投稿日:2008-01-27 Sun
治安維持法に最後まで徹底的に抵抗した政治家山本宣治

☆プロフィール
1889年、京都府宇治に料理旅館「花やしき浮舟園」の
一人息子として生まれた。
1907年からカナダのバンクーバーへ留学。
皿洗いなどしながら生物学の勉強をし
帰国後は東京帝国大学理学部に入学。
卒業後、京都帝国大学大学院へ進学して動物学を専攻。
同志社大学、京都帝国大学の講師を勤めた。
性科学を専攻し、アメリカの産児制限運動の
サンガー女子の来日を機に産児制限運動に。
この運動を通じて貧困を解決することなしには
根本的解決もないと労働運動や農民運動へと。
民衆の中で民衆に親しまれ行動する「生物学者」であった。
ニコライの戦争を撲滅させるのは愛他主義という思想が
彼の短い生涯のバックボーンとなる。
1927年中国侵略、山東出兵に反対して作られた
「対支悲干渉同盟」の委員長に選ばれ反戦運動に。
1927年の第1回普通選挙で労農党から当選した。
治安維持法改正に反対し1929年3月5日
衆議院で反対討論を行う予定だったが、
与党立憲政友会の動議により強行採決され、
討論できないまま可決された。
その夜、右翼団体である「七生義団」の
黒田保久二に刺殺された。
☆山宣ひとり孤塁を守る!
西口克己『山宣』青木文庫より
1929年3月4日労農党の代議士山本宣治は
大阪で開かれた全国農民組合大会で
こう演説した。
「諸君!昨日は議会に死刑法 治安維持法が上程されます。
私はその反対のために今夜上京します。
反対演説をやるつもりだが質問打ち切りのために
やれなくなるでしょう。
じつにいまや階級的立場を守るものは唯一人です。
だが、私は淋しくない。山宣ひとり孤塁を守る!
しかし、背後には多数の同士が・・・」
ここで臨監の警部が「中止!」を命じた。
この治安維持法改正案が議会に上程されるとき
山宣は自分の書斎の壁に「戦争撲滅」
と書いてかかげていたが、彼はこの悪法の彼方に
侵略戦争があることを鋭く見抜いていたのである。
翌3月5日、山宣が危惧していた通り
本会議での彼の反対演説が封じられ採択の結果
「治安維持法改正案」は賛成249、反対170で可決した。
その日の夜の9時半ごろ、彼の常宿の神田光栄館に
紺がすりの着物を着た大柄の男が訪ねてきた。・・・
山本宣治の墓は京都府宇治市の自宅
「花やしき」の近くにあるが、墓石の裏には
大山郁夫書による次のような墓碑銘が
刻み込まれている。
山宣ひとり孤塁を守る
だが私は淋しくない
背後には大衆が支持してゐるから
☆意図的に右翼に襲撃させた
犯人たちはかねてより山本宣治を殺すを言っていたのに
刺殺された3月5日に限っていつもついている私服が
ついてなかった。
警察当局が意図的に警備を外したのではと思われる。
犯人とチラシ


体制側にとって好ましい殺人犯。
わずかな期間で保釈された。
管理人がNHKの東京藝術大学の卒業記念の絵の特集番組で
偶然見て撮った大月源二の代表作「告別」(1929)


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新座の講座の参加者の方が「くまと森とひと」の本に感激し
自主制作されたCDを先生が始めにかけて下さいました。
私も思い入れのある本なので「歌が出来てる!」とびっくり。
歴史に学んで、地球も守るのは子孫のために今出来ること。

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2009-03-31 火 16:43:22 |
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京都市宇治を京都府宇治市に訂正しました。
Tさま、丁寧に読んでくださって本当にありがとうございます。
Tさま、丁寧に読んでくださって本当にありがとうございます。
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