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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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満州事変の前の軍部の動き
3/22

 講座は10時から始まります。
 だいたい11時半くらいで休憩に入りコーヒーなど飲んで
 12時半くらいまでびっちり講義があります
 2009年322日
 いつも「遅くなりまして」と恐縮して終わります。
 伝えたいことがたくさんあり過ぎて
 先生はまだまだ伝えたり無いように見えます。


満州事変のおこる直前

◆中村大尉事件 

 …中国と関東軍の間に緊張が高まる…

 1931.6.27中村大尉事件

  興安嶺方面の兵要地誌作成のため参謀本部から派遣された
  中村震太郎大尉と
  随行者井杉延太郎予備曹長(昂々渓こうこうけいで旅館経営)が
  泰来たいらい付近で現地屯墾軍の
  関玉衝かんぎょくこうに捕らえられ
  軍事探偵として処刑される

  Wikipediaより 中村震太郎(左)・井杉延太郎(右)
  中村震太郎(左)・井杉延太郎(右)

  ※中村は対ソ戦に備えるため現地の情報を集めるスパイとして
    参謀本部から派遣されていた

  当時、洮南とうなん、索倫さくりんは外国人の立ち入り禁止地帯
  (中国はこの地に屯墾軍を入れ漢民族を移住させる)

  中村大尉事件

  中村はハルピンで農業技師と偽って
  護照(旅行許可証)を入手し現地に入った
  7月下旬になって関玉衝の妾の日本婦人から
  事実がもれたことを契機に
  石原は軍の出動を主張したが
  幣原内閣は外交交渉で解決をはかり難航した
  9月18日に中国側(張学良ら)が事実を認め
  関玉衝の処分を約束した
          ↓
  9月18日当日に柳条湖事件が起こった

 ◇日本の世論は幣原外交を厳しく攻撃
 ◇陸軍は中国側の日本圧迫だと宣伝
 ◇8月下旬軍は中国が殺害認めなければ
  一個大隊派遣を外務省に申し入れ認められる
 ◇9.8 金沢の第9師団司令部が
      満蒙の危機を訴えたビラを管内に撤布

 …戦争を煽るような流れが出来てきた…

◆その頃の関東軍の幹部の動き 

①密約
 高級参謀 板垣征四郎は31年夏上京しロシア班長 橋本欣五郎と会い
 開戦を9月28日ごろ起こし、もし政府が追随しなければ
 橋本がクーデターをおこす密約が出来ていた

 ※橋本は30年に参謀本部の陸大出の若手エリートたちで桜会結成
   彼らは政党政治に対する不満を持っていた 
   貧しさから故郷の姉妹が身売りされる現実に怒りを覚えていた
   政党を支えていたのは企業、企業の金により政党が堕落

 

   「桜会趣意書」

一、熟々(つくづく)帝国の現状を観るに、万象悉く消極に堕し、新進の鋭気は地を払うて空しく、明治維新以来隆々として発達し来りし国勢は今や衰頽に向かわんとし、吾人をして痛憤憂愁措く能わざらしむるものなり。

~以下略~

 (要旨)
 国勢は今や下降しているのだが、為政者の責任が大きい。
 ロンドン条約で軍部は危機にあると国防協調主義を批判。
 高級為政者の冒涜行為、政党の腐敗、
 大衆に無理解な資本家、華族
 国民思想の頽廃を誘導する言論機関、農村の荒廃、失業
 などなど その責任がある政権は頼りにならない。
 天皇中心の(軍事)国家にするべきだ。




②板垣は朝鮮軍の神田正種参謀に10月に決行と伝えた
  その時は朝鮮軍も間島に進出して占領する手はず

③板垣や石原が31年秋に決行を急いだのは
  ・万宝号事件、中村事件で世論が沸いていたので
  ・ソ連が五ヵ年計画に没頭している今のうちでなければ
   ソ連の中立化は保証無し

◆三月事件、十月事件 

三月事件
 1931年(S6)3月の決行を目標として未遂となった陸軍のクーデター

 ・軍部の力が強大化(1900山県有朋内閣で軍部大臣現役武官制)
 ・橋本らと大川周明、小磯国昭らで立案
 ・宇垣陸相を首班とする軍部内閣の樹立
 ・重臣、政党・財閥を排除「一君万民的政治体制の樹立と企画」
 ・宇垣の変心で未発に終わる
 ・計画が発覚しても陸軍はかん口令を敷いて隠した
 
十月事件(錦旗革命事件)
 1931年(S6)10月の決行を目標として未遂となった陸軍のクーデター

 ・若槻首相、幣原外相を暗殺し東京を戒厳令下に
 ・荒木貞夫中将を首班に、橋本内相、大川蔵相とする軍部内閣の樹立
   荒木貞夫(皇道派) ←→東条英機ら(統制派)
 ・三月事件より大掛かり
  近衛徒歩連隊から中隊出動 霞ヶ浦から海軍爆撃機も参加
 ・大本教の信徒40万人に動員 労働組合も
 ・東郷平八郎は計画を知っており参代上奏することに同意
  ※荒木の談話では東郷は知らず計画に加わっていなかった

 10月24日早暁に決行予定が計画がもれて17日に中心人物検挙
 桜会は解散
 リーダー達は謹慎処分
 謹慎がとけると中央から地方に飛ばされた

 …未遂に終わったが世の中の雰囲気が右傾化してゆく…

  
◆戦争拡大を阻止しようとした軍人もいた 
 
 
 海軍軍令部長・谷口尚信は1931年陸軍参謀本部を訪ね
 参謀総長・金谷範三に山海関方面への歓待の派遣をやめて
 守備隊を撤収させてはどうかと申し入れた

 金谷は陸軍の伝統として撤退は出来ない
 海軍が協力しなければ陸軍で独自で対処すると答える

 金谷はその日の軍事参議官会議で金谷との会見を報告
 「事変は結局、対英米戦となる恐れがある。
  それに備えるには35億の軍備が必要だが
  今の日本には不可能だ」

 すると東郷平八郎が怒鳴った
 「軍令部は毎年作戦計画を陛下に奉っておるではないか
  いまさら対米戦できぬといわば、
  陛下に嘘を申し上げたことになる
  今更そんなことが言えるか!」

 東郷は多数の面前で谷口を怒鳴りつけた
 翌日谷口は辞め、伏見宮が軍令部長に就任

 

 日露戦争で軍神と言われた東郷平八郎は
 時代遅れの認識のまま見識のある軍令部長を更迭し
 戦争へと日本を導いた

昭和 | 05:34:36 | Comments(0)
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