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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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リットン調査団の報告書
1/10 

 13期の満蒙開拓団で、この間蕨で青少年義勇軍に参加された方にお願いしましたら、都合がつけば来てお話してくださるそうです。引き上げる途中でお母さんと弟さんを亡くし一人で引き上げてきた上尾の女性の方にもお手紙を出しました。お二人の遺体はその場に捨ててくるような形になったそうです。その方にもお話していただければと思っています。

 この前、紙芝居のことでお話したのですが、当日入賞した人の写真のコピーを送って頂いて、前列の左から五番目の背の低い男の子がトップで入選したのですが、平塚の聾唖学校の四年生の生徒なんです。先生が子どもの手振りを言葉に変えて、とっても良かったです。子どもたちがとってもユニークな題材で手書きで聞いていると胸が熱くなるような作品が多かったです。
  1月10日

  紙芝居コンクール
 あとから是非大勢の子どもたちに見せてくださいというお手紙を頂きました。3月に豊島区の図書館で紙芝居とお話をすることになっています。私も亡くなった方から命を頂いていますので、その生命を大事にするためには、残された想いを戦争を知らない世代につたえてゆかなければと思っています。
  
※「さくら」は先生が経験した戦争の出来事と、伝えなければならない想いを
  有志の方々が自主制作した紙芝居と冊子です。 以前の記事



リットン調査団報告書から読み解く戦争への道のり

★リットン調査団

リットン調査団 - Wikipedia

<委員長> 
 リットン(伯爵)父はかつてインド総督 自身もインドルガン知事を経験

<委員> 
 クローデル中将 (仏)転身駐屯軍参謀長、仏領インドシナ軍司令官を歴任
 シュネー博士 (独)第一次大戦前、独領東部アフリカ総督、植民地政策の専門家
 アルドロパンディ伯爵 (伊) 老練な外交官
 マッコイ少将 (米)キューバ占領統治に関わりボリビア、パラグアイとの
           国境紛争に関して中がいした経験あり

  いずれも植民地経営に携わってきている面々

★報告書第四章を読む

リットン報告書第四章1931年9月18日当日及び具後に於ける
 満州に於いて発生せる事件の概要

 9月18日午後10時より10時半の間に鉄道線路上、若しくは其の付近に於いて爆発ありしは疑いなきも鉄道に対する損傷は若しありとするも事実長春よりの南行列車の定刻到着を妨げざりしものにて其れのみにては軍事行動を正当化するものに非ず。

爆発直後に通過した列車が大連に定刻に到着している
線路が爆破されていたら定刻に着くはずがない
満鉄

・満鉄から出している記録「満州事変と満鉄」上下二巻の中では
 柳条湖の被害や修理の記載、一語もない

・「満州独立守備隊」という軍隊の記録には
 「弾雨の中、7時間かけて補修を行った」という記述あり

             ↓
  新聞紙上では軍隊の側の作られた記録が報道された
  当時の日本の人達は激しい怒りを持った

  真実が隠された中で戦争を容認する世論が作られて行った

 同夜に於ける叙上日本軍の軍事行動は正当なる自衛手段と認むることを得ず。尤も之により調査団は現地に在りたる日本将校が自衛の為め行動しつつありたるもなるべしとの仮説を排除せんとするものには非らず。


「日本将校は自衛のために行動しつつあったことは否定出来ない」
 それはどういうことなのか…↓

★有事の「作為」

1931(S6)
 9.19 閣議(若槻民政党内閣)不拡大方針を決定
 9.21 午前3時 本庄繁関東軍司令官、
   幕僚(板垣、石原ら)の進言に同意し“吉林出兵”に同意

