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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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貨幣制度の変遷と金解禁と浜口内閣のめざしたもの

思想の科学社「私が天皇制と出会った時」
に行って来ました。
      チラシ
講演者は作家の松本健一氏と、沖縄在住のアメリカ人のダグラス・ラミス氏です。

松本健一氏の見解

松本さんは「畏るべし昭和天皇」という本を書いていて、天皇は永遠に行き続ける存在であるとおっしゃっています。
天皇はどこを切っても同じ天皇飴のような象徴。
現天皇は死を認めず前天皇の葬儀に出席しない慣わし。

壬申の乱の天武天皇の諡(おくりな=戒名)は天渟中原瀛真人(あまのみのなかはらのあきのまひと) 「あきの」とは瀛州(えいしゅう=不老不死の術をマスターした神仙が住む理想の世界) 
真人(まひと=不老不死の法を会得した者)天皇には死がないというのは過去から続いている。
毎日いただいているお米を例にしてお話。
米を例に挙げ、今年の米には昨年の命が宿り永遠の命が宿っている。
こういう思考が一つの根拠となっている。

もう一つびっくりしたのは、昭和天皇が国際法規を遵守することに熱心だと言ったこと。
戦争が始まった年の1941年の6月25日に、日本陸軍が南京作戦の中でアメリカの根拠地になっているフィリピンをやっつけるために往復出来るための飛行場を設置しなければいけなくて、南仏印に飛行場を作ろうとしていたが、杉山メモによるお上(天皇)と陸軍総長とのやりとり

 お上『飛行場はどのへんか?』
 総長『だいたい海岸の近くであります』
 お上『国際信義上どうかと思うが、まあよい。
 特に語尾は調子を高められたり。
 ←わざわざ添え書き

フランス主権の領土に日本の軍隊が入っていくので条約を結ばず戦争でなく進駐という言葉を使い武力を背景に飛行場を三箇所作った。
(戦後日本は進駐という言葉を使ったが本当は占領軍)   
松本さんはこのエピソードを知らないのだろうか。

  天皇について

ダグラス・ラミス氏の見解

そういう中でラミス氏が「天皇制は自立した判断力を養う障害物になっている」例としてあげられたのは、この方が津田塾で教鞭をとっていた時天皇が下血しているという報道の中でマスコミは『国民が非常に心配している』という報道を流し続けた中である女子学生が「私は悲しくない、みんなが悲しんでいるのに私だけ何故悲しくないのか、そう思いながら私は村八分にされるのでないかと不安に感じた」
その例を挙げて自立した判断力を養う障害物になると話した。

憲法九条だけでなく一条が問題でこれがある限り、本当の意味で私たちは自立した人間になりきれず主権在民は保障されない。

スミスさんのおっしゃった中で全く私も同意見なのですが新憲法を作る時に美濃部議員が議会で憲法を廃案にして新たに作るべきだと主張したが用いられなかった。
普通選挙法が改正されてない状態で改憲されたので旧憲法を『改正して憲法を作る』というのを事実上昭和天皇が提案して改正したという形になっている。
そういう形で作られたので新憲法を旧憲法と切り離して国民主権の中できちんと議会に提案していれば国民主権が保障されたのではないか。
憲法が『改正』という形で作られたことに過ちがあるのではないか。
『廃案』にして新しい憲法を作るという道筋をたどらなかったことが大きな失敗でなかった。

当時私の家でも『今日食べること』に追われていましたので『憲法より飯』の時代でした。

ラミス氏が住んでいる沖縄の話ですが那覇市でPTAが移動図書館の廃止に対して継続のお願いの署名を集め提出した時、那覇市の教育委員会の対応は署名は受け取ったが「国や地方公共団体の決めたことには従ってもらわなければいけない」と答えた。
まさにこれは大政翼賛会である。

最近愛国心が強制されようとしている。
プレッシャーをかけて搾り出されるものは恐怖である。
愛ではない。

力に拠ってこうしなさいと言われ、従わないと罰がある恐怖心によって強制させるのは愛国心という愛ではない。

全く違う二人の見解

全く違う視点から天皇制に出会ったというお話でした。
身近で気付かないことをサジェッションいただいた。

松本さんが天皇制は今の憲法で決めたとなっているが昔から全ての権力の上にあったというが古代天皇を調べていると専制的な天皇がいた。
松本さんは知らないのだろうか。。。



1.江戸時代以降の貨幣制度

★1)江戸時代~金銀複本位制~

 1871(M4) 新貨条例の制定し金本位制を採用したが 
         アジアが銀本位制なので対外貿易上、銀貨の鋳造を規定
        (開港場などで銀貨の使用を承認)

 1878(M11) 貿易一円銀の国内中庸を承認 → 金銀複本位制に復帰

 1886(M19) 銀本位制(銀貨兌換性)確立 ← 金貨の不足
         ※アジア諸国が銀本位国だったため貿易上有利      

★2)ヨーロッパでは

 1873 ドイツ金本位制へ移行、欧米諸国も後に続く

 1893(M26) 印度、銀貨の自由鋳造の停止(貨幣改革)で銀貨暴落決定的

★3)これからの日本の貨幣制度どうするか

 1893(M26)10 貨幣制度調査会設置
           1年10ヶ月後、現行貨幣制度改正要 有り 8名       
                                  無し 7名
           複本位可                    2名

           
   ・金本位採用は6/15は大蔵官僚がメイン。
    銀貨下落による輸出増は一時的、金本位国からの軍需物資、
    生産手段の輸入が多いことで、輸入品の割高は物価高になる
               ↑
            総資本的立場

   ・銀本位維持の7/15は実業家(園田孝吉、渋沢栄一、田口卯吉ら)
    ブルジョア、イデオローグ(論客)ら
    銀貨下落はアジア市場(特に清国)への輸出有利(貿易資本)
               ↑
            個別資本的立場


