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生活クラブ浦和の「近現代史連続講座」 善方一夫先生の講座のレポートです。

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滝川事件4・抵抗運動と時代背景
~異端の追放・滝川事件4~

10/24

  この歌(※下記参照)を歌うと
  学の自由を守り抜こうとした当時の学生の精神を
  今の学生たちにも受け継いでほしいと思いますね。
   10月24日
  産業社会の要求において利益追求型の教授が
  非常に増えているという現状があるようです。
  そういう中で本当に学の自由とは何なのか
  本当の真理とは何なのかということを
  学生たちが目指していけばいいと思うのですが。



滝川事件とは思想信条を理由に大学教員が弾圧された戦前の事件
Wikipedia 滝川事件  
  
◆学生運動の推移

事件は2月から始まり学生たち5月に組織的に立ち上がる

・5.19
  午後5時、出身高校別代表者会議を開き闘争組織を決定
  同時に東大・九大・東北大の核新聞に檄を送った

・5.21
  大学当局は学生課長を通じ運動が左右に偏せざる限り
  弾圧せずとの態度を表明(大阪朝日)

 運動は大学院にも波及、院生50余名が声明
 「もし滝川処分が強行された場合、
  恩師とその進退を共にして学園を去らんのみ」

 別に集会した経済学部有志も合流し
 法学部学生を支持する声明を発し、山本学部長に
 教官の決起を要望する決議文を手渡す

・5.25
  法学部学生一同の名で全京大生への檄を発す
  経・文二学部では学生大会を開き法学部を支持し
  文部当局と抗争する旨の声明書を可決

・5.26
  法学部学生大会開催、宮本学部長の声明朗読のあと
  黒田助教授代表、田中講師、助手代表が
  それぞれ大学を去る声明を読み上げた

辞職声明

  教官が去った後、大西院生代表が総退学の声明を読み上げ
  続いて経・文学生大会の声明が披露された

  経済学部学生一同の声明
  「生みの親を同じくせる法学部の壊滅をよそに
   安閑として楽譜の形骸に学ぶを得ず」
   研究の自由を奪われて
  「いささかも顧る処なき経済学部教官の講義を
   謹んで辞退します」
   と授業ボイコットを表明

  各高校代表の決意表明のあと、学生大会は
  「飽く迄文部当局と抗争し滝川教授休職撤回
   諸教授復職を目指し…目的貫徹の為には敢えて
   総退学を決意固し」
   この声明を可決し新たな闘争へスタートした

・5.23 医学部 教室別代表者会議
・5.31 理学部 教室別代表者会議
・6.3  農学部 全学部実行委員会設立 

・6.6  全学生大会 
  各学部代表の決意表明のあと
  ①法学部教授支持と自治・自由の死守
  ②文政当局糾弾
  ③全学及び全国教授の結束要望と妥協策動排撃
  ④滝川副食までの抗争の継続を決議

京大学生運動の急速な展開は1925(T14)以来の
根強く継続してきた学生運動の伝統が伏線

 京都学連事件

しかし他学部の教授会の反応は冷たかった
  
 学生は音楽会やスポーツ大会などの活動を通して
 団結を固めるとともに大学の内外に働きかけたが
 効果があがらなかった
 学部教授会で法学部支持の態度を表明したのはゼロ

 田辺元博士(哲学・現職)は個人的には法学部を
 支持していたが、態度では公表せず

 西田幾多郎博士(名誉教授)
 「一滝川のために大学をつぶすわけゆかぬ」

 法学部or法文学部のある東大、東北大、九大に対する
 支援要請も行ったが…

6.16 小西解決案反対の全学生大会

 ①授業ボイコットが裏目に出て全学生3268名中 
  2180名(66.7%)が帰郷してしまっていた
 ②京大内に残存していた共青組織検挙(6.20)で
  学生化は一転、学生大会禁止に
        ↓
    運動が退潮に転じる


