■講座内容と日程
■プロフィール

ひさごん

ひさごん

生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

■リンク
■最近の記事
■最近のコメント
■過去ログ
■カウンター
■戦争の作り方

戦争の作り方

■Keep9

banner

■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■検索フォーム

■カテゴリ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
満蒙開拓団-2
4/11

   毎年桜の季節に京都を訪ねる先生
   亡くなられた お父様、お母様、お兄様、お義姉さま 
   「勉強しろよ」と言ってくれた特攻隊の青年…
   4/11
   京都に桜の季節に行くのは、
   大切な方たちとの一年に一度の巡り合いの旅なのです
   京都の桜




◆満蒙開拓青少年義勇軍-1


国策により幼い子供たちが甘い言葉に騙され、行政の命令により集められ
国を挙げて煽って満州に渡らせられたのでした。

◇満蒙青少年義勇軍の出来た経緯

1937(S12)11.3 
 石黒忠篤・加藤完治ら「青少年義勇軍編成に関する編成建白書」を
 近衛首相以下、全閣僚に提出
 「将来、移民を管理し、あるいは交通線を確保し、一朝有事の際においては
  現地後方兵站(へいたん)の万全を期す」

1937.12.22
 拓務省(1942年大東亜省設置で廃止)「満州青年移民実施要項」発表

 ・第一回 16~19才の若者3万人募集
  内原青少年義勇軍訓練所(満州移住協会建設、総面積40ヘクタール、1万人収容)
  で訓練したあと現地に送出

 ○訓練所入所資格
  尋常高等小学校卒業見込み(現中学2年終了)
  14~18才 身体頑健
  内原で2~3カ月の集団訓練を経て渡満し基本1年実務で2年の訓練を受け
  最年少は17才で満ソ国境に入植

 ○甘言
  当時16才の青年学校2年在学中の伊達正男さん(寄居町在住)の話
  「熊谷で説明を交えた講演会があり、講師の拓殖公社の説明の中で
   私の意欲をそそったのは訓練終了後に一人当たり10町歩の土地が
   交付され個人経営に移行することが約束されているという
   耳よりの話だった」

 ○第一次募集 定員5000名 応募者9950名 ※定員増7700名
  (埼玉県合格者 311名 入所者308名)

◇精神教育に力を入れた

 内原訓練所では小隊、中隊を単位とした軍隊式の部隊編成で
 訓練が行われ、所長加藤完治(54才)自ら「皇国精神」を担当
 
<義勇軍綱領>
一、我等義勇軍ハ天祖ノ宏謨ヲ奉ジルヲ一ニシテ追進シ
  身ヲ満州建国ノ聖業ニ捧ゲ神明ニ誓ッテ天皇陛下ノ大御心ニ
  副ヒ奉ランコトヲ期ス。(以下略)

 ○日輪兵舎
  直径10m 内部2段 60名収容 215棟 
  訓練生15人位で半月ほどで1棟完成 杉皮ぶき
 兵舎

<義勇軍の任務>建白書より

 ○国策移民の完成を助ける(成人移民団を匪賊から守る。治安維持)

 ○移民地の管理(他民族の入らぬよう確保・管理)

 ○交通線の確保(10,000km余の鉄道を守る)

 ○一朝有事の際には現地後方兵站(へいたん)の万全に資する

◇壮行会

1939(S14)6.7 満蒙開拓少年義勇軍2500人の壮行会挙行
     6.8 市内大行進

    「我等は若き義勇軍」 星川良夏・作詞 飯田信夫・作編曲

 我等は若き義勇軍 祖国のためぞ鍬とりて 万里はてなき野に立たん
  今開拓の意気高し 今開拓の意気高し

 我等は若き義勇軍 祖国の衣鉢受け継ぎて 勇躍つとに魁けん
  打ち振る腕に響きあり 打ち振る腕に響きあり

 我等は若き義勇軍 秋こそ来たら満蒙に 第二の祖国うつたてん
  輝く緑空をうつ 輝く緑空をうつ

 我等は若き義勇軍 力ぞ愛ぞ王道の 旗ひるがえし行くところ
  見よ共栄の光あり 見よ共栄の光あり

                 1938年11月

◇埼玉県における義勇軍の送出

 ○第一次募集 1938年(S13)
  高等科二年在学中の生徒を対象に直接的に参加を呼びかけた
  市町村当局は該当年齢の指定をもつ家庭を調査し、教師同行で
  家庭訪問し、国策による満蒙開拓であrことを強調しながら
  本人と親を説得した

