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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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高橋財政の悲劇と尾崎行雄の論文
5/10
 
    5月10日善方先生

太平洋戦争当時の愛知の田舎の村の小学校で
どういったことを学んで、どういったことを考えたのか
まとめられた 「ぼくら国民学校一年生」の一ページを読みます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(昭和17年・開戦の翌年)
2年生になった頃から、昼食が終わると廊下に出て
二列縦隊になって正座するようになった。
時間は15分位であったという記憶である。
校舎は木造であり、廊下はもちろん板である。
そこに正座するのであるから、辛いものがある。
正座して目をつむると「海行かば」の音楽が流れる。
歌詞は

 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(くさむ)す屍
 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ


意味は川や海の戦いに戦死して
水の上に自分の屍が浮くようなことがあっても
あるいは陸上の戦闘で戦死して自分の屍が草むらで朽ち果てようと
天皇陛下のおそばで死ねなくても
そんなことはかまわずに戦うのだということである。

先生にこうした意味を教えられて自分もそのような気持ちで
戦争に臨むのだとぼんやり考えていた。

おそらく冬になってからだと思うのだが
同級生の田中ひさお君が病気で亡くなった。
翌日か翌々日の正座の時間に先生から
「田中君は亡くなる時に自分は天皇陛下に忠義を尽くせず
 亡くなるのは残念だ」と言って息をひきとった。
と放送があった。

田中君は普段から病弱で僕も一年生の時に35日の欠席したけれど
田中君はそれを上回っていた。
ともあれ田中君が死の直前に天皇陛下に忠義をと言ったことに
驚いたり感心した。
そして生きている僕らは天皇陛下に
もっと忠義を尽くさなければいけないと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういった記録が今の若い人たちの目に留まって
読み継がれていけばいいなと思っています。




★恐慌対策として高橋(是清)財政がやったこと

 1931犬養内閣設立し金輸出再禁止
 対外的には為替相場を円安を利用して輸出を促進した

 体内的には膨張政策をとり歳出増やし赤字公債増発

           ↓
      1935年には輸出111%に回復する

自由放任経済(古典派経済学)では失業をなくし、完全雇用を実現することはできない。雇用水準や生産水準は国全体の有効需要の大きさで決まるので、政府が積極的に経済に介入し公共投資により有効需要を増やすことが完全雇用につながる。
ケインズ(1883~1946)の発表した国家独占資本主義的政策「雇用・利子および貨幣の一般理論(1936年刊)」を高橋是清(1854~1936)が先んじてやった。


★高橋財政の罪

 ソーシャル・ダンピング
  ・国家が推進して低賃金や劣悪な労働条件で
   国際価格よりも低廉な価格で輸出
  ・国際労働機関の労働9原則を日本では不実施
        ↓
  ・労働者にしわ寄せ
  ・世界の国々から日本の信用を失い売れなくなり日本孤立化
  ・ブロック経済圏の発生
円ブロック(日本、朝鮮半島、満州)
いかに満州を日本の植民地として完全支配できるか
軍部が軍事予算増額を要求

高橋財政は軍部の要求に応えて行く

★高橋財政の評価

 ○小型ニューディール(福祉国家的コースを志向)財政
 ○軍事インフレとファシズムを招いた財政

 財閥(寡占金融資本)と軍部ファシストが
 天皇制国家を支えてゆく日本柱となる

 ※国民は絶対服従を求められ民草と呼ばれる

★尾崎行雄「経済立て直しと軍備制限」

Wikipedia尾崎行雄

この本の出た翌年S5年ロンドン軍縮会議がありました。
日本がサインをしたことが、海軍軍令部から「統帥権を侵した」と問題が生じて、その尻押しをしたのが政友会で、その中で一番発言したのが鳩山一郎でした。
その鳩山が戦後首相になったのです。日本という国は戦争犯罪人が平然とデモクラシーを名乗り首相になったのです。
一番酷いのが岸信介です。彼は満州国を牛耳ったのです。あれはアメリカの反共の砦とするためにA級戦犯の岸が熱心な反共主義者であるということで利用されて首相になりました。
そして安保反対の時に樺美智子さんが殺されました。私は樺さんのお父さんの講義を受けていたのでいっそう当時の首相の岸のことが許せません。

尾崎行雄の生まれた1858年に安政の大獄がありペリーが来日しています。
3月に日米和親条約が結ばれ直弼は朝廷の許可なく開国したと恨みをかい、桜田門外の変で殺されてしまいます。

