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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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昭和恐慌 その1

九条世界会議

九条世界会議に最初の日だけ参加しました。
びっくりしましたのは、すごい人で駅で階段を降りられなかったのです。
12時半開場で1時始まりということで12時40分ごろ行ったのですが
会場の周りは行列で幕張メッセは1万人収容ということでしたが、
一番後ろの高い席にやっと一つ空きを見つけました。
1時から休憩時間を挟みまして7時まで6時間でしたが
全体会で各国の代表の方たちが九条を世界の財産にしてゆこうと。
広島からの(ピースゥオーク)徒歩の方が1200キロの沿道の様子など。
会場の外には3000人の人たちが溢れていたそうです。
分科会もよかったです。

残念だったのは帰ってきてテレビを見ても取り上げられませんでした。
新聞では朝日が少しだけ。
マスコミではほとんど報道されませんでした。
やはり後ろからの圧力があるのではないかと。
昭和の十年代の言論抑圧の時代に似てきたような気がします。

ただ、会場には右翼が全然いませんでした。
いろんな集会に出させていただきましたが、
この大会ほど感動したことはありませんでした。
私の隣の方は長野からバスを乗り継ぎ来ていらしたのですが
本当に皆さんが熱心に耳を傾けながら
自分たちの思いを更に高めていこうとしていたのに
マスコミがこれを報道しなかったのは本当に残念でした。



アメリカから始まった世界恐慌

★世界恐慌の始まりと日本

1929.10.24 ニューヨーク市場で株式の大暴落

1929.11.21 金解禁の大蔵省令公布

 日本では正貨(金貨)補充のため、アメリカのクレジットを得る必要から
 まず為替の安定をはかり一等国を志向する立場から
 金本位制はこれ以上遅延は出来ない。

 アメリカで株式の大暴落があるということは金利が安くなることで
 日本が支払う利子が安くなるという目論見から
 日本は世界恐慌への思いが至らないまま金解禁をしてしまった。
 不景気はすぐ回復すると甘い観測。

         ↓

   恐ろしい貧困が日本を襲う

★アメリカの恐慌が世界恐慌の引き金

 アメリカはかつて一度も戦場にならなかった。
 アメリカは戦争によって経済発展を遂げてきた国。

 2~3週間で株価の下落により300億ドルの損失だったが
 アメリカが第一次世界大戦で欧州に送り込んだ金額で
 当時発行していた国債のおよそ2倍以上の損害。
 好況のアメリカでさえこうむった大きな打撃が恐慌の原因。

 当時のフーバー大統領はすぐに回復すると甘い見通し。

 自動車王のヘンリー・フォードも甘い観測。

★当時のアメリカの経済と恐慌への道筋

 1)1920年代はアメリカ資本主義市場が活況に満ちた時代

   アメリカの独占資本主義

   経済発展を主導したのは自動車・電機・住宅産業

    ・自動車数 1920年 900万台

           1929年 2500万台 4人に1人車所持

   自動車の普及で道路ハイゥエイの建設が進み
   郊外に住宅建設ラッシュ

   ガス電機などの公益事業の発展で電気製品普及
   冷蔵庫、掃除機が一般家庭に出回り始めた。

   (※日本では50年代後半から60年代)

 2)27年ごろより過剰生産、操業短縮が行われたが
   独占大企業が独占価格を設定し値下げしなかったので
   製品の値段は下がらず需要も増えず経済は不況へ

 3)所得の不平等な分配から所得格差が広がり
   29年には総人口の5%が全個人所得の1/3を占有
   農民所得は労働者賃金ほどに伸びず工業発展を制約

   (※20年代の農業は世界的に慢性的不況状況)

 4)失業者の増大 ~30年代 430万人

              33年5月 1295万人
             (失業率25.6% 4人に1人が失業)

   職を維持できた人でも賃金の切り下げを甘んじて受ける

★アメリカ恐慌の原因と流れ

   1925(大暴落の4年前) 
       イギリスが戦争中は維持できずにやめていたの金本位に復帰     
             ↓
       イギリス経済を支えるためにアメリカは低金利で資本投下

   1928終わり~1929秋ごろ アメリカ政府金利の引き上げ
             ↓
        外国の資金がアメリカ金融市場に流れ込む
             ↓
        アメリカの株価が上がる
             ↓
        ウェイトレスやボーイなど低賃金労働者まで株を買い
        株売買盛んになり10月大暴落で損失
             ↓
        大量の放浪者が出る


★アメリカ各地の様子

   2500万人の家族と20万人の単身者が職を求めて放浪。
   週休13ドルの職を紹介してくれたら10ドルお礼します
   という人が現れた。 
   ニューヨークの街角では大人にまじって林檎を売ったり
   靴磨きをして日銭を稼いだ。
   レストランの外では職にあぶれた人たちが
   残り物を捨てられるのを待って長蛇の列を作った。

   オクラホマ、テキサス、アーカンソー、ルイジアナなのどの週では
   大量の綿花が畠で腐るにまかされて
   自作農から小作農に転落する農民もでて来た。
   極貧の家族が綿花栽培の農場に職を求めて900マイル(1440K)
   歩き続けた。(東京・博多間の距離)

アメリカの恐慌の実相
  

★アメリカの民衆の動き

 新しい政治勢力としてのきっかけとなる動き

 1930.3.6 アメリカ国内でおよそ100万人を越える民衆がデモ
       アメリカの青年共産同盟がデモを計画した
    
       石垣綾子「さらばわがアメリカ」といいう自叙伝の中の記述
       「飢餓反対」「職を与えよ」「パンを与えよ」「飢えるな」「戦え」
       「戦争とファシズム反対」などのプラカード

