■講座内容と日程
■プロフィール

ひさごん

ひさごん

生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

■リンク
■最近の記事
■最近のコメント
■過去ログ
■カウンター
■戦争の作り方

戦争の作り方

■Keep9

banner

■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■検索フォーム

■カテゴリ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
神道と国家神道
10/27

 =近代史を学ぼうと思った戦争中の出来事=

  003_201311240118304d4.jpg

引っ越す前の学校の仲の良かった石原という友人がいたのですけれど、彼は学校の動員先の福生の工場で亡くなったんです。そのお葬式に休暇をもらって行ったんですけど、当時、今でも忘れられないのは、仲間がみんな枯れ枝とか材木の切れ端を探してくるんです。そうしないと火葬してくれないんです。燃料がないから。みんなが近くの雑木林などに行って集めてきて、友人を焼いたんです。
家へ帰らず枯れ枝を探したのをいまでも覚えています。
当時学校には配属将校がいて「石原は名誉の戦士をした。靖国神社に祀られる」と言いました。
それを聞いた時僕はうらやましかったんですね。「石原は靖国神社に祀られる。おれは死んだらどうなるのだろう」靖国神社に祀られることは名誉ですからね。だから変な話ですけど石原の死が羨ましかったんです。でも戦争が終わったあとご両親に聞いたら靖国に祀られてないんです。配属将校がそう言ってみんなに言ったんです「お前たちは安心して死ね」と。そういう教育が敗戦間際まであったんですね。
遺骨をお母さんが抱えて帰るんですけど、その時にお母さんがむせび泣くんですけど、父親が下を向いている母親に向いて「涙を見せてはいけない」と言ってるんですね。お父さんがぼくたちに向かって「正吉はお国のために戦っ手死んだ。その名誉を守って行きたい」とおっしゃったけれど、石原の亡くなった原因は栄養失調だったんです。それが名誉の死として褒め称えられて、配属将校が「靖国に祀られている」と言われて、本当に僕は羨ましいと思いました。そんな時代が敗戦間際の1945年の6月頃ですね、ごく自然な現状でしたね。
・・・・・中略・・・・、
何にも本当のことを知らされないし、極端な事を言うと戦争が終わった時に「騙された」という気がしました。
騙されたのは自分が悪いのですけど、誰が騙したのかという時に、騙されないために何をすればいいか、自分に言い聞かせた時に、近現代史を学ぶことに、そして大学に入って近代史の勉強を始めたんです。



神道と国家神道

お宮参りなど身近な神道と、明治維新に出来た国家神道は別もの。
日本固有の神道信仰は奈良時代から。仏教が融合調和。

明治維新に国家権力によって短期間に強制的に作られた国家神道。
明治維新は薩長の革新的な下級武士によって起された。
百時御一新。
様々な支配体制が変わって行ったが政治変革は主権者が将軍から天皇に変わっただけ。
国土支配を正当化するために神武創業の復古宣言。
明治維新は復古維新であって、本当の主権者が国民になったのは1945年の敗戦の年。
日本には近世がなく、いきなり現代に移行。



昭和 | 01:36:07 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。