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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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二・二六事件 東京陸軍軍法会議、青年将校たち最後の声
11/13
  二・二六の頃、何故政党が腐敗していたのか? 
  ~今に連なる問題~
 なぜ政党が堕落したのか

①明治憲法下で 官僚>>>政治家 
明治憲法下では議会(立法権)は天皇の協賛機関。
内閣(行政権)は天皇の輔弼機関。
天皇の責任を負う内閣が政治の中心となっていった。
議会に籍を置く政治家は行政機関の官僚と結びつかなければ自分たちの意見や考えを政治に反映できない。政党が官僚に従属する関係が生まれた。憲法に問題があった。

②独占資本体制へ
わずかな大企業やわずかな銀行が日本の金融や産業を支配してゆく。昭和の始めの頃に独占資本主義が成長してゆく。政党が財閥と手を握ってゆく。今でも財界と政党の関係が深い。当時から政党は資金の問題も含めて財閥と繋がってゆく傾向。日本の政党というの始めからいわゆる民衆に繋がって行ってない。主権在民は考えられない。

③財閥が軍部と手を握る
軍部と手を握り重工業に投資することによって財閥はさらに豊かになってゆき、政党と縁を切ってゆく。

      ↓↓↓
結果的に敗戦まで日本の政党政治は庶民に根を張らなかった。

その後、国内情勢は
      ↓↓↓
政党堕落し財閥が成長して行き国内の政治改革は軍部中心の新しい内閣を作ろうという動き。

独占資本主義により軍財抱合がおこり国力を海外に伸ばそうという動き。膨張主義。満州の植民地化。第二の満州国(中国北部)建設。

国家主義。国歌に全ての価値観を集中させてゆく。




◇暗黒裁判・特設軍法会議

〇何故”特設”だったのか?
・陸軍大臣が最終責任者であった
・軍人以外の北一輝や元軍人(常人)の民間人も裁いた

「弁護人ノ選任ヲ許サズ、審判ヲ公開セズ、判決ハ即時確定シ上告ヲ許サズ」

〇何故非公開で弁護人なしだったのか?

五・一五事件相沢事件を裁いた時に、五・一五事件では公開だったので世論の同調があった。そのために死刑という判決が出せなかった。
相沢事件も公開裁判で本来知られたくない情報が出てしまった。
為政者は失敗と感じ今回は非公開で弁護人なしになった。

〇3月4日第一回開廷

・法律を学んでいる15人の軍人が検察官
・軍部関係の検察官6人
 匂坂春平首席検察官

〇第一次判決

・7月5日 17名死刑判決 → 7月12日、三度にわけ銃殺

処刑時は青年将校たちの思いを汲んで?陸軍の将校が銃殺した。
実弾の音が響くのを恐れ、処刑場の傍で特別に演習訓練で空砲を撃った。

〇7月29日第二回開廷

・軍人でない四名(北一輝、西田税、磯部浅一、村中孝次)に死刑判決。一年後に銃殺刑。

彼ら自身が権力を握ろうとしたわけではなかった

・皇道派を陰で操っていた真崎甚三郎は無罪


       ~NHK「もう一つの二・二六事件」を見る~

1500人近い関係者の中で164人が起訴され軍法会議にかけられた。

寺内寿一陸軍大臣は陸軍の不祥事に国民の非難が集中するのを恐れ、裁判の進行に陸軍の意向を強く反映させようとした。陸軍存亡の危機。

事件の捜査を続けていた東京憲兵隊の大将の坂本大佐から匂坂への手紙(4月25日付)で「軍上層部内の反軍一味徒党検挙計画案」で香椎中将を検挙し、皇道派の真崎大将や荒木大将など関与の疑いのある陸軍上層部の一斉検挙が提案された。罪状は叛乱幇助。

匂坂春平陸軍法務官は、蹶起を認めるような大臣告示を下達し蹶起部隊を正規部隊に編入し警備に当たらせる命令を出した香椎と、青年将校に期待を持たせるような発言をし、彼らの意に沿うような昭和天皇の詔勅を求めた真崎甚三郎を追求しようとしていた。匂坂は首席検察官として法の正義を優先したが圧力がかけられた。

寺内寿一は帝国議会で「陸軍大臣告示はなかった」と発言。

6月4日、匂坂は21人に反乱罪で死刑を求刑。
それに対して香田大尉、安藤輝三、磯部浅一らの青年将校たちは自分たちの行動を認める軍上層部も同罪ではないかと主張し始める。
彼等は「大臣告示」を謀略や説得手段と主張する軍上層部の論理を真っ向から否定。磯部は獄中で検察官宛に軍上層部の告発状を出す。

正式裁判記録が東京検察庁の地下倉庫に保管されていて、7月10日磯部が予審の法廷で真崎と対決した記録が残されていた。
真崎が事件一か月前に金銭的支援を約束したことを問われ

真崎:「俺もやると言ったようなことはありません。磯部のごとき浪人に対しそのようなことを言うはずがありません。金の問題について、私が家のものを売ってでも準備すると言ったようなことは全然ありません」

磯部に同じ訊問。

磯部:「閣下は『俺もやるんだ』と言われました。それから私が金を欲しいと言いますと、『どれほどいるのか』と言われましたので『千円くらい欲しい』と答えましたところ、『それくらいなら何とかなるだろう。俺は貧乏をしているので金が無いから物でも売って作ってやろう』と言われました。

