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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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「二・二六事件」日本の軍隊
11/28
15期と16期で二・二六事件をやりますが
14期の最後の一日は予習として
明治期の日本の軍隊の成り立ちをやりました。

      ・・・・☆15期、16期の予定☆・・・・

二・二六事件 その1(第15期)

  軍人勅諭からうかがい知れる日本の軍隊
  昭和維新を施行した青年将校
  五・一五事件以降の青年将校と陸軍中央部の癒着
  陸軍部内における二派閥(皇道派と統制派)
  陸軍パンフレットと国家財政の変動
  内閣調査局・内閣審議会と陸軍二派閥の関わり
  第19回総選挙と政友会の動き
  二・二六決起への決定的契機

二・二六事件 その2(第16期)

  青年将校の結集と決起目的
  雪の二・二六の朝
  陸軍中央の二つの思惑
  震撼させた四日間
  二・二六事件に参加した兵たちの意識と
  高知県が徴兵検査の際行った調査
  二・二六事件の終結と軍法会議
  当時の政治・経済・社会の動きと国外の動き

 ・・・☆日程☆・・・

* 第一回  1/9(日)
* 第二回  1/23(日)
* 第三回  2/13(日)
* 第四回  2/27(日)
* 第五回  3/13(日)
* 第六回  3/27(日)

* 第一回  5/8(日)
* 第二回  5/22(日)
* 第三回  6/12(日)
* 第四回  6/26(日)
* 第五回  7/10(日)
* 第六回  7/24(日)



◆1872(M5)11徴兵告諭

徴兵告諭とは徴兵令にさきだち国民に徴兵制度の趣旨を告げるもの

徵兵吿諭

我 朝上古ノ制、海內擧テ兵ナラサルハナシ有事ノ日 天子之カ元帥トナリ丁壯兵役ニ堪ユル者ヲ募リ以テ不服ヲ征ス役ヲ解キ家ニ歸レハ農タリ工タリ又商賣タリ固ヨリ後世ノ雙刀ヲ帶ヒ武士ト稱シ抗顏坐食シ甚シキニ至テハ人ヲ殺シ官其罪ヲ問ハサル者ノ如キニ非ス
・・・・(中略)・・・・
御趣意ヲ奉シ徵兵令ニ依リ民庶ヲ說諭シ國家保護ノ大本ヲ知ラシムヘキモノ也

          明治五年壬申十一月二十八日

(意味)
上古ノ制=大宝律令で募集し大和朝廷に刃向かう地方豪族と戦った
これが日本の軍隊の始まり(徴兵制でなく希望者)
有事の時天皇が元帥となって兵役に耐えられる者を募って
兵隊の仕事がない時は家に帰り農や工や商の仕事をする
いばって働かずに食べ、切捨てごめんの(武士のような)
ことはない
維新という新しい時代の政治を尊敬し版籍奉還
各大名が領土領民を天皇に返す
1871年廃藩置県がおこり昔をなぞろう
武士が世襲で収入を保証されていたのを減らし
刀剣をはずすのを許し、四民がようやく自由権を得た
四民平等になって兵士も農民も一致団結
血税(血を流して国を守る)という
西洋諸国数百年来の研究実践をもって兵役を定める
海陸二軍に備えて全国の四民男子は二十歳に至る者は
すべて兵籍に編入し緩急の用に備えること


戊辰戦争を指揮した大村益次郎が徴兵制を考えていたが1869年に
徴兵制で武士の特権を失うと恐れる士族に暗殺される

山縣有朋が徴兵制を実現した

      ↓
 
◆国民皆兵の原則にたった徴兵制

Wikipedia 徴兵令

★徴兵令太政官布告 1737(M6)1.10
    全国四民、男子20歳ことごとく兵籍に編入
    常備軍・後備軍・国民軍に分け国内の守衛に充てる

・常備軍…徴兵された者が三ヵ年勤務

・後備軍…常備軍の勤務が終わった者が4ヵ年勤務
     (全国大挙の時召集)

・国民軍…全国男子17才~40才の者、すべてを兵籍に
     (敗戦間際にこの制度が復活する)

