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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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昭和維新を考えた青年将校たちの思い
9/11
 
 皆さんから頂いている会費を活用させていただいて、9月から来年の3月まで朝日カルチャーセンターで講座をうけることになりました。
9月11日

9月20日は東大の加藤陽子教授の「昭和天皇と戦争の世紀」1時間半です。その予習をやりまして、質問事項もメモしてきました。10月から明治大学の山田朗先生の「軍事から見る日本の近現代史」です。
しばらくの間、学生になれます。(嬉しそう)
先生の受講講座



◇青年将校たちは、なぜ”維新”を考えたのか

1.陸軍及び陸軍士官が行内の腐敗状況への反発
 ※財界と結ぶ政党政治、全権主義的風潮 日本人のありよう

●磯部浅一(元一等主計、常人、31歳)
手記「軍隊の腐敗と行軍の私兵化の実情」

忠節と言うよりも自分の立身出世を願っているという主張
磯部浅一

「大隊長が侍大将を自任し、連隊長を一城の主なりと云ひ、陸軍大臣を誠意代将軍の如く考えている。不埒至極なる上級軍人の存在が軍隊腐敗の最大の原因である」
「将校は上長に認められることに汲々之つとめている」
「凡そ幹部の忠節は君国に報ゆるの至誠に発するにあらずして自己の幸福を願ふ私心に発している。新旧の一日も早からんことを自己のために祈り、栄典せんことを自己のために祈る。まるで企業社会での会社人間のようなあり方が陸軍に横溢している」



●真崎甚三郎(1926~27 陸軍士官学校長)
被告人として「軍法会議」での1936.4.20の聴取書

当時の陸軍士官学校の様子。
陸軍士官学校には幼年学校からと中学からとの入るコースがあったが、中学からの人格の陶冶という教育を受けた者たちは優秀で自立や個を尊重した。そういう者たちには命令に従わない者もいて、日本の軍隊の忠君愛国思想が欠落している状態。若い青年将校たちにとって許せない状況であった。
 真崎甚三郎

クリックで拡大します
真崎調書

2.対外意識 ~軍縮と国外の状況

〇1925(T14)護憲三派内閣(陸相 宇垣一成)四個師団廃止など

  1930(S5).3浜口雄幸内閣、ロンドン海軍軍縮条約調印

〇1934(S9).3関東軍、執政溥儀を満州国皇帝に就任させ帝政開始
           植民地支配の強化に対するこうにち勢力の活発化
              ↓
           日本帝国の権益侵害

  1933(S8).11ソ連第二次五か年計画 アメリカソ連を承認国交再開

  1935(S10).8中国共産党、こうにち救国統一戦線を提唱(8.1宣言)

〇大本教が宣伝する日米戦争の切迫(西田税「第六回聴取書」)
  
3.庶民の窮状への反発と共産主義への脅威感

●香田清貞(1925年22歳から隊付将校としての体験)
「私たちが見に着けている物も陛下からお預かりしている物」←徹底的に神格思想を植え付けられた考え方。
赤化をを怖れる。

香田清貞   クリックで拡大します
   香田調書


●対馬勝雄
(軍人精神を植え付けることを主体とした学校の教員)
政党政治への不満。統帥権干犯を強く主張。

クリックで拡大します
tusima.jpg


●中橋基明
1929年少尉任官・22歳近衛歩兵第三連隊付となり、初年兵教育を通じて社会矛盾に目覚め始めた。
エリートのはずの近衛兵にも借金がある実情。

中橋   クリックで拡大します
   近衛兵実情


●栗原安秀
習志野戦車第二連隊に在任中に1933年9月に面会した宮田晃(予備役曹長・栗原と同い年の25歳)が栗原の人格に感動。兵士の除隊後の心配をする優しさ。
栗原安秀

私ハ戦車第二連隊ニ在隊中同連隊ハ創設日浅ク体調以下訓示等立派ナルモ農村窮乏其ノ他ニ依ル兵ノ苦境等ニ付キ申告スルモ之レヲ取リ上ケテ呉レス尚除隊后ノ就職斡旋等ニ何等省テ呉レルモノカアリマセンテシタ