  ※陸軍刑法第37条違反
  (権外に理由なく出したら死刑または無期若しくは7年以上の禁固刑)
   関東軍は満鉄の安全を守るためにあるが、吉林は管轄外


          関東軍出兵の理由
(表の事情)
 1.吉林在住、日本人民留民が危険に陥りつつある

(裏の事情)
 2.軍がひとたび吉林軍に対して受動的体制に立つと、
  各地の中国側敗残軍がこれに呼応し反転するかも
 3.吉林に関東軍出兵するとなると朝鮮軍と共同して
  満蒙地域を制圧すれば軍の中央も認めるであろう


    (紫が軍側の動き)

◆吉林軍と総領事と軍隊の動き

・当時吉林には1000人ほど在住 材木業が多かった

・19日早朝、吉林省政府主席代理キハは石射総領事に
 吉林軍は日本軍に対し発動しないと明言

・同日夕方、関東軍司令部付き吉林軍軍事顧問の大迫中佐が
 石射総領事に中国敗残兵が吉林に逃げ込んで居留民に
 危害のおそれあり、総領事から日本軍を呼ぶよう要請


・石射総領事は「其の必要をみず」と拒否

・同日夜、大迫中佐宅に居留していた浪人(軍人?)が
 日本人の店にピストルを撃ち込む


・20日総領事館に婦女子を収容 吉林市民に不安が広がる

・21日飛行機が飛来し領事館に通信筒を落下
 「第二師団の主力、列車にて吉林に向かって進軍中」


・吉林省政府代表が訪問し
 日本軍が火の雨を降らせたら吉林市民が悲惨な目に合うので
 絶対無抵抗を決め、吉林郡を城外数里に移動させ恭順厳命した
 日本軍が平和裏に進駐するように総領事からの斡旋を頼む

・21日午後5時頃、第二師団、吉林市を無血占領

◆陸軍刑法第35条違反して増援軍

・第35条・理由なく外国に対し戦闘を開始したら死刑

・9月19日午前8時30分朝鮮軍司令官林銑十郎中将は飛行2中隊に
 関東軍増援のために出撃を命令

・21日第2師団、吉林進攻(満鉄沿線を軍事的空白地帯)により
 林は新義州に待機中の混成第39旅団うぃ独断で午後一時に
 越境させ奉天に向かわせた


◆奉天の総領事森島守人の対応

・柳条湖事件発生20分後に関東軍特務機関にかけつけ、外交交渉で
 平和裏に解決するよう説く

・板垣は「既に統帥権発動を見たのに総領事館は口出しするのか」といい
 特務機関員、花谷正少佐は群島を引き抜いて森島を威嚇した


◆軍に非協力的だった石射総領事はその後

1932年(S7)
・1月 関東軍参謀会議、石射総領事に対し
 軍に非協力的であるので召喚を要請と外務省に打電

・石射は本省より軍に協力するよう訓令を受ける


・5月 石射「本官は関東軍と両立せず」と申請電信

・7月 石射総領事、離任し帰国

  現地の軍隊の意向が大きな力を持ち始める

<参照・引用文献>
 1993.4.12NHK人間大学 澤地久枝『“昭和”私たちの同時代史』より
 森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』(岩波新書)
 江口圭一『十五年戦争小史・新版(青木書店) 他



