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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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昭和初期の暮らし、時代の様相 その3
6/26

   先生の大好きな奈良の橋本院の裏手のお庭に、
   奥様とお子様たちから傘寿のお祝いということで
   桜の木をを植樹されたそうです。
   橋本院の奥様が選んで下さった「ベニユタカ」という品種です。

     橋本院に記念樹



■ 昭和6年~昭和10年

★1931(S6)

○昭和6年の交通費
 ・飛行機代(東京-大阪) 30円

 ・特急寝台(東京-大阪) 上段80銭 中・下段1円50銭
 ※毛布・枕・敷布は乗客持参

○東京市統計局、職業婦人2万人の実態調査
  平均給与 30円75銭
 (女医140円 婦人記者64円25銭 女工見習い16円50銭)
 
  学歴
 (尋常小学校卒67% 高女卒19%)

  年齢 16~25歳が78%

★1932(S7)

○レコード吹き込み出演料一覧
レコード吹き込み値段

○女学生の人気小説ベスト10
人気作家

○公衆電話に初のダイヤル式登場
 1回3分で5銭

 当時のサラリーマンの平均月収が約90円
 電話の加入料がS2年に1500円、S7年に東京で900円
 値下げしても高嶺の花で、あまり増えなかった
 
★1933(S8)

○銀座を歩く女性の8割が和服姿

○汲み取りが有料になる
 昭和初期、都市のし尿は近郊農家が買い上げこやしにしていたが
 東京市の人口が急増し、糞尿がだぶつき始めた
 市は一荷二樽25銭んで汲み取りを行った

○3月 米穀統制法 国が決めた設定価格で売り買いされる

○肉屋で初めてコロッケが売り出される

○8月 愛知トマト(カゴメ)がトマトジュースを販売

○家庭用燃料はガスが中心
 街頭のガス灯は姿を消す

○銀座でパンとコーヒーのセットの屋台が出る
 キムラヤが銀座で喫茶店を経営始める

○高等師範学校(卒業すると中等学校と女学校の教師に)の校長
 5月に会議を開き、専門学校や大学で
 男女共学を認めるべきだと決議

○女性が弁護士になる資格を取れるようになった

○中学受験や女学校受験の受験地獄が始まる
 小学校で朝と夜の補習授業が始まる
 遅い学校では夜11時までやるところもあった
 
○サラリーマンの平均所得 月収92円23銭

○工場労働者の平均所得 月収83円43銭

○2月に小林多喜二が虐殺される

○4月にダンピングという言葉が伝えられた
 イギリスが日本とインドの通商条約を英が一方的に破棄した理由
 「日本の廉価輸出はソーシャルダンピングである」
 ダンピング=ダンプカーの荷台から荷物がさっと落ちてくる様

○7月 富山連隊の軍曹(下士官)が飲食店で酔って脅かしたことが
 富山新聞で報じられると、部隊の大隊長(少佐レベル・課長級)が
 富山新聞社の襲撃を命令し、機関銃と小銃の空砲で襲撃
 軍の兵士の名誉を傷つけた

○12月横浜貿易新聞の金子しげり、女性新聞記者として初めて議会への出入り自由となる

昭和8年


★1934(S9)

この年、陸軍が国防職としてカーキ色を制定

1.18   婦人参政同盟、有妻男子の姦通罪制定を法相に陳情

1.19   東京電気局、経費節減のため女車掌200人新規採用決定
       月収35円60銭(37.5%)

2      映画館でニュース映画上映始まる

3      中等学校の英語の授業時間を削減

4      忠犬ハチ公の銅像が建てられた

6      新橋-浅草 地下鉄開通

12.7   東京府立第一高女(現白鴎高校)校長 市川源三著
       「婦人読本」(女学校上級用)
       古い良妻賢母主義を批判し、個人主義、自由主義的な新しい
       良妻賢母主義を提唱したが、東京府議会で問題化 没収

