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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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「国体の本義」他、大正昭和の文化その1
10/26
先日私の尊敬していた仲間が亡くなりました。
学問好きな素敵な方でした。
人格的にも学問的にも見上げるような方で
その死がとても辛かったです。 
        2008年10月26日
昨日は小学校の同窓会が東京でありました。
53人いたクラスメイトのうち15人亡くなり12人が所在不明
だんだん身近にいた人たちが姿を消していくのを感じました。
その中で目的をもって生きている仲間が生き生きとして
それが生きるエネルギーになるのでは
と改めて学び取ってきました。


1.主権在君国家の制定(前回までのおさらい)

★1867(慶応3)12.9(旧暦)王政復古を宣言

神武創業への復帰
1873(M6)1.4 五節句(民の祝祭日)を廃止し紀元節・天長節を祝日に
       10.14 元始祭(現人神の思想が出てくる)

★統一国家の建設    
 (内) 中央集権国家(江戸時代は地方分権的な制度であった)
 (外) 国権の拡張 → 富国強兵
        ↓
★殖産産業
 資本主義経済の成長

★四民平等
 一君万民(国家神道による信仰心の統制)
    ↑
 国学者・本居宣長の国学の思想から吉田松陰が作り出した

 一君万民は結果的に忠君愛国を求めていった

本居宣長の天皇論では
「天皇は善悪の彼岸に在る神」とされた。
しかし実際の天皇を見てみると桓武天皇などは
母の出自の身分の低さから立太子は望まれていなかったが
皇太子とその母や、実の弟までも陥れて天皇になった。
決して天皇が立派な存在ではなかった。   


2.「国体の本義」を読む

  権力を握った人間は個人の自覚や価値観を押さえ込もうとする
  天皇を利用して国民としての義務を果たせという内容


 「国体の本義」とはウィキペデイアによると
 1938年、「日本とはどのような国か」を明らかにしようとするために、
 当時の文部省が学者たちを結集して編纂した書物である。
 神勅や万世一系が冒頭で強調されている。
 国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。


  京都の古本市で買った「国体の本義
  国体の本義

1937(S12)盧溝橋事件が起きた年に文部省の思想局が編纂し
       各学校と文化団体、在郷軍人会に30万部配布された

その頃、美濃部達吉の天皇機関説が国家によって否定され
国体の本義により天皇主権説が国家の正当な説とされた
(管理人によりごくごく簡単にまとめました)
   国体の本義

   目次
   緒言
   第一 大日本国体

    一、肇国
    二、聖徳
    三、臣節
    四、和と「まこと」

   第二 国史に於ける国体の顕現

    一、国史を一貫する精神
    二、国土と国民生活
    三、国民性
    四、祭祀と道徳
    五、国民文化
    六、政治・経済・軍事

   結語
   (奥付)


