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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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「二・二六事件」それまでの流れ
4/24

   最近信頼しているのは「週刊金曜日」です。
   4月24日

         夏みかん小
                ↑
         先生のお宅のお庭の夏みかん。
         25年前に、生徒さんたちから記念にいただいた木に
         たくさん実が実っているそうです。


■二・二六、決起に至る流れ

★皇道派も共感した陸軍パンフレット

国防の本義と其強化の提唱 Wikipedia
同パンフレットの内容は陸軍主導による社会主義国家創立・計画経済採用の提唱であったため多くの論議を呼んだ。軍事ファシズム体制を主張するものであった。

(クリックすると大きくなります)
国防の本義とその強化の提唱

◇農村の窮乏の原因は軍事費増大のせいでなく
 現在の経済機構にある。
 「国防」は国家生成発展の基本的活力の作用である
 だから国防を充実させなければならない
 国が発展するためには国防費は必要と述べている

◇陸軍主流の統制派の意見であるが、統制経済をすすめようという
 このパンフレットの趣旨に皇道派も賛同し、自ら配布したりもした
     ↓
◇村中孝次元陸軍大尉(士官学校事件で免官)はその手記で
 「相当多数を貰い受けこれを民間に配布し、
 またこの内容に関する不満、陸軍の予算ぶんどり策ではない
 という疑惑など、避難が各方面から起こりましたが、
 これに対する釈明をなし陸軍を静する世論の喚起に努めました」

◇経済の個人主義を排除し自由主義経済をやめようと主張
 個人主義経済が所得格差を生み出していると問題視

※昭和2年、大企業の社長と大卒新入社員の給料は千倍の差
 昭和63年には7.5倍だったので昭和初期の格差は酷かった

◇大企業がさらに利益を追求するためには軍需産業に投資
 軍部と財界が手を結んでゆく

◇民間の中で、統制経済にするべきだという流れが出てくる

皇国には逆らえない


★明治時代の体制の本質

◇民権運動に対しての徳育、教育勅語

教育ニ関スル勅語 Wikipedia
1890(M23)10.30発布
2月に地方長官会議が内閣に対し、徳育方針の確立を迫る建議を行ったことを受けて山形首相、芳川文相の下で起草に着手。
当初の東京帝大教授、中村正直の草案は哲学論的だと批判され、かわった法制局長官、井上毅の草案に枢密院顧問官、元田永孚が協力し完成

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ
朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ
學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ知能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

    明治二十三年十月三十日
    御名 御璽


=歴史事実にそぐわない記述=

①皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ

 天照大神、神武天皇は建国神話に登場
 歴史上には存在しない

②徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

 正史とされる「日本書紀」本文中の記述の中に反する事々
 多々あり

③我ガ臣民克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々ノ美ヲ済セル

 我ガ国体ノ精華ニシテ
 明治維新になるまで大多数の人々は天皇の存在も
 知らなかったことで、よく忠を尽くした事実はないのでは

④天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独り
 朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス

 臣民と名付けられた当時の人たちすら
 天皇の存在を知らなかったのだから
 祖先の人々が皇室のために尽くすことに努めただろうか

⑤其ノ道ハ実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
 「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ
 博愛衆ニ及ホシ」

 (其ノ道)は天皇家の遺訓として果たして言い切れるか
天皇家も古代勢力を競い合った諸豪族の一族であったと考えると歴史の事実(真実)が見えてくると思う


◇臣(官僚と軍部)が天皇の命令ということで民を支配していた

明治の天皇制は天皇制下の官僚による専制政治であった

◇軍財抱合=軍部と財界が結びつき官僚と一体となった専制政治
 天皇を神に祭り上げ、その権威を利用した

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★議会軽視の内閣調整局設立

◇1935(S10)5月内閣調整局が設立され国策立案

◇同月、内閣審議会が設立される
 (政友会以外の政党員や財界人、学識経験者ら)

◇真崎甚三郎日記によると
 「審議会ならびに調査会共に陸軍(皇道派)の包囲攻撃に
  進みつつあり…」

◇政友会は5月に内閣審議会に参加しない旨通知すると同時に
 天皇機関説に対し政府は積極的に断固たる処置をと申し入れ

◇8月、政府『国体明徴声明』出て美濃部ら追放
 
◇内閣調査局を統制派による自派の包囲攻撃と受け取った
 皇道派と、政友会は急速に接近していった

◇政友会は議会無視のなか、軍部と接近

◇皇道派、政友会、平沼敬右翼の接近は
 政局をリードする統制派、革新官僚、社会大衆党への
 受け身の反撃であった

◇内務省社会局・警保局を中心とする革新官僚は
 上からのファシズムの担い手の役だけでなく
 労働組合の健全な発展を願って
 社会大衆党とも良好な関係であった

★第19回総選挙 1936(S11)2月20日

◇岡田内閣の退陣要求が実らなかった衆議院第一党の
 政友会の前年6月の新指導方針は、天皇機関説排撃と
 県債の常道と結びつけるとどうじに
 「にすにこれに反するものあらば国家のため
  たとえ重臣といえどもこれを排撃することに
  躊躇せず」と宣言

※首相選定にあたり、天皇は元老に加え内大臣、
 首相経験者、枢密院議員の会議に諮って後継首相を
 任命することになったことから重臣たちの首相選定に
 圧力をかけるための宣言

※1月21日衆院に提出された政友会の内閣不信任案は
 採決せずに衆院を解散

◇2月20日の選挙結果
選挙結果
※国民同盟(安達謙蔵)は右翼政党
 昭和会は政友会脱党者を中心とする組織

※社会大衆党、諸派が増えたのは
 革新官僚の労働組合育成に否定的でなかったこともあり

◇一週間後の28日に青年将校が反乱に向けて行動を開始
 21日の真崎の日記

 「磯部七時半に来訪す。まず妻をして会せしめ、
  予に会するの不可なるを諭さしめしも面会を切望す。
  予も、やむにやまれぬ事情ありと冊子、決意これに会す。
  まず以て予より口を開き、予が答え難き不都合なることを
  申しても、害あり益なきことを告げしに、
  彼はかかる事に非ずと答え、…彼は結局、金の必要を訴う。
  これに対し、予は持ち合わせなければ森(伝)と
  相談すべきことを告げ、帰らしむ。
  夜八時半に招きに応じて来る。
  磯部と会談の要を告げ、彼の援助を乞う。
  彼も快諾す」


★二・二六 決起への決定的契機

①第一師団んhttp://blog.livedoor.jp/woo111/満州派遣が1935(S10)に内定

 皇道派の戦力を失う。
 これが二・二六を早めに起こすきっかけに。

②高橋是清蔵相の発言に対する反発

 「日本は世界において天然資源も少なく
  国力の豊かならざる国であるから
  予算も国力に応じたものを作らねばならぬ」

※軍事費削減に危機感



昭和 | 09:24:06 | Comments(0)
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