★4)日清戦後、金本位論が有利となる条件が発生

 ①日清戦争の賠償金が金本位実施に必要な金準備となる
   2億両(テール) 当時の日本円で約3億1千万円
   M28の日本の歳入は1億1842万円
   ※遼東半島変換の大小を加え3億5600万円
     運用利益金850万円を加えて清王朝から3億6450円

   戦争により多大な利益があがり、国を挙げて日露戦争へと

   ※その用途
     軍備拡張費62.8% 臨時軍事費21.9% =84.7%
     皇室財産5.5% 教育基金・災害準備金 書く2.8% =5.6%
     その他 =4.2%

    しかし戦争で得たお金は庶民には還元されていない

 ②日清戦後の軍拡が金本位国からの軍需物資・生産手段の
   更なる輸入増で物価高騰

 ③原綿の輸入先がインド綿に(インドは金本位制)

    ②と③により金が海外流出する

★5)金本位制実施

 1897(M30)10.1 金本位制実施(金貨の流出しない金本位制)
        
    ※清国からの賠償金をロンドンで日銀に保管。
      日銀はこれを成果準備として国内で兌換券を発行し、
      それを政府が使用する。
      これによって円=金となり
      ・為替相場の安定・外貨導入への道が開かれ
      日本資本主義はよりすすんだ局面で境経済に適合するようになる

★6)金本位制の停止

 1917(T6)9.12 金本位制を停止

     6月最初の西原借款北京の段祺瑞(だんきずい)政権へ
     
 ①1915(T4)輸出急増 
        中国、インド、東南アジア、オーストラリア、南米諸国
        大戦で好況を迎えたアメリカへ生糸
        イギリスとロシアへ軍需物資

                       ↓
            日露戦争後、入超続きだった貿易は輸出超過に

 ②在外正貨の枯渇 ~輸入増~

  為替相場の下落 1919(T8)13億 → 1929(S4)9000万 

  1927(S2)4 田中義一内閣成立 財政傍聴政策、公債の増発
                     対中国強硬内閣(山東出兵)

              拡大路線

  1929(S4)7 浜口雄幸内閣成立 財政緊縮政策、借入金、公債ゼロ
                      (初の借金の無い予算編成)
 
              緊縮路線

       井上準之助蔵相は金解禁による為替相場の安定により
       国内物価を国際水準まで引き下げ輸出を伸張。

       ・国内原料、生活資料の価格下落により
        資本の対外的競争力を育成
       ・為替相場の安定で外資の導入及び、海外投資をはかり
        金融資本の発展をはかる

        五大銀行(三井、三菱、住友、安田、第一)金融恐慌による
        過剰遊休資金を海外投資に振り向ける、金解禁支持

 恐慌の終わったあとで日本の国は産業資本主義でなく
 金融資本主義へと転換


 金本位制とは一刻の貨幣単位を一定量の金と結びつけて
 貨幣価値の安定をはかる仕組み
 金の地金を自由に輸出入できる

  金本位制の実態=不完全な管理通貨制度
 金が流通していたのは英仏独などの少数の国
 英では1914不換紙幣制度へ移行
 19世紀末~第一次大戦までポンドが世界の基軸通貨
 第一次世界大戦後はドルが基軸通貨となりポンド体制は崩壊



2.金解禁準備政策 ~協力なデフレ政策

1)準備政策

★旧平価(100ドル=49 1/4ドル)で解禁 通貨縮小、消費縮小

★不況が生じて緊縮財政

★資本の対外競争力をつけるための産業の合理化

★国産品奨励による輸入抑制、消費節約による低賃金政策

  労働条件悪化、しわ寄せはみんな市民に
 
2)緊縮財政の実施

 1929(S4)実行予算のうち9165万円を節減
 1930(S5)予算は前年度比1億6400万減少

3)在外正貨の補充

 出超期に正金銀行の輸出為替手形を政府・日銀が
 その時の為替相場で買い上げ
 
4)消費節約・貯蓄奨励・国産品愛用を強要するための教化総動員運動

 文部省始動29.9~30春
 
 狙いは生活水準のきりさげにより賃金の切り下げを図り
 資本の危機を民衆のぎせいによって切り抜ける

 国家指導で綱紀粛正、思想善導と称して国体観念を鼓吹
 ファシズム的国体統合運動の先駆けとなった


3.金解禁

 1)実施
   1929(S4)11.21 大蔵省令公布
   1930(S5) 1.11 実施

 ※29.10.24ニューヨーク株式市場大暴落
   海外の金利低下を好機として捉えた

 ※経済評論家で後の首相となった石橋湛山は
現実の為替相場(44ドル半)をそのまま新平価として採用すれば
  急激な物価変動をさけることが出来ると主張したが
  新平価で解禁されデフレとなり日本経済は大打撃うける。

対米為替相場の推移

  30年末までに 3億円
  31年1~3月 5600万円         →金流出
  31年10~11月 2億8千万円

 1931.9.18 満州事変
     9.21 イギリス金本位制の停止(オーストリア金融恐慌が契機)

   在日外国銀行、三井、三菱、住友など大手銀行と
   三井物産のドル買い始まる

 2)金解禁の失敗

   ☆昭和恐慌による租税収入の激減と輸出増加失敗
   ☆海外への資本逃避による金の流出とドル買い

4.浜口内閣の目指したものは

 英・米帝国主義の支持のもとに労働者・農民・中小企業の犠牲のもとに
 日本金融資本の最終的確立を推し進め、
 日本をアジアにおける帝国主義国家としての自立をめざした。 


昭和 | 18:34:09 | Comments(0)
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