4.時流(じだいの傾向)への反発

●村中孝次(当時25~26歳)
村中孝次

日本人は、もっと気高くあってほしいという彼の情念は、現今の政党政治のありようや、金権主義的風潮にその要因があるととらえ、それへの敵意をつのらせていった。
  ↓
1928年5月~1929年6がつの天津駐屯の機関に、彼は「塘沽、泰皇島ニ出張シテ日本人ノ生活状態ヲツブサニ見」たという。かれは語る。
「日本人カ無理想無方針テ密輸等ヲシテ生活シテ居ルト云フ様ナ誠ニ情ナイ状態ニアルコトヲ知リマシタ 私ハ従来日本人ニ対シテハモツト高イ理想ヲ持ツテ居タノテアリマスカコノ状態ヲ見テ人心ノ頽廃ヲ思ヒ国家ノ前途ヲ憂ヘ国民ノ精神ヲ振作シ日本人ノ理想ヲ高メル必要アルコトヲ知リマシタ
(村中孝次公判調書)


◇二・二六決起への決定的契機

1.第一師団の満州派遣が前年10月内定

●安藤輝三(第一師団の中心人物)
満州の軍隊を強くしなければソ連に侵攻されてしまう。
満州に行くことは前向きにとらえていたが、彼が一番気にかけていたのは部下の生活状況。
彼は自分の俸給を貧しい兵士たちに全部与えていた。
満州に行きたいが、この兵士たちを置いて行って日本の国力は上がるのだろうかと悩む。

安藤輝三

「精兵ヲ率イテ最後ノ御奉公ヲ北満ノ野ニ致シ度イト念願致シ」
「只一ニ渡満ヲ楽シミニシテ居ツタ」

「渡満前ニ何トカシナケレハナラント考ヘテ居リマシタカ夫レハ単ニ日蘇開戦ヲ予期シ其ノ暁ニ於ケル現下ノ如キ国内ノ情勢テハ困ルト考ヘマシタノテ渡満前ニ国策ノ確立、国力ノ充実ヲ謀ル為ノ基礎ヲ固メ置カナケレハナラヌトイフ漠然タル気持チニナツタノテアリマス」
   ↓
満州で精鋭を率いての奉公を願って楽しみにしていたが
渡満前に国策の確立、国力の充実を図るための基礎を固めておかねばならない


●山口一太郎
同年(1935年)秋季演習中、栗原中尉から「国内此ダラシナイ状態ニ放任シタ侭満州ニ行ツテ賊ノ弾丸ニアタツテ死ヌ位ナラ内地デ国家革新運動ヲヤツタ方カ遥カニ有意義タ」ト申シテ居ルノヲ聞キマシタ。コノ栗原ノ言ハ恐ラク同人ト思想ヲ同ウセルモノ大部分ノ感想タロウト推察シマシタ
(被告人訊問証書)
   ↓
演習中に栗原中尉から「国内のだらしない状態を放っておいたまま、満州に行って賊の弾丸に当たって死ぬくらいなら、内地で国家革新運動をやった方がはるかに有意義」と言っているのを聞いて、おそらく大部分の仲間も同じ気持ちだと思いました。

●村中孝次
昨年十二月、第一師団カ満州ニ派遣サレルト云フ報カ伝ハリマシタノテ第一師団ノ渡満前ニ主トシテ在京同志ニ依ツテ急ニ事ヲ挙ケナケレハナラヌト考ヘ其時決心シタノテアリマス。
(公判調書)
   ↓
昨年12月に、第一師団が満州に派遣されるということが伝わって、渡満前に主に在京の同志によって急に事を起さなければならないとその時決心したのです。


満州に行かされる前にやらねばという思いが二・二六事件を起こした

2.財政問題

 ◇高橋財政の不況対策
  低為替を利用して輸出急増を目論む
  労働賃金の切り下げ=投げ売り政策  →英米は経済的侵略と捉えた
  8時間労働制未実施
     ↓
  ますます貧富の差拡大


 ◇軍部の軍備拡大要求を受け入れ国債発行
  軍部の要求全て断ると内乱が心配
     ↓
  軍備のために国債を発行しインフレが進む

不況の中で日本がどん底にあり、これが二・二六事件のきっかけとなった

  ◇高橋是清蔵相の発言 

高橋是清発言



  「兵財両全の精神」
  「蔵相堂々と力説」
  「孤立無援の日本 民力充実が急務」
  「軍事費に強硬な一針」

  ※この頃の新聞は頑張っていました


一、日本は世界において天然資源も少なく、国力の豊かならざる国であるから予算も国力に応じたものをつくらねばならぬ

ニ、世界を見渡して日本を後援する国が果たしてどこにあるか

三、予算は国民の所得に応じたものを作っておかねば、いざ鎌倉というときに敵国に対して十分の応戦をなすことが出来ぬ

四、日本内地の国情を見るのに誠に気の毒な人もあり、また年々の災害によって民は炒められ社会政策上、考慮すべき問題は多々ある

五、若しこれ以上に軍部が無理押しをすればついに国民の信を失ふこととなるのではないかと思う

六、自分は最後に陸海軍に対し、各々一千万円ずつ復活要求を認めるが、それ以上はとても承認するわけにはいかぬ

七、わが国は徒に列国を刺激することをやめ、』世界平和の精神を以て進むべきである

   

