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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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『事変』と称されていた戦いが何故『戦争』になったのか(4)
3/25
 
   3/25

 戦争中の動きと今の政界や財界は相通ずるものがあります。
 資本主義社会のひとつの膿ではないかと思いますね。
 資本主義自体が変わってゆかないかぎり難しいと思います。

 明治維新でも市民革命の動きがありましたが
 抑え込んだのが岩倉とか西郷とか大久保たちです。
 市民革命の歴史を持たない民族の不幸が今日にあると思います。
 


◆事変から戦争への道筋

map2_20120422002229.jpg

■ 初期の”戦い”の段階で収められず


 ・この頃、蒋介石は「大戦は免れない」としながらも日記に
  「一面交渉、一面抵抗を国策とする」と記していた

 ・7月21日 天皇は杉山陸相の情勢判断と増派の可能性の上奏に
  「現地で事件が落着し、先方が全てを実行すればいかにするか」
  と問い、現地解決の場合には像はしないことを確約させた

   (天皇はソ連が動き出すことを恐れていた)

 ・7月27日 閣議で3個師団増派を決定

 ・7月28日 華北の日本軍攻撃開始

 ・7月29日 永定河以北の北平天津ちくはほぼ制圧

 ・7月30日 近衛首相、閑院宮参謀総長に
         「永定河東北地区が平定されれば
          軍事行動を止めて宜しきにあらずや」
            ↓
          外交交渉へ

■ 3年後の天皇の嘆き

 ・1940(S15)10月12日 天皇が小倉庫次侍従に
  「支那が案外強く事変の見通しは皆が誤り
   特に専門の陸軍から観測を誤れり
   それが今日、各方面に響いて来ている」と悔やんでいた

 ・統帥部(第一部長石原莞爾以下)は対ソ戦備の遅れを焦慮し
  適切な初期戦争指導が出来なかった

 ・日清戦争の時のイメージで中国軍の戦力を見誤った
   中国国民の抗日の強い思い
   ドイツ軍事顧問とドイツ製武器
   (ヒトラーは武器輸出に励んでいた)


■ 近衛の和平交渉の試み

 ・7月半ば盧溝橋と苑平城付近で天津駐屯軍と第29軍が戦闘状態に

 ・近衛自身が蒋介石と直接会談して解決しようと考えた
  
  〇万が一交渉がまとまっても軍が無視して行動するかも
軍は華北の地下資源を欲しがっていた
          ↓
  〇国際間の信用を無くしてしまう
          ↓
  〇宮崎竜介(支那浪人)を派遣しよう

 ※石原莞爾は対ソ開戦のために戦力温存したく和平を望んだ
   「この関頭に立ちながら一国の首相として何たる度量の狭い人か
    国を滅ぼす者は近衛である」 と慨嘆
  
■ 失敗に終わった和平工作

 ・側近の西園寺公一が西希与志という偽名で上海にわたり
  宋子文と会い蒋介石が条件次第で和平の意思ありと確認

 ・近衛は宮崎を派遣することを杉山陸相に話し了解を求めた
  杉山は反対しなかった

 ・国民政府から王駐日大使に極密至急電報で宮崎の件知らせる

 ・暗号電報が海軍により解読され、参謀本部に通報される
  
 ・参謀本部から陸軍省に急報、陸軍より東京憲兵隊に逮捕要求

 ・憲兵隊は4日午前神戸埠頭に現れた宮崎を逮捕し東京に護送

  ※大谷敬次郎著『軍閥』

 ・広田外相は交渉人の要請されたが陸軍の真意わからずと受けず

■ 大山勇海軍大尉らが殺害される

 ・8月9日 上海虹橋飛行場、東邦越界路(モニュメント・ロード)で
  上海派遣陸戦隊(海軍)の大山大尉と斉藤水兵、
  中国保安隊に殺害される事件発生

 ・8月13日 中国側が日本海軍陸戦隊に向かって発砲

 ・8月14日 中国空軍が陸戦隊本部・総領事館を爆撃
     これに対して日本海軍は本土からの海洋爆撃で報復
     南京・広徳・杭州・南翔、その他の中国航空基地に一斉爆撃

