■講座内容と日程
■プロフィール

ひさごん

ひさごん

生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

■リンク
■最近の記事
■最近のコメント
■過去ログ
■カウンター
■戦争の作り方

戦争の作り方

■Keep9

banner

■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■検索フォーム

■カテゴリ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
明治の国づくりの骨格
明治の絶対主義体制の成立と整備
7/13

  7月13日善方先生
天皇制イデオロギーの目標をやろうと思っていたのですが
資料を読んでいく中で、「蟹工船」を読んだこともあり
資本主義社会と天皇制の関係を理解しておかなければと思いました。
経済面から見た天皇制のテーマはこれからも時々取り上げて
敗戦まで継続してやっていこうと思っています。


天皇家は日本一の資産家であった

敗戦翌年の天皇家の資産
1946.3 GHQにより公にされた天皇家財産は37億1563万円 
     (三井、三菱、住友の資産は平均3億~5億)

 長野県と同じ広さの山林を私有していた。御料林。
 それを売って株を買っていた。

天皇制の成立と絶対主義体制の整備

★何故江戸幕府が滅びていったのか

 産業革命による資本主義で力をつけた西欧諸国の植民地政策により
 江戸幕府もいつまでも鎖国をし続けていられなくなる。
 貿易によって経済力をつけ海外の情報を得た西南諸藩の下級武士たちが
 京都・大阪の商業ブルジョアジーと手を結び武器を輸入し
 対立する農業主体の東北諸藩を破り幕府を倒し新国家を造っていった。

 五箇条のご誓文の三、四番目は陋習(ろうしゅう)を破り知識を世界に求める
 
★新しい支配階級の急務事項

 ☆新支配階級の権威付けと支配制度の作成

 ☆民族的危機の回避(アジアの植民地化)

 新興勢力であり権威のなかった西南諸藩の新リーダーたちは
 新国家をつくるにあたって徳川幕府に代わる権威を探し
 幕府と一定の距離を保っていた天皇を国家統一のシンボルに据えた。

 ※当時の天皇は「新天子」祭主王、3万石の小領主であった。

 欧米各国の公使に天皇が支配者だと伝えた。「王政復古」

新しい国造り第一段階
明治維新

★民衆と天皇制イデオロギー

 京都以外の地域では民衆にとっては、将軍と藩のお殿様が権威。
 天皇はほとんど知られていない存在であった。

 ※本居宣長(1730~1801)の国学的尊王論、
  水戸学の儒教的尊王論が
 天皇が日本統一のシンボルになるという理論のバックボーンとなった。

 天皇を特別な存在だと知らしめるために国学、水戸学を利用。

 当時の町や村の豊かな資産家が国学を学んでいたので
 そこに集まる小作たちを思想的に天皇崇拝へと導いた。

★民間に天皇制イデオロギーに反対の思想、心情があった

 ☆民間宗教「天理教」「黒住教」など弾圧を受ける
        ↓
   「天理教
    教祖中山みき「谷底(民衆)文句変わるぞ」

   「金光教
    教派神道と認めるから国家神道に従えと国が圧力
    「天子さまも人間でないか」と教祖が答える

   「大本教
    出口なお「この世は弱肉強食の悪の世である。獣の世の中。」

   三つの神道

    ・教派神道 … 明治政府によって公認された。
              T3派(黒住教、天理教、金光教)など

    ・神社神道 … 宗教として扱わず国家神道として保護し     
              天皇崇拝、国家思想の統一に利用した。
              お稲荷さん、鎮守様など

    ・国家神道 … 民間の神社神道を再編成して皇室神道に結びつけた。
              祭政一致を唱え政策的につくりあげた。

 ☆九州などの隠れキリシタン

 ☆明治維新を迎えるまでに広がっていった「世直し思想」
  新しい国を共和制国家にしようという動き
         ↓
   薩摩、長州が民衆の運動を巧妙に潰した。
   「ええじゃないか」運動をおこして、ある日突然伊勢神宮のお札が舞う。
   そのお札を持ってゆけば金持ちのところの商品を持ち出せる。
   薩長と岩倉具視が画策して世直し思想の芽を摘んでしまった。

 ☆農業、商業に携わる人々の中で合理的な考え方をする人たちが
  育っていった

 ※新興宗教の思想的背景に福沢諭吉の言葉があった。
    「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
    共和制国家の考え方の核。天皇中心ではなかった。
    

★平田篤胤の唱えた皇国

 当時農民は世の中が変われば御領林がもらえると期待していたが
 明治政府になると、勤労奉仕させられて、下枝さえもらえなくなった。
 不満がたまる民衆を抑えるために平田国学が利用された。
 
 篤胤「皇国は万の国の祖国である。六つの帝国の国の至高の国である。」

 平田国学を学んだ町や村の有力者たちは支配者にとって有難い存在。
 小作人たちは豪農たちに従わざるをえないので民主的な運動が押えられた。

★仏教はどうなっていたか

  江戸時代に出生届はお寺に出されていた。
  そのことにより何々宗の信者として支配体制に組み込まれていた。
  仏教も権力に従っていた。
  江戸時代から葬式仏教になってしまった。

  国家神道が大きな力を持った。
  元々八坂神社はお寺であった。全部壊して神社にした。

  ~宗教が国家権力と結びつくと堕落する~
  
  日本には信仰に対する熱い想いがないので節操のない暮らし。
  クリスマスを祝い新年には神社にお参りする。

新しい国造り第二段階
★明治14年(1881)の政変

 当時の国務大臣の大隈重信(佐賀出身の勤皇の志士だった)
 M14に民権の動きをみて憲法を制定し国会を開設することが
 必要でないかと閣議に意見書を出す。


 何故政変なのか?