12     東北、北海道の冷害で売られた子女が5万人を突破
       内務省が身売り防止策を全国に通達  ↓
   
女中、子守19,244人(76円)  女工17,260人(76円)  
酌婦5,952人(491円)  娼妓4,521人(1,011円)
女給3,271人(83円)  芸者2,196人(702円)
 
        合計 52,444人 (売価は秋田の場合)
   
 

★1935(S10) 二・二六事件の前年

◇衣食住

○国産品愛用の一環として下駄ばき運動始まる

○ウェディングドレス、前年の3割増し。

○繰り出し式の口紅 紙コップ ルームクーラー 幅広羽根の扇風機

○女性のカメラ熱

○女学生に「君」「ボク」などと男言葉が流行

○競馬が盛んに

○ポマードが定着

○国産パーマ機を続々購入 パーマが普及

○陸軍の食事、一日当たり米麦合わせて5.5合
 精米(胚芽米)600g 脚気予防で麦186g

○喫茶店が大流行

○北海道北見のハッカ製造量が世界市場の七割に

2.2   大阪市女教員大会でなるべく洋服にするよう決める
      女性の職場進出により洋装化が一般化

2.11  築地に中央卸売市場が開設

4.21  ショートパンツでテニスは良俗違反と
      他の女性会員から締め出される

7     東京府立第二高等女学校で3年生以上の断髪禁止

7     京大医学部の北村直助助教授らのアッパッパ賛美論

8.13   大阪東区の仏教刊建築工事の騒音訴訟で住民側勝訴。

9.3    旭硝子がわが国初の磨き板ガラスを製造。

9.10   明治製菓が「チーズクラッカー」発売

9      女性の身長が伸び、反物増尺 足袋も大型化

9      大阪でフグ料理の営業が許可される

10     幼稚園児のおやつ人気ナンバー3
       ①ビスケット ②おかき ③せんべい

11.20  北海道の浴場、浴室内で刃物やかみそり使用禁止

11     鹿児島、宮崎で陸軍特別大演習が行われるにあたり
       天皇陛下に日向ハム献上が決まり豚舎を新築

12.12  農林大臣官邸でジンギスカン鍋の試食会

12.12  東京・芝浦の肉畜博覧会で三重県松坂牛が名誉賞受賞

昭和9年

   <参考文献>
   近代日本総合年表(岩波) 昭和史年表(小学館) 
   昭和、平成家庭史年表(河出書房) 他


■ 昭和初年から7~8年にかけての残酷物語

東京板橋町岩ノ坂 その1
 草間八十雄「歳末の細民街」改造1930年12月号

北海道長屋、おばけ長屋などの名のついた長屋が十数軒。
住人はちんどん屋、遊芸人は上層階級、その下に屑屋、あんま、よいとまけ人夫、念仏行者など一応、職を持っているが大部分は乞食。
月収はもっとも多いもので20円くらい。一日7銭で残飯を買って飢えをしのぐ。売り切れの日は豆腐ガラ、野菜の落ち葉で空腹を満たすが欠食も珍しくない。
1930年(S5)10月、横山商工政務次官、東京市社会局の草間八十雄の案内で視察。
40前後の男が泣きこんできたのは、その時だった。
『憲兵長屋』(憲兵がよく来る)に住むバタヤだという。一日拾い歩いても、この頃の不景気では仕切値も安くやっと20銭くらい。やむなく妻は乞食に出ている。
主人が拾いに、妻が貰いにでかけた留守に病気で臥せっていた長男が死んでいた。
死に水も取ってやれなかった。葬式を出したくても棺代もない。…そのバタヤは訴えるのだった。

