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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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大正・昭和の文化 その2
12/14
~昔の学校の関係の写真集~
  昔の学校などの写真です
  ご真影は忠君愛国を養うために
  一番最初にに師範学校にいきました。
  師範学校で習ってそれを学校で伝えたのでした。


★社会科学

 ◇政治学 
  吉野作造(1878~1933)東大教授・思想家
  吉野作造

  1916(T5)「中央公論」で民本主義を主張
  主権在君下での市民の政治参加を主張
  学生団体『新人会』の指導、黎明会を結成

 ◇法学
  美濃部達吉(1873~1948)東大教授・憲法学者
  美濃部達吉

  『天皇機関説』(国家法人説)
  大正期の学会の定説であったが1935年(S10)貴族院の菊池武夫が
  反国体的学説と非難し政府に取締りを要求
  著書は発禁となり美濃部は貴族院議員を辞任した

  『天皇主権説』上杉慎吉(1878~1929)東大教授・憲法学者
  興国同士会・七生会(東大)などの右翼団体を結成

 ◇経済学
  河上肇(1879~1946)
  河上肇

  古典派の経済学を研究
  京大で経済学を講じながら「大阪朝日新聞」に『貧乏物語』連載
  奢侈の根絶により貧乏を廃絶する
  1919(T8)雑誌「社会問題研究」を創刊して
  マルクス主義の研究、著作に入る
  1928(S3)京大を追われ32年共産党に入党、翌年検挙、入獄

      ~二つの経済学の学派~

アダム・スミス 古典派 1723-1790
 資本主義経済がスタートした時始まった経済学
 個人や企業がそれぞれ利潤追求しても『見えざる手』が働いて
 社会全体の利益がもたらされるであろう
   ↓
 経済は自由放任で大丈夫、民間に委ねればよい
 国家は経済に立ち入れない
 国家がやることは国防、司法、公共事業だけでよい

===資本主義経済の問題点が露呈して===

ケインズ ケインジアン 1883-1946
 あまりにもA・スミスは空想的、
 自由放任経済で 完全雇用が実現できない
 政府は積極的に経済介入し完全雇用を作り出すべき

=====================
            ↓
 1929年アメリカで恐慌後にとったニューディール政策
 (ケインズの考え方が基盤となった)
 資本主義を肯定しながら、そこで生ずる恐慌、失業、貧困
 などを国が積極的に経済に介入し公共投資をしながら
 社会福祉分野の支出を増加してゆき景気回復してゆく 
  


 ◇哲学
  西田幾多郎(1870-1945) 哲学者、京大教授
  西田幾多郎
  東洋の伝統的思考(禅など)をもとに東西両思想の統一めざす
  純粋経験こそ真の実在=絶対無
   ・主観、客観が未分の具体的、直接的経験
   ・主観と客観が区別されない経験=純粋経験

  『善の研究』1911(M44)
   青春とはわからないことに気付くこと、
   わかろうということに気付くこと、
   自分自身に問いかけること

  ・善とは人格の実現

 ◇歴史学
  津田左右吉
  津田左右吉
  神代史を科学的に研究し神代の物語は政治的意図の創作で
  皇室は大和から興り、天祖を太陽神としたので
  天孫降臨の話を作り日向の地名によりその舞台が選ばれた
  日向と大和を結ぶために神武天皇説が創作されたという説

  1940(S15)皇室に不敬であると右翼に告発され4著書発禁

 ◇民俗学
  柳田国男(1875-1962) 民俗学者
  柳田国男
  農商務省の役人として明治後期の農村を見聞きし
  農政学者としても活躍「遠野物語」「石神問答」などの民俗学書
  『郷土研究』発刊、民間伝承の会創立、日本民族学の基礎を確立
  無名の庶民を『常民』と命名して民俗学の対象とした
  庶民の生活文化の変遷を明らかにして基層的文化ととらえて
  民俗学を創始した
人文自然科学の発達

★文学
1)自然主義文学

 ■自然主義文学(明治末期)から反自然主義文学(~大正初期)へ

    自然主義文学=19C後半フランスにおこった文芸思想
    現実を実験科学的のとらえて自然科学的手法で表現
    社会の矛盾を追及し社会正義への接近がみられる作品多い

    代表作家 ゾラ 代表作『居酒屋』
    ドレフュス事件で「私は弾劾する」の論陣張り真実と人間守りぬく

  ○島崎藤村(1872-1943)
   『破戒』社会的矛盾を認識する科学性不十分、内的苦悩を表現

  ○田山花袋(1871-1930)
   『蒲団』自身がモデルの告白的小説

   日本の自然主義は近代的自我の確立という意議は大きいが
   個人の内面を追求する方向をたどり、社会批判や改革の主張とはならず
   事故の生活と心境を告白する「私小説」へと変貌していった