11/28読売新聞夕刊 「参謀本部『資材費延長許さず、
               金額四千万円を要求」

11/29読売新聞朝刊 陸軍、高橋蔵相の「公債漸減」方針に
              真っ向から対立する「公債増発の強硬論」
              社説で高橋発言を「妥当公正な意見」と評価

統制派が予算増額要求の中心。
対立していた皇道派も予算獲得では統制派と同一歩調。

香田清貞陸軍大尉・第一師団第一旅団副官の第2回被告人尋問調書
「我等ハ昭和維新運動ニ棹サシテカラ維新完成ノ為ニ大道ヲ歩ンテ努力ヲ続ケテ来マシタカ、現在ノ既成勢力カ常ニ之ヲ妨ケテ居リマス」
   ↓
高橋蔵相は既成勢力の擁護している

この既成勢力が維新の歓声を妨げた実例として高橋蔵相の発言を取り上げ
「高橋是清蔵相カ昭和十年十月頃(ママ、実は11月)ノ予算閣議ノ席上、陸軍大臣ニ対シ軍部ニ非常ナ多額ノ予算ヲ獲得スレハ遂ニ軍部ハ国民ノ怨府トナルタロウ等ト、到底蔵相トシテ口ニスルヘカラサル方言シテ暗ニ軍民離間ヲ企テタルコト、ソシテ之ニ依テ既成勢力ノ擁護ヲ為シタル事…」
   ↓
高橋蔵相に対して強く反発

磯部浅一は高橋蔵相の国防予算問題について如何に考えたかの問いに
「高橋蔵相ノ財政方針ハ維新ヲ阻害スルモノ」
「維新ノ財政方針ハ寧ロ公債ヲ増発シテ財閥ヲ破壊シテ行クモノテナクテハナリマセン」
「特ニ昨年十一月予算問題閣議ノ席上ニ於イテ高橋蔵相ハ健全財政ノ名ノ下ニ軍部ニ重大警告トシテ皇軍ヲ非難シタ」
   ↓
高橋蔵相の財政方針は維新を阻害するもの
財閥を破壊してゆくものでなくてはならない(理解不能)
高橋蔵相の軍部に対する非難に反発



3.当時の青年将校たちの心に根差していた「皇国体」

高橋太郎歩兵少尉・歩三第一中退連隊旗手(第二回被告人尋問調書)
「被告カ今回ノ反乱事件ニ参加スルニ至リタル事情ヲ述ベヨ」の問いに
「陸士入校以来同校ノ伝統的精神タル尊皇憂国ノ至情ヲ鍛ヘラレ」と述べてから「村中ノ訓化、菅沢ノ人格・思想ニ傾倒シ愈々尊皇絶対ノ信念ニ対スル認識ヲ深クスルニ至ツタ」

同時期秩父宮が在隊していたことで「益々皇室ニ対シ奉ル尊崇ノ念ヲ深クスルニ至ツタ」

「農村ノ疲弊」
「赤化思想跋扈」(決起直前の総選挙での社会大衆党の躍進)
「重臣顕宮等ハ其ノ重責ヲ忘レ、私利私欲ニ耽ル」
「姑息ナル平和主義」
「官僚・財閥・軍閥等ト結託シ隠然タル幕府ヲ形成シテ大御心ヲ遮リ奉リ皇室ハ之ヲ敬シテ赤子ノ情亦大君ニ通スルニ由ナク」「国威ヲ失墜シ近隣諸国ノ排日侮日等ノ内憂外患ニ至リ真ニ皇国ノ危機切迫スルヲ痛感」し「皇国体ノ真姿顕現ハ一刻モ猶予ナシ能ハサルヲ銘肝スルニ至ツタ」
   ↓
どうして事件に参加したのか?
学校に入ってから尊皇憂国に傾倒した
農村の疲弊や左傾化、重臣らが私利私欲に耽る、姑息な平和主義
官僚、財閥、軍閥などが幕府を形成して天皇の邪魔をしている
皇国体を実現しなくてはならない


天皇あっての国家という発想、明治維新の薩長閥の作り上げた思想

昭和 | 06:15:18 | Comments(0)
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