捕虜の虐殺を命じられた。
しかし信仰者として拒否、そのため軍により、死の一歩手前にまで至る激しいリンチを受け続けた。
この人、渡部良三さん(71)=千葉県船橋市在住、元会計検査院職員=が、半世紀の沈黙を破ってその生産な体験を証言した。
11月27日、日本友和会(JFOR、池田鮮書記長)が「”汝殺すなかれ”を命がけで貫いた渡部さんの振興に裏打ちされた不屈の精神を学びたい」と、東京で講演会を催したもの。
自らが「小さな抵抗」と呼ぶ、戦場での決断の重みに、聴衆は息をのんで聞き入った。

■ なぜ沈黙したか

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昭和 | 00:03:52 | Comments(0)
日本の中国におけるアヘン(阿片)政策
7/1
 
   0701_20121103181513.jpg

 日本のアヘン政策については、残念ながら教科書に出ていません。
 授業でやった時、生徒はびっくりしたんですね。
  「麻薬を国が正式に売ることを認めたのか。
   何故政府は今、禁止するんだ」
 本当にその問いかけに答えようがなかったですね。
 

アヘンは、けしの乳液から作られ古代から薬用として用いられた
中国では18世紀くらいから麻薬として使われた
アヘン - Wikipedia - http://bit.ly/RCv1TY

■ 中国の阿片禍の始まり

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昭和 | 18:42:52 | Comments(0)

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