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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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広田内閣と第一次近衛内閣の日中関係
1/22
 
 近衛内閣が出来た年の1937年の1月に、
 野上弥生子が新聞に、このように書いています。

   1月22日

    「神聖な年神様にたった一つお願い事をしたい。
     今年は豊年でございましょうか。凶作でございましょうか。
     いいえ。どちらでもよろしゅうございます。
     洪水があっても、大地震があっても、大火事があっても、
     暴風雨があっても、大噴火があっても
     コレラとペストが一緒にきてもよろしゅうございます。
     どうか戦争だけはございませんように」
 


◆広田内閣時の日中両国の関わり

1.広田弘毅内閣 1936(S11)8
 四省間(外務、大蔵、陸軍、海軍)の「対支実行策」


 =華北、満州を『防共』の緩衝地帯とすると同時に資源の確保のため=

   ・河北省、察哈爾(チャハル)二省の分割統治
   ・国民政府に ①防共軍事協定の締結
            ②日支軍事同盟の締結
            ③日支懸案の解決促進
   ・法人の最高顧問及び軍事顧問の傭聘



(クリックで大きくなります)
map3.gif
     
1936.11 蒋介石は抗日世論を弾圧
  「内戦の秋(とき)にあらず、民族統一戦線を樹立して
  抗日にあたるべし」と説く救国七領袖を逮捕

1936.12 西安事件 西安事件 - Wikipedia
  張学良(国民政府軍、副指令)国共内戦停止と抗日を求めて
  蒋介石を西安で監禁
  中国共産党、周恩来の調停で、蒋介石も内戦停止を了承し 
  第二次国共合作、民族統一戦線を結成

ソ連は日独防共協定(1936.11.25ベルリンで調印)の成立で
中国の内戦を望まず、イギリスも中国の衰退がそのまま日本の
勢力拡大につながるとし、西安事件を歓迎

1937.3 実質上の国共合作が成立

1937.8 中国共産軍(紅軍)は国民政府第8路軍に
1937.9 国民政府は国共合作を世界に宣言
                ↓↓↓
        中国は抗日に一本化していった


1937(S12).1 「国民政府の第一は行政権の回復と統一にあり、
  この方針に反する日本の要求は全て排撃する」と南京総領事の
  須摩弥吉郎に伝え、帰国したら広田首相に伝えよと指示

  また日本政府が不法に作りあげた既成事実、
  冀察(きさつ=河北省、チャハル)政権の解消を要求
  これに応じなければ以後日本政府の交渉に応じない方針

  ※冀察政務委員会 - Wikipedia

map2_20120422002229.jpg


2.中国の対日感情の悪化と対欧米対策

◇華北における利権に関する日本の野望
 日本政府、軍部、財界が重要視 →鉄、石炭、塩などの資源 
                      関連する交通及び電力などの施設

 「天津-石家荘間の鉄路の敷設、及び炭鉱、鉄鉱の開発」

 冀察政権さえ非協力的で「国土盗売犯死刑令」を発布
 更に日本人経営の工場敷地獲得を妨害する措置を取った

◇密輸品の氾濫で中国産業に打撃
 税金のかからない密輸品の氾濫によって鹿が暴落
 上海、北京、天津地方の製糖業者のほとんどが操業停止に
 華北を主要市場とする江蘇省、浙江省の製粉業者も操短、休業

 当時中国の民族産業は山東、河北両省での紡績業だったが
 東北地方(満州)への日本の侵略戦争で年々不振の度合いが高まり
 1936(S11).5日本紡績資本に買収される工場が相次いだ

◇蒋介石の対欧米対策
 1937.3.5 蒋介石・中央国民政府委員長はジョンソン米大使と会談
 太平洋の安定は米英の協調にかかわっている、
 近い将来、極東に利害関係を持つ列強の国際会議開催必要と主張
 (蒋介石の狙いは日本の孤立化)

 イギリスは1935年、国民政府の財政基盤立て直す通貨改革計画を
 援助するため経済顧問を派遣 
        ↓
 事実上の英日蜜月時代の終わり
 (以前は日本がロシアが南下するのを見張る番犬の役割だった)

◇高まる緊張 
 1937.6.6 大鷹青島(チンタオ)総領事「一度武力衝突が発生すれば
 日中の全面戦争を招来することは容易に予想される」と外務省に報告


◆1937(S12)6.4 第一次近衛内閣の成立
 (民政党と政友会の両党より入閣者あり)
 湯浅内大臣が天皇に陸軍大臣、海軍大臣の留任を推薦

近衛文麿に対する期待
近衛文麿

①軍部は彼の論文の満州進出の正当化を好意的に受け入れた
・1919(T8)6に調印のベルサイユ講和会議に出発する前に
 28歳で発表した処女論文「英米本位の平和主義を排す」

・1933(s8)42歳の貴族院副議長、公爵の時の論文
 「世界の現状を改造せよ」 (クリックで大きくなります)
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②近衛に対する政党の期待

 民政党と政友会は軍部に太刀打ちできなかったので
 近衛中心に新党結成して政権の座に復帰をはかる

③当時の市民たちの動き

 知識人たちは近衛がマルクス主義の川上肇を慕って京大に行った
 という伝説の広がりに幻想を抱いた

 庶民は家柄、若さ、容姿に清新な政治家のイメージを抱く
 事大主義的体質を持つ日本人に多く見られる傾向
 
 ※事大主義 - Wikipedia - http://bit.ly/JgwikH

④国民政府もいったんは期待を抱いた
 (父、近衛篤麿が知支派であった)

◇1937.6.15 日満一体の総合計画による国防国家建設の促進を企図


 そして盧溝橋事件が起こる
昭和 | 03:31:26 | Comments(2)
コメント
いよいよ日中関係が険しくなってきましたね。 私は個人的に廣田弘毅が好きなのです。 理由は城山三郎の「落日燃ゆ」をずっと以前に読んで、廣田のファンになってしまったのです。 極東国際軍事裁判で戦時中文官だったのにA級戦犯となり絞首刑を潔く受けたことやその前後の行動、考え方に感動したのです。
2012-05-05 土 20:07:58 | URL | mike [編集]
mikeさま、いつも読んでいただき、ありがとうございます。
「落日燃ゆ」面白そうですね。
これから広田弘毅が出てくるのが楽しみです。
2012-05-05 土 21:03:23 | URL | ひさごん [編集]
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