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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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滝川事件2・事件の発端
~異端の追放・滝川事件2~

9/26

  鳩山一郎が戦後GHQの追放解除になってから
  総理になってからびっくりしたことは
  地元の人たちが日の丸の旗で提灯行列をして
  鳩山内閣の誕生を喜んだんですよね。
  鳩山一郎という人は思想弾圧の先駆者だったんです。
  本当に歴史を学ばないことの不幸です。
  9月26日



◆滝川事件の発端


◇事件の発端「トルストイの刑法観」「刑法読本」

1932(S7)10.28 中央大学「構内学術講演会」(中央大学法学会主催)
<演題>「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」
トルストイの刑罰論を要約しよう。
犯罪は犯人その人を介して社会に課せられる刑罰にほかならない。犯罪のある時、その多くが人間に対する無理解、利己心、堕落から発生することを社会は知らなければならない。
刑罰は社会が犯人に対して犯すところの犯罪そのもっとも恐るべき犯罪である。
…われわれは犯人から逃げてはならない。犯人に近づき理解と同情をもってこれを導くべきである。悪に抵抗するなというところに『復活』が成り立つ。(略)
犯罪は国家の組織が悪いから出るのであるから国家が刑罰を加えることと云うことは矛盾である。
犯罪は国家に対する制裁である。

講演の後、聴衆の中から滝川は無政府主義者だと騒ぐものが出たことを聴衆の一人でもあった検事総長・林頼三郎がとりあげ、司法大臣小山松吉に報告。
小山は講演の結論のメモ書きを文部大臣鳩山一郎に手渡した。

◇司法官赤化事件

前年(1932)10.30 共産党全国代表者会議(於熱海)を機に、全国で約150人の共産党員が逮捕され、その中に東京地裁判事 尾崎陞(すすむ)・司法官試験補・書記、翌年には3月までに長崎、札幌、山形の各地裁の6人の裁判官と職員が検挙された。

※機関誌「赤旗」(せっき)1932.4から5日おきの定期刊行を実現、発行部数も7000も達し取り締まりの厳重な陸海軍内にさえわずかながら末端組織が存在するまでに至った。

警視庁は党の中央にスパイを潜入させ銀行ギャング事件などおこして、共産党への恐怖心をかきたてたあげく一斉検挙に移った。

11.23付「東京朝日新聞」夕刊 五段抜きトップ記事で『光輝ある裁判所に、一代不祥事勃発す。議会に問題かの恐れ』
※記事差し止め解除で尾崎陞(すすむ)判事逮捕を報道

      ↓

この事件をきっかけに蓑田胸喜らが司法官赤化の元凶として帝国大学法学部の「赤化教授」の追放を主張し司法試験委員の滝川は1933(S8)1.19高等試験臨時委員罷免される


◆狂気じみた日本主義者、簑田胸喜


Wikipedia 蓑田胸喜
蓑田胸喜

蓑田胸喜(みのだ むねきorきょうき)1917(T6)ロシア革命の年、東大法学部に入学。
当時法学部では吉野作蔵教授の後見の下でデモクラシー運動がおころうとしていた。
蓑田はその気風に背を向けて文学部宗教学科に転じ、井上右近の聖徳太子研究、三井甲之(こうし)の明治天皇御製の研究に導かれ日本主義者としてスタート。

1920(T9)慶応義塾大学の余暇に職を得て論理学・心理学で一躍名物教授となる。彼の二つの講座は初めからマルクス主義攻撃であり天皇崇拝侵攻の強制だった。

蓑田のよりどころとした理論は歴代天皇の勅語であり攻撃の対象はカント・リッケルト・コーヘン・マルクスから田辺元・三木清・川上肇・美濃部達吉・末広厳太郎に及んだ。

日本の国家を強大にしてゆくことが人道を守ることになる
蓑田の「学術維新原理日本」↓
蓑田の「学術維新原理日本」

蓑田にとって眼前の許されない『敵』は国家の政策を批判している官立(国立)大学の教授たち。
彼のやり玉にあがったのが京都帝大法学部 滝川幸辰(ゆきとき)教授。1928年当時講演部長。