磯部の主張一つ一つに対して真崎は「自分の記憶と相違している」「わからない」と答える。
陸軍上層部は青年将校との関わりを一切否定していった。

7月12日15人が刑務所の敷地内で銃殺刑に処せられる。

磯部の死刑執行は北一輝と西田税の証人として残るため猶予された。
磯部は北と西田の救出を訴え始める。「大臣告示と戒厳命令を発したのは北と西田ではない。陸軍の親玉が発したのです」

匂坂は法の正義を守るためには磯部の主張を認めざるを得ない。香椎浩平を徹底的に取調べる。
香椎は「文官ごときが」と不満。

12月21日匂坂は陸軍大臣に提出する香椎の報告書に「反乱軍をすぐに鎮圧すべき立場にありながら、そうしなかった辱職に当たる」と書き、反乱部隊を利するような行動をとったとその罪を強く主張し、起訴に向けて強制捜査が可能な予審請求を求める。

12月24日前半部分は同じで結論の違うもう一通の意見書を出す。
「周囲の情勢上必ずしもこれを深く咎めるべきではなく、情状酌量の余地がある。不起訴処分」
犯罪は成立するが、捜査は打ち切りという結論。

正式な裁判記録は12月24日のもの。附箋がつけられ香椎を弁護する書き込み。

大臣の決裁文が異例の毛筆の朱書き。「辱職、反乱、ともに証拠そなわず」辱職罪が成立するとした匂坂の意見が否定されている。匂坂は罪を成立させられないだけでなく報告書にまで手を加えられた。
寺内陸軍大臣による事実上の指揮権発動。

匂坂は真崎への追及は緩めなかった。
昭和12年1月7日、反乱者を利すという罪で真崎甚三郎を起訴。
(匂坂は元旦に盛装して写真を撮っている。起訴するにあたって覚悟を決めた)

7月15日上層部でただ一人起訴された真崎に禁固13年を求刑。

北京郊外の盧溝橋で7月日中が衝突。やがて戦火は拡大し8月日中は全面戦争に突入。

陸軍上層部による裁判への圧力が強まり、匂坂は陸軍大臣から戦争遂行を理由として二・二六裁判の終結を命じられる。

8月19日磯部浅一、北一輝、西田税が処刑される。

9月25日、叛乱幇助の罪に問われていた真崎甚三郎に無罪判決。
判決文奇妙。「被告人に於いて、その不利なる点につき否認するところある。他の証拠によりこれを認めるに難からず。しかるにこれが反乱者を利せんとするの意思より出でたる行為なりと認定すべき証拠、十分ならず。よって無罪」
全ての公判終了。

井出孫六:法が踏みにじられ、国民を委縮させてしまった。軍部独裁体制へ。




◇その後の反応

〇五・一五事件のあとは国民から同情がおきたが、二・二六事件では報道されなかったので一般大衆は青年たちを憎んだ。

〇二・二六事件では埼玉県の兵士が大半で、下士官や兵士のほとんどは上官命令通りに動いた。

(クリックすると大きく表示されます)
下士官や兵士たち

〇思想調査(答えない者が多い)
  ↓
壮丁の思想調査(高知県)

〇陸軍省が出した「二・二六事件の原因」
 (斉藤三郎「右翼思想犯罪事件の総合的研究」所収)

①北一輝らの影響
北一輝、西田税を思想的中心にした青年将校たちの横断的一群が昭和維新を目指した。
(実際の影響はそれほどでもない)

②十一月二十日事件
陰謀事件の糾弾で磯部、村中が免官

③国体明徴問題
天皇機関説を否定する者たち、特に真崎甚三郎は全軍に対して過ちであると訴えた。

④真崎教育総監更迭問題

⑤永田軍務局長刺殺事件

⑥第一師団の渡満


◇処刑された者たちの最後の声
 (クリックで拡大表示)
   
〇香田清貞の言葉

 一行目の民主革命とは共産革命の意味。
 三行目の昭和元年は明治元年の書き間違い。
香田清貞1
香田清貞2

〇安藤輝三の言葉

 当時の青年将校は漢学に明るかった。
 第四、三行目「大御心の僭上(身分を超えて差し出がましいことをする」
安藤輝三1
安藤輝三2
安藤輝三3

〇竹嶋継夫

 7行目に「絶対に民主革命を企図したものではありません」
竹嶋継夫1
竹嶋継夫2


〇坂井直(なおし)

 2月9日に結婚したばかり。20歳の妻を残して処刑された。
坂井直1
坂井直2


〇田中勝(かつ)
田中勝


〇中島莞爾

 一行目 北、西田に利用されたのではない。
中島莞爾


〇安田優(ゆたか)

 革命ではない。
安田優


〇高橋太郎

高橋太郎


〇対馬勝雄
対馬勝雄


〇栗原安秀
栗原安秀1
栗原安秀2


〇丹生誠忠
丹生誠忠


〇中橋基明
中橋基明


〇林八郎
林八郎


判決

昭和 | 20:02:07 | Comments(2)
コメント
香田中佐x  香田大尉○
向坂x     匂坂○
2012-09-21 金 20:14:16 | URL | まあぶう [編集]
ありがとうございます
お恥ずかしい。すみません。
まあぶうさま、ご指摘ありがとうございます。
きちんと読んで下さり恐縮です。

2012-09-21 金 21:28:11 | URL | ひさごん [編集]
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