 ■反自然主義

   創造性を重視して知識人や近代の問題を描く
   和漢洋にまたがる深い学識を備え、独自の主知的倫理的作風

  ◇高踏派 
   ○森鴎外(1862-1922)『青年』『雁』『阿部一族』  

  ◇余裕派 
   ○夏目漱石(1867-1916)
   風刺的な『我が輩は猫である』からロマン的傾向の『草枕』に転じ、
   近代人の不安と懐疑エゴイズムの追及の『それから』や
   自我を越えた則天去私の理念を志向した『明暗』

  ◇耽美派(芸術至上主義)
   自然主義のもつ日常性の閉鎖的、陰鬱な描写を否定し美の世界追求
   感覚の開放、官能的美を追求して新しいロマンを創り出そうとした

   ○永井荷風(1879-1959)『あめりか物語』『腕くらべ』

   ○谷崎潤一郎(1886-1965)『痴人の愛』『細雪』

  ◇白樺派(人道主義)
   人間の内部に在る生命の力を信じ理想主義・人道主義の立場に立ち
   個の尊厳を主張し芸術全般に影響を与えた
   同人誌『白樺』でトルストイの紹介や印象派の美術の啓蒙にも貢献
   関東大震災の1923(T12)に廃刊

   ○長与善郎(1888~1961)『青銅の基督』
    誇りに満ちた自我の確立を賛美した

   ○武者小路実篤(1885-1976)『おめでたき人』『友情』『人間万歳』
    学習院在学中にトルストイの思想に傾倒し志賀直哉らと“白樺”創刊
    人間への信頼を肯定。その思想の実践が“新しき村”の建設

   ○有島武郎(1878-1923)『ある女』『生まれ出ずる悩み』
     第一次世界大戦後の社会主義運動台頭下、ブルジョア出身者として
     矛盾に悩み北海道の有島牧場の解放を行ったが絶望の中で情死
     社会との対決の中で自己に忠実に生きることを追求した

   ○志賀直哉(1883-1983)『城の崎にて』『和解』『暗夜行路』
     強靭な自我を有した。倫理的な潔癖さ。本能的な正義感が作品の
     中核をなしている。

   ○里見(1888-1983)『多情仏心』
     "まごころ”を作品の主題に

 2)新現実主義(大正後期)

   白樺派、耽美派が失いがちの現実生活に即し冷静に観察し
   その矛盾を指摘しながら事故の存在を明らかにしようとした

  ◇新思潮派(新理知派) 主知的な手法で現実に新しい解釈を

   ○芥川龍之介(1892-1927)『鼻』『羅生門』
    東大在学中漱石の門に入り“新思潮”の同人となるが、晩年時代の
    動きを敏感に感じて動揺し自殺した。

   ○菊池寛(1888-1948)『恩讐の彼方に』
     1923年文芸春秋社を創立

   ○久米正雄(1891-1952)『破船』『学生時代』
     後に大衆文学に転じた

  ◇奇襲派(新早稲田派) かつての自然主義につながる側面

   ○広津和郎(1891-1968)『神経病時代』
     人間の行き方を追求する小説、批評を一貫して書く
     戦後松川事件の裁判批判を続けた

   ○葛西善蔵(1887-1928)『子をつれて』『哀しき父』
     貧困の中で自分の生き方を題材とする作品を残す

   ○宇野浩二(1891-1961)『蔵の中』
     庶民性とユーモアを秘めた独自の作風


 ◇新感覚派 =文学の革命と評された

   『文芸時代』によって活動 文体の革新を目指した
   直感を重視し現実の断片を感覚的にとらえ、詩情豊かに
   かつ知的に再構築することにより生命感を表現

   ○横光利一(1898-1947)『日輪』『機械』

   ○川端康成(1899-1972)『伊豆の踊り子』『山の音』『雪国』
     『伊豆の踊り子』は虚無感を底に秘めた清純で叙情豊かな作品
     『雪国』は無為徒食の男と雪国の芸者との交情話が
     叙情的な風物の描写を背景に展開
     1968年日本発のノーベル文学賞受賞

   ○中河与一(1897~)『氷る舞踏場』

   ○今東光(1898-1977)『痩せた花嫁』

 ◇プロレタリア文学運動

   大正末期から昭和初期に労働者の立場に立って既成文壇を否定し
   “革命の文学”を目指した
   1921(T10)雑誌『種蒔く人』が出発点
   相次ぐ弾圧のなか、関東大震災で解散したが翌24年『文芸戦線』
   によって再び活発化し芸術を社会革命に役立てようとした
   25年には“日本プロレタリア文芸連盟”が結成
   マルキシズム理論による芸術連盟(ナップ)の機関紙『戦旗』が
   28年に生まれ急進的な左翼運動の拠りどころとなった
   しかし官憲の厳しい弾圧が続き35年(S10)組織的な
   プロレタリア運動は壊滅に追い込まれた