◇滝川の言葉による蓑田の京大の講演会の顛末

1928(S3)川上肇(京都のマルクス主義の代表者)に京都大学が辞職を強要したことに学生たちが反対していたが
「それからしばらくして、講演部の部員から、学生主事から蓑田胸喜に講演してもらうことになったと訴えられ、私は学生主事に会って講演を断るように注意した。
学生主事の話は『私もいけないというたのですが、首脳部(総長という意味らしい)が、ある方面と蓑田を呼ぶ約束をしてしまったので今更断るわけにもゆかないそうです』
ということであった。
私は講演部長として決裁印を押さかったが、総長か誰かが決済したのであろう。約束の日時に蓑田が京大に現れた。…

助手格の青年に十数冊のドイツ書を壇上に運ばせ、口を開くなり『川上肇の資本論の訳はカウッキー版によっているからいけない。カウッキー版はエンゲルス版を故意に変更して宣伝に利用している』と切り出して聴衆(学生)は承知しない。罵声のため蓑田の言葉は一語も聞き取れなかった。

言うだけのことは言わせるが良いと聴衆に注意したが、いきり立っている聴衆は私の言葉に耳を貸さない。

蓑田は小一時間立ち往生した後に講演場(第四教室)を去った。
私は蓑田に一面識もなかったが講演以来『原理日本』という雑誌で数回にわたって公開状をたたきつけられた。私が学生をおだてて蓑田の講演を妨害したと思いこんだらしい。

私の休職問題も蓑田が一役買っていたということである。
戦時中私の著書が出来なかったのは蓑田が情報局第二課にたむろして配給用紙を抑えていたためだという話も聞いている」

       ~滝川幸辰「総長の記録」1958より~

蓑田は後、慶応から国士舘大学教授になり、当時の学界の中心人物を次々にやり玉に挙げて行った。
満州事変以後、大勢の中で生まれた亜流と違って単なる便乗者でなく狂気じみた純粋性を持っていた。
敗戦に際し、便乗者たちが国家主義から民主主義に転向する中で、郷里熊本で首をくくって死んだ。



◆議会で赤化教授が問題にされる


◇滝川幸辰(ゆきとき)1781-1962 プロフィール

 Wikioedeia 滝川幸辰

 刑法学者、京大教授、1933(S8)中央大学での学術会議がきっかけで
 文相鳩山一郎から休職処分をうけたことで退官
 退官後は大学に属さず法律研究に精進
 1939年弁護士資格登録
 1946(S21)GHQの方針により京都大学に復帰、法学部教授に就任
 1953(S28)総長に就任 
 1957 任期満了で退官

 「刑法は個人の人権を守るためにある」
  自由主義的刑法学説を主張

 「犯罪は国家の組織が悪いから出るのであるから
  国家に対する制裁である」
   罪刑法定主義は国家の組織が正常な時適応される
        ↓
  犯罪がおこるのは国家が悪いせいなので国家が裁くのは矛盾

  日本の不幸は民衆の市民革命の歴史がないことである
  戦後民衆の信頼を受けた内閣はあったのだろうか…

◇先駆けとなった河上肇らの検挙

 1928(S3)1.10 共産党員全国で大検挙 488人起訴
 余波は大学にも及び大盛り義太郎(東大)・河上肇(京大)
 向坂逸郎(九大)・大塚金之助(東京商大)ら四教授
 大学から追放される
 ※1925(T14)に制定された『治安維持法』本格的に摘要

 河上肇は1932(S7)赤旗特別号、コミンテルン
 「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」
 ドイツ語版を入党してまもなく翻訳
       ↓
     32年テーゼ
 翌月から河上は地下活動に入る

◇宮沢裕「赤化教授追放」を議会で要求
~孤立してゆく京大法学部教授会~ 

 宮沢裕(政友会)が※東大3人京大1人の教授を
 名指しせずともわかる形で
 第64回帝国議会衆議院予算委員会で
 「赤化教授であるから免職せよと要求」
        ↓
  鳩山一郎文相が処分を約束

 宮沢は更に左翼系文献を刊行する出版社、中央公論社
 改造社 白揚社 希望閣 鉄塔書院 共生閣 叢文閣
 木星社 耕進社 ソヴィエト友の会
 10社の名をあげて取り締まりを要求