   ※亀井宏著『昭和の天皇と東条英機』(光人社刊)他


            当時の列強の動き 

列強諸国の関心はスペイン戦争に集中しており、満州事変には消極的

〇 スペイン内乱 1936(S11)年7月~39(S14)年3月

 ・反共和派の軍部・地主・協会に支持されたフランコの
  モロッコ反乱で始まった

 ・独・伊は公然とフランコ側を支援

 ・政府側の武器援助要請は戦火拡大を恐れるイギリスの
  不干渉政策によって受け入れられなかった

 ・国際義勇軍とソ連の援助を受けた政府軍は戦力低下していく中で
  政府軍内部でのコミュニストとアナーキストやトロツキストの対立深まり
  ついに政府軍は降伏する

 ・ナチス・ドイツはこの内乱を兵器と戦術のテスト場とし
  多くの残虐行為を行った

 ・この内乱は第二次世界大戦の前奏曲だったと言える

 ※フランコ=1892~1975 スペインの軍人 国家主席として独裁

 ※共和国政府=世界恐慌後、反王政派(社会主義、共産主義)が
   激増しブルボン王朝アルフォン13世が退位、亡命して
   スペイン共和国が1931年4月に成立

 ※トロツキスト=レーニンやスターリンの一国社会主義革命でなく
   永続革命論による世界革命を主張

〇 アメリカは深刻な恐慌

〇 イギリスはスペイン戦争への独伊の介入による戦争拡大危惧



◆戦域の拡大 

 ・7月25日 豊台南方で軍用電線修理中の日本軍を中国軍が攻撃

 ・7月26日 北京城内に入ろうとした日本軍を中国軍が攻撃

 ・7月28日朝 日本軍一斉攻撃開始 永定河右岸、北京、天津を占領

 ・7月28日夜 通州で冀東(きとう)政権の保安隊が
          特務機関長細木中佐以下、日本人居留民260名惨殺

    ※特務機関=外地に置かれた諜報機関
             作戦以外の政治・経済工作 謀略など

  ※直接のきっかけは関東軍飛行機が保安隊兵舍への誤爆

  ※冀東政権は南京政府が正式に認めてない軍閥の政府
   だいたい地図の斜線部分
         ↓
map3.gif


■ 日本国内での報道

  誤爆のことには触れてない 都合の悪いことは隠す
         ↓
新聞1

新聞2

■ 8月9日のチャハル作戦

 参謀本部が7月28日の日本人殺害への反撃に乗じて
 支那駐屯軍が北方のチャハルに攻め込んだ
 関東軍の一部(東條英機参謀長)が作戦協力する
    ↓
 明らかに統帥権干犯であった

 戦争で勝利を得た時は天皇は黙認している
    ↓
 勝てば天皇は許してくれるという認識が生まれた

■ 8月14日 蒋介石は国民政府正式に抗日自衛を声明

 ここではっきりと大元帥としての立場を明らかにし
 日中戦争へ発展してゆく一歩となった


◆本格的戦争の始まり 

■ 本格的戦争開始

 ・7月27日 参謀本部は奉勅命令で支那駐屯軍に
        北京、天津周辺の中国軍の攻撃と占領を命令

   ※奉勅命令 7月11日の五相会議で華北派兵提案を可決、天皇裁可

 ・7月28日 支那駐屯軍は満州・朝鮮からの増援部隊を併せ指揮し
         第29軍に対する攻撃を開始
         圧倒的な航空兵力の援護のもとに翌29日までに制圧
         日本軍は北平、天津周辺を完全に占領した


◆ 戦争拡大の原因

■ 日本の当時の支配層の問題

中国本土の一部である満州(東北部)を日本が既に侵略している事実の認識を欠き、中国の民族解放運動の力量を理解せず、かつ中国の抗戦力を軽視して、威嚇ないし一撃で中国を屈服させることができると考えて強硬な態度をとったこと

絶対多数の無自覚な市民たちも同調していった

■ 経済的な事情

準戦時体制破綻により華北分離を国策と定めざるを得ない

・「国防充実、公債漸減主義」の放棄
    ↓
  国債の増発

・増税と低金利政策
    ↓
  準戦時財政

<1935年度一般会計歳出総額> 30億4千万円 (前年度より7億円増)