 ○行政へ通達
 1939年(S14)9
  県学務部長から市町村長・学校長宛て通達
  「強度中隊編成ヲ目標トシテ所要数(註300人)ノ半に達セズ
   遺憾ノ極ミニテ候」

  ※割当以上ニ入所セシメタル町村、
   割当ノ一名ヲ入所セシメタル町村ヲ公表
   (埼玉近代史研究会『埼玉近代百年史』下巻)

 1942年(S17)10 
 県学務長「昭和18年度選出青少年義勇軍強度部隊編成ニ関スル件」
  各市町村・国民学校長宛て
  来年度は15000名と決まり、本県に対しては250名ほどの割当があり
  相当大変だけれども大東亜共栄圏の確立のためにも
  どうぞよろしくお願いするという内容の手紙

 一、市町村内各種団体・国民学校協力ノ上、必ず一町村一名以上ノ
   適任者御推薦相成様致度(以下略)

  ※当時343町村
       (金子吉衛『蕨の空襲と戦時下の記録』さきたま出版)

◇群馬県でも


1940(S15)12 国策非協力校にプレッシャー
 「貴校ヨリ一名ノ応募者モ無之其テハ国策遂行上
  マコトニ遺憾に不堪(略)」

教科書にも「満州国」
教科書

  
◇埼玉県の人数などのデータ

 ○埼玉県における年次別入所者数

(在籍者名簿 及 外務省管理局資料などによる)

 1938年(S13)第一次 421名

 1939年(S14)第二次  95名

 1940年(S15)第三次 178名

 1941年(S16)第四次 460名

 1942年(S17)第五次 192名

 1943年(S18)第六次 124名

 1944年(S19)第七次  99名

 1945年(S20)第八次  ? (←3月の東京大空襲の月も送りだす)

         合計 1569名+α

 
○上記町村別では

 大宮(62) 忍(55) 川口(43) 川越(32) 秩父(26)
 浦和(23) 本庄(18) 深谷(17) 寄居・藤田(各16)
 高麗川(14) 飯能・新座(各13) … など

 ※県南地区が多かった

○1941年(S16)送出した460名

・年令別

 19才 16名   (3.5%)
 18才 17名   (3.7%)
 17才 22名   (4.8%)
 16才 41名   (8.9%)
 15才 256名 (55.6%)
 14才 107名 (23.3%)   三学年で79.1%
 13才  1名  (0.2%)


・学歴別
 高等小学校卒       48名
   〃  二年在学中  356名(現中二在学中)
   〃  一年修了    8名
   〃  一年在学中   4名
 尋常小学校卒       9名
 
(新編 埼玉県史別冊『曠野の夕陽』より)


◇浦和市1941年(S16)度一次志願者壮行会
壮行会
 
埼玉会館に於いて満蒙開拓青少年義勇軍に対する市町の挨拶
あいさつ

◇義勇軍に応募した動機

・教師の指導による   3422名 (47.4%)
・父兄のすすめによる   429名 ( 5.9%)
・友人のすすめによる   179名 ( 2.5%)
・官公吏の指導による   164名 ( 2.3%)
・本人の意思による   2469名 (34.2%)
・義勇隊の通信による   78名  (1.1%)
・その他         477名  (6.6%)

(1941年(S16)末現在、満州移住協会報告)


  …続く…


昭和 | 09:10:14 | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。