 議会最終日の3.24政友会・民政党協同提出の決議案、可決
 「政府ハ速ニ確固タル思想対策ヲ樹立シ
  以テ民心ノ安定ヲ図ルベシ」

 ※東大法学部・牧野栄一、末弘厳太郎教授
  経済学部・有沢広巳助教授 
  東大の小野塚喜平次東大総長は鳩山文相と密約を結び
  『東大の学部教授会が京大支持を表明しない限り
   東大の赤化教授には手をつけぬ』と約束させた
       <サンデー毎日1951(S26)6.3号>

 ※京大教授会は一貫して他からの支援を求めず 
  京大他学部に対する事情説明さえも一切行わず
  他学部教授会で法学部支持の態度を表明したものは
  一つもなかった
  現職の田辺元博士(哲学)は個人的には法学部を
  支持したがそのことを公表しなかった
  西田幾多郎名誉教授は
  「滝川のために大学をつぶすわけにはゆかぬ」で終始」
  
 ※宮沢裕 Wikipedeia 宮沢裕
  蓑田胸喜の友人、右翼政党人
           

◇貴族院本会議で菊池武夫の演説

陸軍中将男爵・菊池武夫(1935.1美濃部達吉の天皇機関説を攻撃)
「国体破壊の淵源ト称セラレマスル大学(京大)就中文理科大学ノ
 如キヲ廃シマシテ、教育勅語ノ聖旨ニカナフベキ最高学府ヲ
 創設スベキ…(略)」

 教育勅語が法律よりも大きな影響を与えていた



◆滝川教授の本が発禁処分に


◇1933(S8)4.11「刑法読本」発禁処分
 
・BK(NHK大阪放送局)で1932(S7)1~3月ラジオで
「公民常識講座・刑法」を講義し評判になる

・このテキストが大畑書店より出版されたが
 たちまち内務省の検閲にかかって計4頁にわたり
 176字の削除を受けそのまま奥付の変更なしで販売された

・この本の声価は高く吉野作造が日記に「名著に値する」

・発売当時、大審院長は良書として部下に薦めたが
 内務省は末尾の文章で
「刑罰からの犯人の解放は犯罪からの人間解放である」
 をとらえトルストイに対する無批判と結合させて
 滝川の思想を「無政府主義」と断じ、これが
「マルクスの共産主義に連絡する」結果が
「法律の階級性」肯定の発言になると指摘
     
・1933年4月上旬、閣議で鳩山が山本達雄内相に
「文部省は滝川を分限委員会にかけるつもりだ。
 どうして『刑法読本』など発禁処分にしないのか」
 と問いかけている

◇「刑法講義」
・文部省の「刑法講義」(初版1929.5弘文堂刊)処分の理由
  出版法第19条「安寧秩序ヲ妨害スル」もの

・改訂版は翌1930年に弘文堂から伏字削除し発行



◆滝川処分・大学と文部省の攻防


◇鳩山は大学自治(教権独立)に干渉することを明言

3月8日の菊池武夫の質問に対し、鳩山は「マルキシズムヲ謳歌スルガ如クニ誘導スルト云ウヤウナル教授ヲシテ居リマシタナラバ、ドウシテモ是ハ阻止シナケレバナラナイノデアリマスガ(略)」と前置きした後
「是ハ大学ニ於ケル強権ノ独立ト云フコトガ永ク叫バレマシタ為ニ、其監督ヲ忽諸(こつしょ=なおざり)ニスルガ傾ガアルカモ知レナイノデアリマス。此点ニ付キマシテハ大学総長、其田有力者ト能ク協議ヲシマシテ、将来我々ノ知ラナイ間ニ於イテ不都合ナ教授ヲシナイヤウニ極力監督スル積リデアリマス」

◇学問の研究自由、大学の自治の危機に対する鈍感

・3月17日再び衆議院予算委員会で宮沢裕が文相の
 「赤化教授処分」の約束の結果を鳩山に問うたのに
 政府委員石坂豊一(文部省参与官・政友会)は鋭意調査中だが
 各大学においてやはり教権の独立を擁護する必要があり
 いちいち調査するには相当な時間が必要」と回答