<参照・引用文献> 
橋川文三「記録現代史 日本の百年⑦」筑摩書房
安藤嘉彦編「15年戦争学習資料」上 平和文化社


♪当時の替え歌♪ (※コメント欄の歌)
替え歌1

替え歌2

替え歌3

替え歌4


◇末川博士の滝川事件の考察

犯罪を犯さないですむような社会に変えてゆかないと
犯罪はなくならない
あの事件がファシズムに対する自由主義の最後の抵抗
教授声明


犯罪をおこさなくてもよい国家を作らなくてはいけない
という考えが天皇制国家は神国で過ちはないという考えと
相容れないものがあった



◆政治、経済、社会の動き

               ※赤字は世界の動き
1月
・関東軍司令官・武藤信義、熱河作戦発動準備を命令
・実践女子専門部生徒、同級生立ち会いで大島三原山で
 投身自殺 
・以後5月までにおよそ50人投身自殺
・東京商大教授・大塚金之助、
 川上肇(マルクス主義の経済学者)検挙される
・ヒトラー独首相に就任
2月
・関東軍、熱河省に侵攻
華北周辺地図
・小林多喜二、特高の拷問により殺害される
 検察当局は死因を心臓まひと発表
 死体解剖を妨害 弔問客をも検挙
・長野県の小学校教員、日本共産党の運動に
 関係したとして検挙
(4月までに65校138人教員赤化事件)
3月
・3.3三陸地方に大地震、大津波、死者3千人
 流出倒壊 約700戸
・国際連盟脱退
・横浜の山下消防署に救急車初配備
・米穀統制法公布 
 コメの生産費を基準に最低最高の公定価格で
 政府が無制限に買い入れ売渡・貯蔵・加工を行う
・9.29農村負債整理組合法公布
  市町村の行う特別融資に対して都道府県、政府が損失補償
・独共産党非合法化
・アメリカ特別会議 ニューディール諸法可決

4月
・関東軍、長城線全域を攻撃 華北への侵攻開始
・文部省、満蒙・南米への農業移住者の訓練始める
・少年航空兵制度始まる
・児童虐待防止法公布
(農漁村の欠食児童や不遇児童らの虐待事例続出のため)
 保護者による児童虐待を抑え、
 人道上無視できない業務に就くことを禁止
・小学校国語読本(サクラ読本)使用開始
 国家主義・軍国主義の色彩強化
・大日本国防婦人会、五万人の労働婦人の
 参加申し込みを得て発展の基礎を固める
・4.5平野力三、在郷軍人と農民の提携を目指して
 『皇道会』結成(農民を戦力に)
・4.22鳩山一郎文相、京大滝川教授の辞職を総長に要求
5月 滝川事件
・塘沽協定…万里の長城以南非武装地帯
      熱河省以東を満州国として黙認させた
    ※日本は華北侵略の足がかりをつかむ
・内務省娼妓取締規則改正
    ※娼妓の外出が自由となる
・石坂洋次郎「若い人」三田文学に連載始まる
・5.26滝川教授に休職例発令
  法学部部長以下教授ら抗議の辞表提出

・ヒトラー政府、労働組合禁止
6月
・共産党幹部、佐野学、鍋山貞親、控訴審中に
 獄中から転向声明 以後転向者続出
・丹那トンネル貫通(全長7800m)
    ※着工以来15年2カ月 犠牲者60余人
・6.14大審院、暴力行為など処罰法は暴力団、不良青年団
  のみでなく労働争議の場合にも適用されると判決
・6.17ゴーストップ事件
  大阪府大阪市北区の天六交叉点で起きた出来事、
  &それに端を発する日本陸軍と日本警察の大規模な抗争
  満州事変後の大陸での戦争中に起こったこの事件は、
  軍部が法律を超えて動き、国家の統制がきかなくなる
  きっかけの一つとなった。(Wikipediaより)
・ヒトラー社会民主党の活動禁止
 (最後の選挙 ナチス党288 社会民主党120)

7月
・7.1京都・東京両帝大の学生、滝川事件にあたり
  全国の学生に呼びかけ大学の自由擁護連盟を結成
  滝川教授の復職、鳩山文相辞職を決議

・7.3全国水平社、高松地裁の身分差別裁判に反対し
  全国で糾弾闘争を展開、10.19政府に集団抗議
  11.22法相、裁判の不当を認め差別撤廃を通牒
・天野辰夫(右翼の弁護士)と大日本生産党員との
 クーデター計画発覚 49人検挙(神兵隊事件)
・長崎県警察部保安課、海水浴場に柵や浮標を設けて
 男女混泳を取りしまる
・独ナチスが新党結成禁止で一党独裁成立
8月
・第一回関東地方防空大演習
・信濃毎日新聞、桐生悠々「関東防空大演習を嗤う」を掲載
 問題となる
・「東京音頭」大流行 翌年にかけて全国に波及
9月
・池田成彬が三井合名理事に就任
    ※三井財閥の方向転換を指導
・中央線 東京―中野間、朝夕混雑時に急行運転開始
・総武線、各駅停車で中野まで乗り入れ開始
・大阪中央放送局、学校放送開始
10月
・五相会議開催
  国防、外交、財政、調整、問題を討議
  満州国の育成
  日・満・支三国間の提携促進を方針とした国策大綱を決定
・10.30後藤隆之助、蝋山政道ら「昭和研究会」を結成
  後に佐々木弘雄、笠信太郎、矢部貞治、三木清も参加
  1940(S15)11月解散
・蒋介石第五次掃共戦開始
・独 国際連盟より脱退

11月
・内政会議開催(首・内・農・商・拓の五相)
  農業恐慌対策を協議
・アメリカ、ソ連邦を承認
・第十九路軍 福建人民革命政府樹立

12月
・松岡洋右、代議士辞任、政党解消連盟を結成
 陸海軍両省、財界・政党などの軍部批判は軍民離間を
 狙ったものと抗議(軍民離間声明)
 
 <引用資料>
 神田文人編『昭和史年表』小学館刊
 岩波近代日本総合年表



昭和 | 03:34:41 | Comments(0)
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