◇「肇国」(ちょうこく)
 神勅と皇孫の降臨
 日本の国は天照大神の皇孫の降臨により出来た

◇「聖徳」
 天皇は皇祖皇宗として現れたのであって
 国家統治の必要上立てられた主権者ではなく
 智力、徳望で臣民より選ばれた君主でもない

◇「忠君愛国」
 天皇の大御心を奉体することは歴史的生命を生かす所以
 国民のすべての道徳の根源である
 個人は国家、歴史に連なる存在、君民一体の一大家族国家

◇「孝」
 国民の基本は個人でも夫婦でもなく家である
 国体に則って家長の下に渾然融合したものが我が国の家

◇「忠孝一体」
 皇室は臣民の宗家で国家生活の中心である
 我が国においては忠を離れて孝は存せず、孝は忠の根本

◇第一大日本国体四和とまこと「和」
 個人主義(利己主義のつもり)においては結局真の和はない
 我が国の和は全体の中に分を以て存在し一体を保つ大和

◇「まこと」
 美と善と真を生み出す根源
 清明心でありわが国民精神の根底となっている
 理性と意思と感情との根源であり知・仁・勇もまことの現れ

◇「清明心」
 私を没して本源に生きる精神はやがて義勇奉公の心となって
 身を捨て国に報ずる心となって現れる

◇「国語」
 敬語が発達しているのは皇室を中心として至尊に対して
 奉って己を空すうする心である

◇「武士道」
  主従の間は恩義を持って…即ち死によって真の生命を全う
  生死一如の中によく忠の道を全うするのがわが武士道である

◇「国民文化」
  我が国における一歳の文化は国体の具現である
  
◇政治・経済・軍事
  祭政一致 天皇機関説は西洋の無批判的踏襲と否定

◇天皇御親政
  委任でもなく「君臨すれども統治せず」でもなく
  君民共治でなく三権分立でもなく法治主義でもなく
  一に天皇の御親政である

◇我が国の法
  我が国の法は臣民各自が皇運扶翼のために
  まことを尽くし恪循する道を示したもの

◇経済
  国民の生活を保つのみでなく皇威を発揚するためのもの

◇軍事
  まことに皇軍の使命は、御稜威(ごみいつ)をかしこみ
  御御心のまにまによく皇国を保全し国威を発揚するにある

◇結語(17Pをさいている)
  そもそも人間は現実的の存在であると共に
  永遠なるものに連なる歴史的存在である  
  国民精神により歴史に基づいてその存在が規定される
  具体的な国民としての存在を忘れず個人として存在

◇我らの使命
  今や国民の使命は国体を基として西洋文化を摂取醇化と
  国体の明徴とは相離るべからざる関係にある

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆臣民の道(41.7文部省教学局編)

 皇国臣民の道は天壌無窮の幸運を扶翼し奉るにある
 明治以来欧米文化の流入があったが悪い影響をさけ
 我が古来の国風、美風が損なわれてしまった
 我が国のような崇高なる世界的使命を担っている国は
 他にはない
 人たることは日本人たることであり
 日本人たることは皇国の道に則り臣民の道を行ずること
 我らは国民たること以外に人たるを得ず
 我らの生活はすべて天皇に帰し奉り
 国家に奉仕することによって真実の生活となる  


3.大正、昭和前期の文化

★学校制度

1972(M5)学制発布で学校制度始まる

・1973(M6)小学校スタート
 最初は4年+4年
 尋常小学 女子小学 村落小学 貧人小学 小学私塾 幼稚小学
 1886年義務制を標榜するけれど国費の負担無し
 義務化に伴い下等小学が尋常小学など名称変更になる
 1907年義務教育が6年になった
・中学校 
・専門学校
・師範学校
・女学校

 ☆義務教育の『義務』とは保護者の国家に対する義務
 ☆教育勅語の精神を教育に反映してゆこうとした
 ☆内村鑑三は一国独裁の教育に抵抗した
 ☆国公認の学校では宗教行事禁止
    青山学院と明治学院は中学資格を返上
    同志社は普通学校にして宗教教育せず
    立教は寄宿舎で宗教教育をした
 ☆農作業や氏神信仰で繋がっていた自然村が
  いくつかの村が集まって学校を作ることにより
  自然村の解体と行政村の成立をみた
          ↓
     国の中央集権化がすすんだ

   ※その頃天皇は行政村に102回僥倖している

中学高等教育機関の充実

教育史



昭和 | 17:13:03 | Comments(2)
コメント
文芸春秋
文芸春秋の創刊号の写真を見て感慨にふけっています。
毎月くまなく読む文芸春秋ですが、ページをやぶり、クリップで留め、電車や病院の待合室でせっせとよんでいるのですが、母がなくなり、電車で通う事がなくなり、どんどん置いていかれ、今は1年前の号をよんでいますが、かえってすべての事の結果が判明していると、とても面白く読めます。

 いつもこのブログの知識大変役立ちます、ありがとうございます。
2009-01-04 日 10:20:34 | URL | YOKO Ai [編集]
YOKOさんの文芸春秋の読み方面白いですね!
つたないまとめですが今年もよろしくお願いします。
(後記・文春の画像は次の記事に回しました)
2009-01-04 日 21:07:01 | URL | ひさごん [編集]
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