 宮沢は「学問の独立・研究自由に名を借りて
 反逆思想を鼓吹するのを見過ごすわけにはいかない
 そんなことを出来ないように改めてもらいたい」と注文

・世論とマスコミは反応が鈍い

 ○大阪朝日2.2付
  宮沢君、委員長から数回「簡単に」といふ注意を受けつつ
  長々と大学教授取り締まり論を説き、文相からあっさり
  答弁あり 質問終わり

 ○東京朝日
  (宮沢が)鳩山文相に対し大学教育の監督を
  激越な口調をもって要望する

 ※いずれも宮沢の大学教授取り締まり論の内容や
  鳩山の答弁がどのようなものであったか
  一言も記述していない
  そのことにより世論も喚起されなかった

◇文部省と京大側の面会
 
・4.19 小西京大総長宛て、文部省より22日面会したい旨通知
   (議会閉会後)

・4.22 小西総長・宮本英雄法学部長と粟屋謙文部次官他二名
    東京で面会する
    
 粟屋は文部省独自の調査によって滝川の学説は
 学生に悪影響を及ぼすものであると認めるので
 滝川に辞職を勧告するか、あるいは休職の手続きを
 とってほしいと要望

 小西は新任早々(3/22の選挙で文学部長)ですぐに返事出来ず
 よく考えてみたい 文部省の考えは簡単に実行出来るものでない
 容易ならざる事態を引き起こすかもしれず
 本省でよく考慮されたしと返答し22日夕方帰京

・その日の地元の夕刊

 ○大阪毎日
  「滝川教授を処分/突如京大に嵐/
   著書「刑法読本」の発禁から/当局赤い教授を一掃へ」

 ○京都日出
  「京大左翼陣に弾圧?/滝川幸辰教授/問題の渦中へ/
   小西総長ら文部省に出頭/善後協議をつづく」

 ※この報道は文部省のリークこれで問題が一気に表面化

滝川事件の記事

・4.23 各紙一斉に滝川の退職で文部省と総長の意見が
    一致したと報じた(一致してない)

・5.8 文部省、総長の再考の結果を求める

・5.9 総長、鳩山文相に出会い、滝川学説に不都合はなく
   「大学には大学の伝統的精神があるから処分強行は
    重大事件を惹起する」と翻意を促した
    鳩山はこの件は閣議決定済みで分限委員会にかけても
    休職を命ずるつもりと強硬姿勢を示した

・5.10 法学部教授会、文部省と対決する姿勢を公然と示す
    「教授の学問上の見解の当否は文政当局の判断に依って
    決定せられる可きものにあらず
    若し一次の政策により教授の進退が左右せらるならば
    学問の真の発達は阻害せられ大学は其の存在理由を
    失うに至らむ」
      ↓
   当局の再考慮を求める意向を文部大臣に伝達するよう
   総長に求めた

・10.11 教授会の意を伝達に上京した岸書記官に文部省は
    「問題は学説の社会的影響」と回答

・10.16 法学部は滝川個人を擁護するのではなく
     研究の自由を主張している
     内務省の発禁処分はその学説が大学で講じられることの
     当否を定めるものでない
     文部省の「社会的影響を理由とする処分は不当である」
    (宮本学部長談)

     これに対して文部省は反駁を声明
     学問の研究の自由の中には
    1研究の自由
    2教授の自由
    3発表の自由

     大学教授には1の自由はある
     2は国家思想の涵養に反するものであってはならず
     3になた公序良俗に反してはならない
     滝川処分はこの2と3について責任を問うものである

・3.17 法学部教授会は3に関して政府が任意に行い
    発禁処分を理由に政府が教授の地位を動かすことになれば
    真理探究としう大学の使命ははたされない
    2の自由の限界は確かにあるが、それは
    「国家思想を破壊してはならない」という限界であり
    滝川学説はこれに当たらない
    しかも政府は著書を発禁にしているからこれを引用して
    滝川学説の合法性を説明することは出来ぬ
    説明出来ぬことは政府も同様でありながら一方的に
    国家思想を破壊するものといいふらすのは無責任
        (宮本「京大問題の真相」)



昭和 | 00:05:38 | Comments(0)
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