 ・軍事費 14億円(46%) …前年度より3億4千万円増

   更に軍備拡張計画に沿って軍備拡張費が要求された
    陸軍省 …1937年から6年間で13億9千万円
        (兵備改善費、内地航空防空兵力充備費、資材整備費など)
    海軍省 …1937年から6年間で11億7千万円
        (艦艇製造費、水陸整備費、航空タイ設備費、艦船整備費)

 ・重要国策関係経費 10億6800億円(5.1%)

    国防充実費 6億9200億円
    税制の整備 2億3700億円
    産業、及び貿易振興費 5700億円
        (液体燃料の自給、航空事業の振興)
    対満重要策 2500万円
        (移民政策、投資の助長)

 ・国民生活安定の経費 5500万円(1.8%)

■ 膨大な予算のため税制改革案が計画、立案

 〇国税の増税 〇地方税の減税 〇及び国税による地方財政の調整   

 ・直接国税… 法人所得税8割 個人所得税3割 相続税10割 増税

 ・間接税…  酒税、砂糖消費税2割 織物消費税1割 各増税
         売上税、揮発油税など新設
            ↓
    1937年(S12)度 総額で約4億2千万円の増収となるが
    そのうち2億2千万円は地方財政調整交付金にあてるとし
    差引約億円の増収が見込まれた
            ↓
    地方税の減収分を間接税の増徴と煙草の値上げ(バット7→8銭)
    郵便料金葉書値上げ(1.5→2銭)
    増税でまかないきれない軍事費中心の歳出8億6千万円を
    公債収入で補おうとした
            ↓
     増発された銀行券が民間に滞留してインフレ高進

■ 行き詰まりから華北進出へ

準戦時体制の破綻と満州経営の行き詰まりによる日本帝国主義の危機の深化により、軍部がすすめてきた華北分離工作の背後に軍事的独占を必須条件とする日本資本主義の華北への進出があった

1937年に入ると物価の上昇、国際収支の悪化など一挙に高進させ、地方 満州・華北の経済開発も行き詰まる中で準戦時経済の危機打開の道を、中国の民族解放運動の発展の方向とは本質的に相いれない華北分離工作と日満華北経済ブロックの建設とを強硬することに求めて行った
             ↓

           軍財抱合

■ 日本資本の中国本土への経済侵略

 〇英米資本…
   中国民族資本と競合少ない巨大企業や政府借款、交通投資

 〇日本資本…
    製造業部門への進出
    あらゆる種類の中小工業に投資が行われ地元民族資本壊滅

 ・日本のブルジョアジーは資本と技術と機会を投入し、
  安価な中国人労働力を奴隷的に搾取して
  中国経済を完全に従属させようとした
  (1935~6年 天津に鐘紡が進出)

 ・軍事力と暴力と密輸などによって強引に進められた

 ・華北一帯に冀東密貿易や中小企業進出
              ↓
  日本人居留民が急速に増大、天津だけで1万数千人
              ↓
  居留民現地保護のため支那駐屯軍増強(表向きの理由)
  
  華北侵略が死活重大事の日本資本主義の保護
 
■ 中国の抵抗
 
 ・1935年以後、顕著となる日本資本の侵入に、中国のブルジョアジーは
  民族的危機と感じ、抗日運動の戦列に加わり大きな役割を果たす

 ・日本帝国主義の大陸政策破綻により更に侵略が拡大すると
  中国民族が統一と生存の危機を前にして統一戦線の結成に動く
              ↓

  中国の抗日運動を支え、戦争を日本の一撃で終わらせず全面化


◇ 戦争責任は大元帥にあり

(クリックで拡大します)
大本営の組織図



<引用・参考資料>
  秦郁彦『日中戦争史』(河出書房新社)
  藤原彰『昭和の歴史5 日中全面戦争』(小学館)
  歴史学研究会編『太平洋戦争2 日中戦争Ⅰ 1932~37』(青木書店)
  全歴教協編『世界史用語集』(山川出版)
  原剛・安岡照男編『日本陸海軍事典』(新人物往来社)他より
昭和 | 08:38:01 | Comments(0)
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