 大隈は参議を免職になり薩摩と長州が藩閥として主要な地位を独占。

★「天皇」の粉飾と加工

 ・福沢諭吉の共和主義的な思想が変化してゆく。
      ↓
 天皇中心の考えを支えてゆく「帝室論」を発表。
 我帝室は日本人民の精神を収攬する中心なり。其功徳至大なり。
 我帝室は万世無欠の全壁にして人身収攬の一大中心なり。
 
 ・加藤弘之(東京大学初代総理=学長)

  「人権新説」を発表。
  ダーウィンの生物進化論の適者生存を説き天賦人権説を否定する。
  (日本の経済界で今も根強い)

新しい国造り第三段階
★憲法と教育勅語
1889年 明治憲法の発布
1890年 天皇により道徳を国教化

教育勅語

勅語とは全責任を天皇が負う。
詔書は副書が必要で、各大臣が署名し国務大臣が責任を負う。

教育勅語=天皇による道徳の国教化。
       100%守らなければいけない。
       神の言葉だから人間の言葉に変えられない。
       子どもは訳もわからずに覚えた。

教育勅語の目的は?

「一旦緩急あれば義勇公に奉し」=戦争になれば行く

第2の国歌「海ゆかば」
全てをなげうって命を捧げることを求められている。

★新国家支持基盤の造成

 ☆全国の豪農商層に天皇制イデオロギーの浸透
  
  ・招魂社による天皇への忠誠心
  ・天皇の地方巡幸の活用
  ・農民の年中行事に皇室行事の割り込み

 ☆1898(M31) 民放公布

  ・「家制度」の確立 ~個々の家が国の家に組み込まれる~

      頂点に立つ家=皇室=宗家 →赤子の家
                     ↓ 
                   赤子の家
             (赤子の家は分家、家族は国家ぐるみ)
ここより7/27の分 

  ・「宗家」直接血の繋がりがないけれど従わなくてはならない

  ・国の為に命を捧げなくてはいけない

  ・赤子にも差別がある

     臣 … 閣僚 将官 官僚 政商
     民 … 私たち

  ・天賦人権説を日本で初めて紹介した加藤弘之が「人権新説」

  ・福沢諭吉の「帝室論」の元になったのは平田篤胤(秋田出身)

★祖霊が国家神道によって系列化されてゆく

  神宮
   |
 官幣社(かんぺいしゃ)
   |      大65 中23 小5 別格8 計101社(靖国神社も別格)
  国幣社
   |
  府県社
   |
  郷社
   |
  町村社
   |
  無格社
   |
  私の祖霊=氏の神=非政治的神

私も家族も祖霊もみんな縦の系列に組み込まれている

 明治維新後の「新国家の支配制度と新支配階級の権威付け」
 王政復古
 西南諸藩の下士軽輩層 商業ブルジョアジー(問屋制)
                 
★1868(M1)神仏判然令(神仏分離令)

①祭政一致。
 神社神道を宗教として扱わず『国家神道』として国家が保護

②廃仏毀釈運動

 高知(土佐)藩 596社中451社整理された

★1870(M3)大教宣布の詔~神道国教化を推進~
 
★『町村是』制定運動中“神社の系列化”進行(日露戦争後1906~10)

 19万社の天皇に関係ない町村社、無各社が10万社に削減された
 
 伊勢神宮関係の三重と大逆事件に関わりの多い和歌山が多く削減

 ・三重県   10411社 → 989社
 ・和歌山県 3772社 → 879社
                     南方熊楠が抗拒罪で留置

 国家神道と民間の氏神信仰をきちんと区別して民間の方を極力整理し
 廃仏毀釈運動に伴って仏教から護法一機がおこった
 キリシタン弾圧がおきた

 ※国家神道に経典はなく詔のみ。内容を具現化したものが教育勅語。

 明治から人として生きる道を全て宗家(天皇家)と結びつけられた

 

明治 | 23:11:12 | Comments(2)
コメント
「篤姫」の展開などを思い浮かべながら、興味深く読みました。
今度埼玉探訪で行く、深谷の渋沢栄一もこの頃に、活躍し、日本の経済界にかかわっていく人物みたいなので、このコラムを今読んでいてよかったと思いました。ありがとうございました。
また今後を楽しみにしています。
2008-10-14 火 14:44:23 | URL | YOKO [編集]
YOKOさん、私もちょうど篤姫のこと思い出してました。
明治は江戸幕府という権力が倒れて、新しい時代が始まる変わり目だったのですね。
今の時代に薩長の武士たちや坂本竜馬のような若者が出てきているかしらと思いました。
2008-10-15 水 01:44:01 | URL | ひさごん [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。