       政府は武装警官、騎馬警官、消防士たちによって鎮圧

 1931.12 ワシントンに向けて各地からデモ行進が起きる

 1932.7  ボーナスマーチ(約束の恩給)を寄越せという帰還兵士たち
        ワシントンに向けて行進
        在郷軍人たち要求貫徹のために小屋で2万人近く泊り込み
        議会で支払い能力がないので支払わないと議決
        1割の2000人残っていたが大統領命令で軍隊出動
        小屋を焼き払った指揮官はダグラス・マッカーサー

                * * * *

 アメリカの農民の平均年収は半分以下に減ってしまい
 1929~1933 農民100万を越す人たちが財産を失った。

 アイオワ州の農民たちは小麦を国に売らないとレジスタンスおこす

 農民たちは中小農家の借金を棒引き、小作農の地代と租税を安くする、
 黒人抑圧の政策撤廃を自分たちの課題として主張してゆく

                * * * *
  
 農民たちの動きがニューディール政策の原動力となっていった。

 日本では天皇制という障壁のため民衆の動きがなかった。 

★ヨーロッパへ不況が飛び火

   アメリカはヨーロッパ向けの短期融資引き上げ
   新しい貸付を中止したことでヨーロッパ経済を圧迫
                
           ↓
    1931.5 オーストリアのクレジット・アンシュタルト破綻
    1931.7 ドイツ第二の大銀行ダナート休業

    イギリスにも影響

★もうひとつの引き金「ソ連」

 当時ヨーロッパ市場で小麦が過剰な状態。
 ソ連の大量の過剰生産の値引き小麦が流れ込む。
 農産物の価格が世界的に暴落してゆく。
          ↓
 ヨーロッパからも世界に恐慌が広がっていった
 
★アメリカの金融恐慌と対応

 株式の暴落の二年後の1931年末までに
 アメリカ国内の3700あまりの銀行が休業へ

 共和党から民主党にかわりルーズベルトが景気回復のために
 ニューディール政策を実施する

 小さな政府から大きな政府となり公共事業で経済活性化する

日本の恐慌 1930(S5)1~

★金解禁をし金流出とドル買い

1930.1.11 金解禁

       日本経済の国際競争力の回復と為替相場の安定と
       貿易の拡大を狙って実施

       1円=金2分(0.75g) 100円=金75g
       (旧平価100円=49ドル84.5セント) ←こちらで解禁
       (新平価100円=44ドル50セント)

       現実には金でなく為替レートで支払う
       貿易商たちは円をドルに変える
       ドルの需要が増えてドル高円安になってゆく
       国内で金が交換されどんどん海外に流出してゆく
             ↓

       解禁後 5ヶ月(30.1~5) 2億2000万円 流出
       30年末までに        8000万円 流出

       32.1までに総額4億5000万円流出(2年間で約8億の正貨失う)

       在外正貨含め約13億6000万円が23ヵ月後に4億に

       1931.9.21(満州事変の三日後)イングランド銀行、金輸出禁止
              ↓
       円の暴落、ドル買いへ

       円が安くならないうちにドルを買う動き=ドル買い

       財界がドルを買い込んで円が暴落した折に
       円を買い戻し多額の利益得る

★有価証券、物価の下落

  ・有力株140社 246銘柄 31.11(29.6比)平均下落率50.4%
   時価総額 25億3500万円の損失

  有力株式の暴落
 有力株式の暴落


  ・物価(29.6比) 卸売物価27%強の下落  小売物価23%強の下落

     生糸の下落 66.1%
     綿糸の下落 52%
     米価の下落 50%
日本の恐慌


★輸出減
 
  ・生糸 輸出商品の約4割 米への輸出が9割であったが44.6%減

       米の恐慌と化学繊維の発達と金解禁による為替高騰による

  ・綿糸布 
       二大輸出市場 中国・インド(自国産業保護のため関税引き上げ)

       日本輸出額(29~31) 43.2%減
       日本輸入額(29~31) 40%減

★日本国民の生活水準の実態(外務省総務局政務課1947年作成)

  ・浜口内閣が10%以上の円切り上げで金解禁を実施したため解禁デフレ

  ・世界恐慌とのダブルパンチ

  ・1930 一人当たりの国民所得
   アメリカの1/9 イギリスの1/8 フランスの1/5 ベルギーの1/2

  ・日本は農業国で一番多いのが農民の失業者
   237万人失業したが政府発表では31万人となっていた

 雇用構造の実態


   ・産業の合理化の名の下に操業短縮、解雇と実質賃金が下げられた

★労働組合の動き

   ・労働争議 1928(S3) 1021件 → 1931 2456件(戦前最高)

   ・1931 818組合 組合員数 368,975人(組織率7.9%)

   ・大資本に対する労働者の反抗、街に出て警官とぶつかる
    労働争議に『市街戦』という言葉が使われた

   ・参加人数50人以下の『群小争議』が年々増加
    31年には争議全体の2/3余

★大企業の対応

  労使協調作戦をとった

   ・第二組合を作らせ妥協する組合にさせる
 
   ・デモをする女工を実家に引き取らせる

   ・娘に文字を教えて帰属意識高める

   ・天皇制を利用して「会社の利益は国の利益」

 労使一体の関係が形成された
 恐慌を契機に労働者の会社への帰属意識がいっそう強まっていった

★産業の合理化で労働者の犠牲

   ・財閥系商社は安い朝鮮、台湾米を無制限に「移入」

   ・政府は黙認し国内農業は打撃

   ・政府の「棄民政策」

    賃下げと人員削減を狙って帰農を進めた
    線路を歩いて寺の軒下で寝泊りし故郷に帰っても仕事はなかった

       


昭和 | 02:46:08 | Comments(0)
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