尾崎は生涯政党政治家として生きた。
大隈重信と板垣退助の隈板(わいはん)内閣で大臣になり「日本では千万年経ても共和政治を行うことはない。日本で仮に共和政治があると夢みてください。三井三菱はおそらく大統領の候補になるでしょう」と発言して大問題となり辞職。二ヵ月後内閣は総辞職。尾崎のために短命内閣に。
大正期には普選運動。大戦中は陰の人としてファシズムと闘う。
戦後は憲政の神様と言われました。
そんな尾崎行雄がどんなことを言ったのか読んでゆきましょう。

『経済往来』昭和4年11月号  1ページ  2ページ  3ページ  4ページ
経済立て直しと軍備制限
<要約>
(1)軍備の努力

一国の軍備は原則として、その経済力以上の軍備は国防の用をなさず、却って亡国の原因となる。
ベルギー、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、スイスなどはドイツ、フランス、オーストリア、ロシアの間にあって常に侵略されるおそれがあるけれど、強国に対抗できる軍備はその経済力では無理。
中正不偏の外交努力をしているけれど、いざとなればオランダなど堤防を破壊し海中に沈める決心であったと伝えられる。必ずしも軍備の不足が国家の独立を妨げない。

(2)世界の体制の変化

個人間の争議が裁判によって決しながら、国家間の争議だけは戦争でというのは野蛮な時代の遺習にすぎない。戦争では勝敗を決するだけで正邪曲直を決めるものではない。
文化の進歩により少しずつこの遺習をやめようという傾向が生じている。
我が国のシベリア出兵、山東出兵などがいたずらに巨億の軍費を浪費し汚名を買っただけなのは、世界の体制が武力乱用を許さないようになったためである。

(3)日本の環境と軍備

世界は大戦争のために経済力が落ち込んでいるのでそれを回復するのが最大急務である。それには列国共に不生産的軍備を縮小し、かつなるべくこれをしようしないようにすることが最も必要だ。
我が国の陸軍は内地及び朝鮮、台湾、南満m関東州の治安を維持する以外に使用の道が無い。
今は縮小して経済を回復するべきである。

(4)軍備は相対的

海軍も今縮小してもよい。世界情勢に応じてやっても遅くない。今日の軍備は三四十年後には役に立たなくなるから無用の長物。
相対国と共に拡張すればいくら拡張しても強くならない。英米と競技して縮小の程度を決めるのがよいだろう。
世間の愚昧漢は軍備を拡張しさえすれば国防が安全になると妄想している。バカである。
英米のような富国と拡張競争すれば現勢力の維持すら困難。協議の上縮小すれば減らしても弱くならないし、全廃すれば英米と対等になる。

(5)我が経済界の現状

我が国は欧州大戦中ラッキーなことに経済上非常に有利な位置に立っていた。
大正3年から8年の5年間で輸出用かだけで15億円獲得した。
戦争が終われば需要による好景気が終わるのは明らかなのに官民朝野を問わず、財政を大きくしたまま5億の歳出を16~7億に増加し、国防費も海軍だけで7億5千万まで増やした。実に狂気の沙汰であった。
人民も負けず劣らず無駄遣いをしている。
今は挙国一致で政治家も全国人民も魂を入れ替えて頑張らなければならない。
そしてまず不生産的な陸海軍費に大ナタを入れなければならない。
 

★その後の流れ

高橋財政は軍備の際限なき膨張の契機となり
1936年(S11)軍事予算を縮小しようとした高橋是清は
二・二六事件により暗殺される。

■財閥は完成期を迎える

 総合財閥(三井・三菱・住友)
 金融財閥(安田・渋沢《第一銀行》・川崎)
 産業財閥(古河・浅野・大倉)
 新興財閥(森《昭和電工》・鮎川《日産=満州重工業》・
       野口《日本窒素=朝鮮窒素》・中島《飛行機》
       大河内《理研》・中野《日本ソーダ》・宇部《宇部窒素》)

■社会の出来事

 S2 小林多喜二虐殺
 S3 国際連盟脱退
 S5 滝川事件(学生たちの学ぶ自由奪われた)

次第にファシズムが台頭し尾崎の論文のようなものは
二度と出てこなくなってしまった。







昭和 | 01:17:55 | Comments(0)
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