★常備軍の免役制度

・第1条  身ノ丈五尺一寸(154.453cm)未満者

・第2条  ルイ弱(虚弱)ニシテ宿痾(しゅくあ=病気もち)及ビ
      不具等ニテ兵役ニ堪サル者

・第3条  官省府県ニ奉職ノ者

・第4条  回陸軍ノ生徒トナリ兵学寮ニ在スル者

・第5条  文部・工部・開拓・其他ノ公塾ニ学ビタル専門生徒
      並ニ医術・馬医術ヲ学ブ者

・第6条  一家ノ主人タル者

・第7条  嗣子、並ニ承祖(しょうそ)ノ孫(将来一家を継承する者)

・第8条  独子、独孫
   
    (※6,7,8条は家制度を重視したもの)

・第9条  罪科アル者(但徒以上ノ刑ヲ蒙リタル者)

・第10条  父兄存在スレ共、病気若クハ事故アリテ父兄ニ代リ
      家ヲ治ムル者

・第11条  徴兵在役中ノ兄弟タル者

    ・・・中略・・・

第15条  代人料270円ヲ上納スル者ハ常備・後備両兵トモ免除

 当時ハガキ一枚半銭 ハガキ54,000枚=270円 現700万余円

 代人料の規定は夫役(人民に強制的に課す労役)的性格

 兵役は夫役と同じと受け止めた農民たちの反発で各地で
 血税一揆や兵役忌避の一揆が起こった

 代人料制度は1883(M16)12月の徴兵令改正で廃止
徴兵兵役料
明治16年に改正したのは明治14年、15年ごろ秩父事件など多発
自由民権運動を怖れてこの制度を廃止した


★布告の年の出来事

1873(M6)1.1 太陽暦実施
    3  横浜で水道の給水が始まる
       横浜で石鹸製造場 開業
    5.13 妾を本妻に直すことが認められる
    5.15 妻の離縁請求権認める
    7.17 アイスクリームの飲用始まる


◆軍人勅諭

★直喩
 天皇が親しく下した告諭、訓示的、特定的意味を含む点で
 勅語と異なる
 副署不要

★近衛兵の反乱により軍人勅諭発布

・発布されるきっかけは1877(M10)の『西南戦争』
 1878(M11)8月近衛砲兵大隊(九段竹橋)の蜂起(反乱)

 近衛兵は天皇の兵士なので名誉な仕事
 家柄、学力、素行、親族なども調査されるエリート

・徴兵制の軍隊の兵士たちの間に『自由民権運動』の
 影響が及んだ

<蜂起の原因>

 ①陸海軍予算減額 → 減給(近衛兵は他諸隊よりも高給与)

 ②西南戦争における恩賞問題
  抜群の功をあげたが凱旋後、恩賞の沙汰なし
  他隊には恩賞あり(靴下二足)

 ※西郷の軍隊はわらじ履きで敗れた
 ※軍隊の革靴を製造して大儲けした藤田組(椿山荘)
 ※長州の井上馨が藤田に革靴製造すすめた
 ※岩崎が軍事物資の輸送を一手に引き受けて大儲け

・10.15鎮圧され陸軍裁判所で判決

 銃殺刑  53名
 長期徒刑 118名(10年)43名(3年) 7名(2年) 18名(1名)
 短期徒刑 17名
     
     計 256名

 二度と反乱軍など出ないようにと軍人勅諭が出された

★国軍から皇軍へ

 軍人勅諭の骨子 ・統帥権の独立(天皇のみ)

         ・軍人の政治不干渉主義(兵士は選挙権なし)

         ・兵権は軍行政より分離独立した権利

◆兵権政従主義


・1907(M40)9 軍令の制定(憲法制定 18年後)
       副署不要 天皇のサインだけで軍が動く
       兵権には国政は不関与
       (天皇の命令のみで内閣は関われない)

※1900(M33)5 軍部大臣現役武官制 
       予備役の軍人も陸海軍大臣になれた
       現役の軍人しか大臣になれない
            ↓
       大臣を出さなければ倒閣も可能

 軍閥が発生 山縣たちが軍部独裁の体制を作った
 




二・二六事件 | 08:21:48 | Comments(0)
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