★報告書第九章を読む

◆解決の原則 及び 条件
 蓋し本紛争が9月以前に於ける状態より発生せるに鑑み、同状態の回復は紛争を繰り返す結果を招来す

紛争を誘発した責任の一端は中国側にあり 元に戻しても解決しない

◆満州の自治
 東三省地方的状況及び特徴に応ずる様工夫せられたる広範なる範囲の実を確保する様改られるべし

自治政府に外国人顧問を任命する、
そのうち日本人は充分なる割合を占めること

◆内部的秩序及び外部的侵略に対する保障

・内部的秩序… 地方的憲兵隊で確保
・外部的侵略に備えて… 完全な憲兵隊で対応

  ○特別憲兵隊=東三省における唯一の武装隊(軍隊)
        =外国人教官の協力のもとに組織
        =これ以外の武装隊は撤退

  ○関係国間不侵略条約の締結

◆満州における日本の利益の承認
     リットン報告書が“対日融和政策”を具体的に提示

・当時ヨーロッパでは 英・仏 対 独 の対立が明らかに

 ※世界恐慌の結果、独政府の賠償金支払い滞る

・中国、国民政府内に“対日宥和派”が多数いた

 ※国内の共産党を先に敗北させるべきと考えた
  蒋介石もその一人で第四次対共産党軍攻撃開始

以上のような中国政府内の動きを察知した内田康哉外相は
8.25衆院本会議で
「国どを焦土化しても満州国承認の主張を通すことにおいて
 一歩も譲らない」と発言

しかし内田の外交作戦を完全にノックアウトする事件がおこる

連盟が日本に妥協を迫っている1933年2月に関東軍は
万里の長城の北部分にあたる熱河省に侵攻する
中国(中華民国)の領土で満州(東三省)の領域外


 ※熱河省の特産物は阿片で軍事費の財源として重要資源

融和政策、行き詰まる

◆国際連盟規約第16条

連盟が解決に努めている時、新たな戦争に訴えた国は
全ての連盟国の的とみなされる
通商上、金融上の経済制裁を受ける
        ↓
    結果的に除名処分

2.8 斉藤首相、天皇のところへかけこみ、1月の熱河作戦閣議決定を
  取り消し、天皇の最下も取り消して欲しいと懇願
  天皇は参謀総長に作戦をちゅうししたいと侍従武官に伝えさせた

2.17閣議、国際連盟の日本軍満州撤退勧告案反対、
  熱河省侵攻を決定
  武藤関東軍司令官、熱河進軍を命令

4.10関東軍、頂上栓を突破し河北省へ侵攻


4.15天皇、“熱河平定の関東軍招聘に賜りたる勅語”を下附
  しかし天皇は国際ッ連盟脱退(3.27)と熱河作戦により国際関係
  悪化することに不安感が増し真崎参謀次長に撤兵を督促

4.19武藤はいったん、侵攻部隊に長城線まで帰還を命令

5.8 中国軍の反撃があったことから再び関内作戦を遂行

               (陸軍刑法第37条違反)

5.25中国軍、軍使を日本軍に派遣

5.31日本軍提案の『塘沽停戦協定』、中国側承認成立

 二国間の正式交渉によるものでなかったことが
 その後の歴史に許されない過ちを重ねてゆく

◆国際連盟3.24リットン報告にもとづき対日勧告案

 賛成  42
 反対   1
 棄権   1

 欠席  11(中近東1、アフリカ2、北米諸国3、南米諸国5)

◆満州国を承認した諸国 20カ国

1932(S7)
 3.1  東北行政委員会、満州国の建国を宣言
 9.15 政府(斉藤内閣)満州国を正式承認した日満議定書に調印
1934  ローマ法王庁、サルバドル、ドミニカ、エストニア
1935  ポーランド
1937(S12)イタリア、スペイン
1938  ドイツ、デンマーク
1939  リスアニア、ハンガリー、スロバキア
       ※日本、連盟加入
1940  中華民国汪政権、ルーマニア、ブルガリア
1941  クロアチア、タイ、フィンランド
1943  フィリピン、ビルマ

 日本は国際的な孤児になることを恐れていた
 資源が無いので除名を恐れた
 しかし植民地が土台で、地下資源、農産物豊富な満州が
 どうしても欲しかった

 現地の軍隊が強くて引き摺られた部分がある
 軍の力を期待していた部分も多い
 天皇も勝てば良しとして軍部の暴走を許した

 リットン調査団の妥協策を受け入れていれば戦火拡大しなかった


   ========参加者の感想========

 こんな大事なことが、モタモタと決まっていったのか
 本当の戦略が立てられず、長期的な展望がない
 目先のことで迷走




昭和 | 14:26:51 | Comments(0)
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