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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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日本の中国におけるアヘン(阿片)政策
7/1
 
   0701_20121103181513.jpg

 日本のアヘン政策については、残念ながら教科書に出ていません。
 授業でやった時、生徒はびっくりしたんですね。
  「麻薬を国が正式に売ることを認めたのか。
   何故政府は今、禁止するんだ」
 本当にその問いかけに答えようがなかったですね。
 

アヘンは、けしの乳液から作られ古代から薬用として用いられた
中国では18世紀くらいから麻薬として使われた
アヘン - Wikipedia - http://bit.ly/RCv1TY

■ 中国の阿片禍の始まり


①三角貿易

 18~19Cイギリスが中国、インド、英本国の間で行った貿易

 18C以降、ヨーロッパで喫茶が流行したので、東インド会社が
 中国茶をインドへ、インド産アヘンを中国へ
 
 1833年産業資本家の要求で東インド会社 中国貿易独占権が廃止され
 翌1834年から英商人の貿易が自由となり、中国へのアヘン流入激増

②アヘン戦争 1840~1842年

 阿片戦争 - Wikipedia - http://bit.ly/RCxuxJ

 アヘン密貿易取締りを強行した清に対して、イギリスの侵略戦争

 1942年8月 南京条約
 ・広州、福州、厦門、寧波、上海の五港を開港
 ・公行(対外貿易を独占していた特許商人の組合)廃止
 ・香港の割譲
 ・没収アヘンの補償費600万両、賠償軍事費1200万両支払

 ※戦争原因のアヘン貿易については不問


■ アヘン・麻薬取締国際条約締結
 
 1912~1931年の間に4条約締結され、アヘンなどの清算、分配、
 輸出入などの規制がなされ、日本も4条約を全て調印、批准


■ 中国のアヘン状況

 1910年代末以降、国民政府は取締りを強化し効果を上げていたが
 北部、軍閥の支配地域ではアヘン生産や吸煙が継続されていた
 

■ 日本のアヘン政策

1.台湾、租借地の関東州、満州国ではアヘン政策を実施

①台湾
 漸禁制を施行(いずれはやめる)
 ※前に支配していたフランスの政策の影響

②満州国(1932.3建国)ではアヘン吸煙は公認
 各地でアヘン店、アヘン窟が急増

アヘン専売制の下で台湾・満州国政府は膨大なアヘン利益を得ていた
   ↓
満州国 1936年度(S11) 1331万円(歳入の5%)
    1939年度(S14) 3373万円(歳入の5.6%)

アヘンによる収益は傀儡政権の財政を支えたのみならず
陸軍に膨大な機密費をもたらした

2.中国の分離工作のための資金となったアヘン

関東軍が1933(S8)に熱河省を占領を強行したのは
機密費源となる熱河省のアヘンを押さえるためで、
それで得られた膨大な機密費は、1934(S9)以後の
華北分離工作、内蒙古工作などの謀略費に利用され

それらの工作においてチャハル、綏遠省のアヘンを
手中に収めることが関東軍の一つの狙いであった

日中戦争開始後、1937(S17)度までは
合計 1983万両(714t)
うち55%強が上海に 24%強が満州、関東州に販売された

アヘンは蒙疆(もうきょう)政権に膨大な収益をもたらし
1940年度一般会計歳入予算の約1/3はアヘン収益

3.日本軍のアヘン輸入の利益が謀略費用に

日本軍は中国占領地でアヘン生産によるだけでなく
膨大な量のアヘンをイランから輸入した
1938年春から1840年(S15)末までに
日本軍の特務機関は三井物産を通じて316.8t輸入
その約8,000万円の利益は陸軍の機密費として
謀略に使用された

アヘンの生産や輸入は主に陸軍によって推進されたが
1938年、政務・開発事業を統一指揮する興亜院が設置され
国家的にアヘンの需給調整がはかられていった

4.国家による計画的な戦争犯罪

①興亜院と大東亜省

※ 興亜院 - Wikipedia - http://bit.ly/YzzsnA
1938.12.16 興亜院官制公布(勅)
各省の中国に関する事務をこの期間に吸収、統一
これまで外務省の権限であった国民政府との和平交渉も
興亜院に移され軍の発言権は制度的にも確立された
宇垣外相は興亜院の権限は占領地域に限定すべき
と主張したが受け入れられず、9月29日辞職

※ 大東亜省 - Wikipedia - http://bit.ly/YzzxaU
1942.11.1 大東亜省官制公布(勅)
拓務省、興亜院廃止 東郷茂徳外相反対して9.1辞職

植民地を除く「大東亜地域」に関する一切の政務を
大東亜省に一本化
満州国、中国に関する問題もこの省の管轄下に

特に中国における現地機関(軍・外務省)の一元化が
この省設立の大きな狙いだった
この省の設置により外務省は国際儀礼や条約締結の
形式的手続きなどの純外交のみを残すこととした

②「日中アヘン戦争」江口圭一(岩波新書)より
重視されねばならないのは、この毒化政策が出兵の軍や機関のものではく、日本国家そのものによって組織的・系統的にすいこうされたという事実である。
日本のアヘン政策は首相を総裁とし、外・蔵・陸・海相を副総裁とする興亜院およびその更新の大東亜省によって管掌され、立案され、指導され国策として計画的に展開されたのである。
それは日本国家による、もっとも大規模な戦争犯罪であり、非人道的行為であった。


③アヘン政策で活躍していた大平正義、岸信介、鳩山一郎
   ↓
 戦後首相に

④天皇とアヘン政策

勅令により生まれたアヘン戦争の総元締の興亜院
「朕枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ興亜院官制ヲ裁可シ
 茲ニ之ヲ公布セシム」

天皇は軍のアヘン政策について、しばしば「御下問」

華北主要都市地図 (クリックで拡大します)
kahokumap.jpg

<参照・引用文献>
油井正臣編「近代日本の軌跡5 太平洋戦争」吉川弘文館
赤間剛「昭和天皇の秘密」三一書房
                      他
昭和 | 18:42:52 | Comments(0)
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