東京板橋町岩ノ坂 その2
 朝日新聞「ますます怪奇な殺人部落の暗黒面」1930.4.15

岩ノ坂集落は『もらい子』殺しの殺人鬼の集落だった。
仲間は一般に不思議なほど親密で開く風習の伝播力も急速だ。
養育費つきの『もらい子』であると、たちまち男女がよってたかり成金気分になり、酒・たばこ・食物に数日間もどんちゃん騒ぎを続けるという、怪奇な光景を呈するありさまで、悪周旋屋がここにつけこんで魔手を伸ばす。
もっとも多いのは八王子、桐生の機業地の女工の私生児で、その次は悪産院や周旋人の手を経たり、よいとまけがもらってくる東京市内の上流社会未亡人や令嬢の子。…これらもらい児は大正13年頃、17,18名だったのが近年では年々30,40名に増え、そのうち生活難から愛児を手放すのは約1割の少数で、家庭の事情や義理にからむのも1割。
身の不始末によるものが実に8割の多数にのぼっている。
したがって養育費周旋料はたいてい50円以上、100円くらいまで多額で周旋人が大部分を取り、部落民には10円ほどしか渡らない。
これらの子どもはもらわれてからたいてい10日か15日以内にホタルより短い命を取られる。
それまでミルクは下板橋2682古谷薬局外2軒に押しかけて5銭、7銭と計り売りさせ、数日間形式的に育てたうえ、結局栄養不良、乳房の失速し、血脚気、体毒、過失致死などの形式で巧みに法の網をくぐって片づけてしまう。
…13日夜、被害者 菊次郎の母、村山こうは、板橋署に呼ばれ、大家(たいけ)にやったとばかり思った我が子が、つけてやった着物もはがれ、汚い乞食姿になって死んでいるのを見て、呆然とし死体を抱きしめて泣いていたが、このように騙された親がどれだけあるか知れず、前期のよいとまけの福田はつの自白からは10数件の、この種事件が暴露されたものと見られている。

「ハマの堕胎地獄」週刊朝日1933.3.26
20数件に及ぶ横浜市の産婆、藤田小菊のモグリ堕胎が明るみに出たのは、堕ろした胎児の始末を頼んでいた老人の口からだった。
この老人が土を掘り返して何かを埋めているのを、ちょうど目撃した寺島卯平が尋ねると、かの老人、犬を埋めたと言う。
犬の肉にありつけるとばかり、老人が埋めた穴を掘り返すと出てきたのは、生まれたばかりの赤ん坊の死体だった。
寺島は野良犬や猫を殺して食べていた窃盗犯である。

「恐ろしき少年歌人」週刊朝日1931.8.30
心の慰めは、ひたすら啄木歌集に求めた19歳の少年歌人。啄木を容れず啄木を陋巷(ろうこう)に窮死させた社会を呪った病身の彼は、さらに自分に教育を与えながら、職を与えない無力な学校を呪った。そして8年間彼に教育を与えた母校(入新井第一尋常高等小学校)に放火したのだった。


■ よろめく貴族社会

石田、土方ら進歩的な貴族の子弟は、祖父と同じように国の立て直しの必要を強いほど感じていたが、明治の元勲だった祖父たちが作った『国体』に反逆し倒壊させ、新しい『国体』民の国造りを志した。

超名門の子女が共産党員に
共産党の指導により学習院関係者をオルグしたのは1930(S5)やがて「目白台ケルン」という左翼組織ができ、校友会桜葉会の改革闘争をすすめていくなかで女子学習院にも働きかけた。
その時加わったのが、日本海海戦の殊勲者の一人、海軍大将上村彦之丞男爵の孫、上村春子と岩倉靖子。
靖子の父は岩倉具視の嫡流具張、母は西郷従道侯爵の長女、桜子という名門の生まれ。父は行く百万円という資産を芸妓や土地のために放蕩した人物。靖子は華族、富豪といった人々の腐敗・堕落を見つめて育った。彼女の人道主義は、その過程を土壌として育った。
1932(S7)秋、検挙され1年間交流されたが、この間女党員として頑強に抵抗したが、彼女に常に同情的だった兄具栄の宮内省退職は彼女の心を動かした。ついに獄中で転向し保釈で出所。
1933(S8)12月母のもとに帰って10日。明日予審終結という早朝、靖子は転向の責任をとって自殺。
転向の責任をとって自殺した例は極めて少ない。靖子には恥の倫理が生きていた。
「保釈中の岩倉侯爵令妹、思想と肉体、死の清算」というニュースが流れる中で靖子の同志40余名中、20名が検挙された。