  ◇機関紙『文芸戦線』

   ○葉山嘉樹(1894-1943)『淫売婦』『海に生くる人々』
    43年開拓移民として満州に渡り敗戦で帰国途中病死

   ○黒島伝治(1898-1943)『渦巻ける烏の群』

   ○平林たい子(1905-1972)『施療室にて』

  ◇機関紙『戦旗』

   ○小林多喜二(1903-1933)『蟹工船』『不在地主』
    『不在地主』が原因で北海道拓殖銀行を解雇される
    “日本プロレタリア作家同盟”の中央委員として活動中に
    治安維持法違反で入獄
    厳しい弾圧の中で非合法活動を続け『党生活者』など書くが
    1933(S8)逮捕され拷問の末虐殺された

   ○徳永直(1899-1958)『太陽のない街』
     自ら体験した1926年の協同印刷工場の争議が素材
     当時の社会の政治と関連させながら反抗する労働者を描いた

   ○中野重治(1902-1979)『むらぎも』『中野重治詩集』
     自伝小説『むらぎも』東大に入学した主人公片口安吉は
     “新人会”に入りさまざまな学生や運動を通して
     革命文学者として成長してゆく
     やがて弾圧を受けて『村の家』を中心に『転向五部作』を書いた
     戦後宮本百合子、蔵原惟人らとプロレタリア文学運動の再建をめざし
     “新日本文学会”を発足させた

   ○宮本百合子(1899-1951)『伸子』

   ○佐多稲子(1904~)『キャラメル工場から』

 ◇大衆文学

  芸術としての純文学に対し通俗的、娯楽的文学をいう
  大正期の新聞小説の盛行などにより発達
  中里介山の『大菩薩峠』に始まり『キング』『円本』の登場により
  新進作家が多く生まれ直木三十五、大仏次郎らによって
  品位と内容が高められた
  1935年に「直木賞」制定

★週刊誌・月刊誌・円本

 ◇週刊誌

  ・1922(T11)2月『旬刊朝日』創刊、4月から週刊に
   『サンデー毎日』創刊
 
 ◇月刊誌

  ・『改造』 1919(T8)山本実彦が創立した改造社より創刊
   民主主義的論調から社会主義的傾向が強くなり
   『中央公論』と並んで知識人に大きな影響を与えた

  ・『中央公論』 1887創刊の『反省会雑誌』の後身が
   吉野作造を執筆者に迎え大正デモクラシー論理的指導

  ・『文芸春秋』 1923(T12)菊池寛が文芸春秋社設立発刊

  ・『キング』 1925(T14)1月創刊の大衆娯楽雑誌
   最盛期には77万部を越える売れ行き
   以後の大衆雑誌、少年少女雑誌の流行するさきがけに

  ・『円本』1926(T15)改造社の『現代日本文学全集』一冊一円
   予約募集に23万人

   ※1924(T13)コップ6個で1円 岩波文庫☆一つ20銭

週刊誌雑誌1

週刊誌雑誌2

★市民生活の大衆化

 ◇芸能

  ・映画 
   1897(M30)フランスからシネマグラフ(活動写真)輸入
   1899 日本最初の日本映画製作 弁士(活弁が活躍)
   1931(S6) 最初の本格トーキー映画公開

  ・宝塚少女歌劇団
   1913(T2)宝塚温泉の余興出演のため少女唱歌隊として結成
   1940(S15)宝塚歌劇団と改称

市民生活の大衆化1

 ◇ラジオ放送

   1925(T14)東京放送局(愛宕山新局)より放送開始
   1926.8月 日本放送協会(NHK)設立

市民生活の大衆化2

 ◇文化住宅登場 和風住宅の玄関脇に洋風の応接間
文化住宅

 ◇円タクの登場 東京市内1円の均一料金

  自動車台数 1915(T4)1224台 → 1934(S9)一万台越す

  <東>本所区押上から南下して深川区あたり
  <西>池袋より西から新宿信濃町、渋谷あたり
  <南>五反田、品川あたり
  <北>日暮里、巣鴨あたり

 ◇地下鉄開通 1927(S2)12月 上野-浅草(2.6K)

 ◇洋食の流行

   明治のはじめ、1870年代から東京などで売られていたが普及せず
   1918(T7)の米騒動以来、代用食として注目された
   陸軍は米のとれないシベリアへの進出のため国民にパン食を
   慣れさせようと積極的にすすめた

  ・三大洋食(コロッケ カツレツ カレーライス)
 
                    (データは浜島書店刊「新詳日本史図説より)



昭和 | 23:58:24 | Comments(0)
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