不良華族事件など
岩倉靖子の自殺した前日の夕刊には桃色華族に対する宮内省の処分が報じられている。
男爵近藤滋弥氏令弟、近藤廉治、その妻泰子、家族の族称を除く。
伯爵吉井勇氏夫人、吉井徳子、家族の礼遇を停止。伯爵吉井勇訓戒。

この年の9月、故大将の遺言に背いて創設された乃木伯爵の当主元智が爵位返上を願い出たのは長女淑子の恋愛事件がきっかっけの一つだった。


徳川家達の「訓戒書」を発表
下村海南「現代華族論」中央公論社1934(S12)11月号

「輓近我国は稀有の世変ぶ際会し、今や挙国一致邦家進運の基理たる民心の帰向すべきの時期であります。以下略」
天皇によって選ばれた華族は皇室を守るための存在なのに、こんなことになって許しがたい。

土方与志(1898~1959)
小山内薫とともに築地小劇場を創設
1931(S6)ブロット(日本プロレタリア劇場同盟)に加盟。
1932年春から弾圧の手が迫ってきたが、土方は伯爵なので天皇の許可なしには逮捕できなかった。
しかし土方夫人の梅子たちの無届集会で、外出先から帰った土方も拘引される。
警視庁は逮捕したかったが、宮内省が難色。1933年海外に出て国際革命演劇同盟の世界大会に出席する。
モスクワで亡命者一家として暮らすが、第二次世界大戦により帰国し特高に逮捕され懲役5年の判決。
釈放されたのは占領軍による政治犯釈放指令が出た敗戦後1945(S20)10月。

赤い華族一号の土佐の男爵、石田英一郎
1925~26(T15)の京都連事件で不敬罪で検挙。


■ レビュー争議 1933(S8)6月待遇改善要求

18歳のターキーこと、水の江滝子は松竹歌劇団の委員長として、一カ月におよんだ強大な松竹資本との戦いで、会社側の切り崩しや馘首宣言にもめげず勝利を収めた。
この争議は踊り子に社会の仕組みを見る眼を開かせ、自分たちの職業に自信と自覚をもたらした。

ターキー・ストライキ


■ 二・二六事件前の軍人気質

◇エリート軍人養成の陸軍大学の学生の思想調査

陸軍大学の教員であった石原莞爾が、国体学者の田中智学の息子、里見岸雄に依頼して将校生徒たちの思想上の疑問群に対する解決を研究させた。
(この研究は「国体に対する疑惑」として1928年に出版された)
これらの疑問が、当時の陸軍士官学校生とにも抱懐されていたことは注目すべきこと。

○天皇陛下のご真影に敬礼するは、要するに偶像崇拝にあらずや

○天皇はなぜ真正なりや

○万世一系はなぜ尊きや

○天皇をかみとするは独断的にして、むしろ自然人と解すべきが合理的にはあらずや

○現人神の思想は各国に存在したる帝王崇拝と大同小異のものではないか

○我々は、なぜに天皇に忠義を尽くさざるべからざるか 忠義観念はついに人の理性を昏昧ならしむる麻酔剤にあらざるか

○十分に生活を保証されておれば忠義ということも成り立つが、搾取されている国民が無報酬で忠義などする必要どこにありや

○忠君愛国ということは要するに資本階級、特権階級が自己保存のためにする宣伝道徳にはあらずや

○天孫降臨信ずべきや

○三種の神器は原子民族の遺物にして今日これを崇拝するのは時代錯誤にあらずや

○壬申の乱のごとき、忌まわしい歴史あり 何をもって国体を賛美するや

○世界における君主国は漸次地上より消滅しつつあり これに対して万世一系天壌無窮論はいかなる現実性を保証するのか

○人民と国体とどちらが重いか

<参照・引用文献>記録現代史 日本の百年⑦アジア会報の夢(筑摩書房)


◇第一次大戦後の思想の変化

 軍人勅諭を守ることを生活信条にしていた絶対主義軍隊精神の変化について、1920年(T9)石井淳が下記の表にまとめた。

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軍人気質





昭和 | 02:01:28 | Comments(0)
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